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安倍総理の後を引き継ぐ人々

戦後70年談話
様々に変わる世界情勢
ウクライナはロシアの侵略を受け、ポーランドにもミサイルが着弾
日本にも北朝鮮のミサイルが着弾しています。
いま日本を守るためにやるべきことは憲法改正による自衛隊の国軍化ではないでしょうか?
予算の削減を行おうとする財務省のたくらみにはのらずにしっかりと防衛力の強化を行っていく必要があります。
それが安倍総理の意志を受け継ぐということでしょうか?
いろいろと考えられます。

さて、東京にて安倍元総理の写真展が開催されているそうです。
安倍元首相の写真展開幕 菅義偉前首相が来場、東京タワー
街頭演説中に凶弾に倒れた安倍晋三元首相の軌跡をたどる写真展「不屈の政治家 安倍晋三写真展~産経新聞カメラマンがとらえた勇姿~」(月刊「正論」主催)が19日、東京都港区の東京タワーで始まった。
在職日数3188日、憲政史上最長となった安倍政権の歩みを産経新聞のカメラマンがとらえた報道写真など約150点を展示。安倍氏の側近だった萩生田光一政調会長の秘蔵写真も初公開された。19日は菅義偉前首相が来場し、「安倍さんの魅力を引き出している素晴らしい写真展だった。多くの仕事をしたことが、昨日のことのように思い浮かぶ。感慨深い思いで一杯だ」と述べた。
12月1日まで。午前10時~午後7時(最終日は午後4時まで)。入場料1千円(税込み)。大学生以下無料。

菅元総理も行かれたそうですね。
近くにあれば私も行きたいところですが、なんせ遠い・・・仕方ないね。

安倍元総理の地元である山口でも県民葬が先月行われましたが、そこでも安倍元総理の意志を受けついている人がいます。
泣いて笑って親交40年、素顔の「晋三さん」胸に 地元ラジオ局会長の冨永洋一さん
奈良市での街頭演説中に凶弾に斃(たお)れた安倍晋三元首相の地元、山口県下関市で15日に営まれた県民葬。約2千人が参列し「地元の誇り」でもあった安倍氏の大きさを、改めて実感する一日となった。「まだ心の整理ができない」とこぼすのは、安倍氏と40年来の親交がある地元ラジオ局「カモンFM」会長の冨永洋一さん(62)。温かく、ちゃめっ気あふれた素顔の「晋三さん」を胸に、この日を迎えた。
「国葬のタイミングで、心の中でけじめをつけようと思っていた。でも祭壇や遺影を見ると、やっぱり悲しさや悔しさがこみ上げてきて」。安倍氏の地元後援会青年部の会長を務めていた冨永さんが、悲痛な表情で言葉を紡ぐ。
安倍氏との出会いは約40年前。安倍氏の父、晋太郎元外相の選挙の手伝いに参加したところ、同じく事務所に出入りしていたのが当時サラリーマンだった安倍氏だった。
平成5年の初当選を機に親交はさらに深まった。今も目に浮かぶのは、後援会青年部のメンバーとともに参加したボウリング大会やバーベキューなどの親睦会。「誰に対しても優しくニコニコと接していた姿を覚えている」。下戸の安倍氏はお酒をほとんど口にしなかった。しかしカラオケなどの二次会にも積極的に参加し、後援会のメンバーやその家族らと、分け隔てなく接する姿が印象的だった。
素顔の安倍氏は「きちっとしているようで、意外と抜けている」(冨永さん)。あるとき所用で広島県を訪れていた安倍氏から突然電話があった。「今から飲もうよ」。北九州で落ち合う約束をしたが、今度は「ごめん、寝過ごして博多まで来ちゃった」。結局博多で会うことになり、一緒に下関市まで帰ったという。
政府や党で経験を積み重ね、政界で大きな存在感を示すようになった安倍氏。「初当選のころは父の晋太郎さんのイメージが強かったが、どんどんと実力をつけ、日本のリーダーにもなられた。やっぱりすごい人なんだと思った」と冨永さん。遠くなる背中を見つめながら「とても誇らしかった。この人についていこうと思った」。
多忙を極めても、年に2回は必ず地元へ帰ってきた。最後に言葉を交わしたのは今年6月24日。すれ違う際、地元恒例の花火大会の話題となり「洋ちゃん、今度花火大会ね」。その約2週間後、帰らぬ人となった。
痛ましい事件から3カ月が過ぎた。しかし今も、冨永さんの喪失感は埋まらない。「すこーん、と目の前から全てのものがなくなってしまったような感じ」。
この日、県民葬に参列した冨永さんは、花を手向け安倍氏の遺影に手を合わせた。「もう感謝しかありません。日本のために、今までありがとう」。そばにいた一人として、本人が成し遂げたかったこと、そして気さくで仲間思いの素顔を知っている。だからこそ冨永さんには目標がある。「民間の立場から晋三さんがやりたかったことの実現に協力したい」。これからも安倍氏の遺志を継いでいくつもりだ。(藤木祥平)

民間人という立場で安倍元総理のやりたかったことを実現していくって覚悟のようです。
素晴らしい人ですね。

かたや国会議員はどうなっているのでしょうか?
実際に動き出しているようです。
保守団結の会が防衛力強化決議を手交 自民安保調査会長に
自民党の有志グループ「保守団結の会」は15日、同党の小野寺五典安全保障調査会長と国会内で面会し、外交・防衛・情報力の根本的な強化を求める決議文を手渡した。
決議文は、国家安保戦略など安保3文書で中国、ロシア、北朝鮮の3正面を「脅威」と位置づけ、敵のミサイル発射拠点などを攻撃する「反撃能力」を明記することを求めた。防衛費の財源は「ただちに増税する環境にはなく、当面国債を活用する」とした。
また、サイバー攻撃への対処や、情報力の強化のために内閣情報調査室の「内閣情報調査局」への格上げ、経済安全保障の強化、国家公務員に情報漏洩(ろうえい)を働きかける工作員への罰則強化などを訴えた。
防衛力強化をめぐり公明党との間の与党協議に臨んでいる小野寺氏は「しっかりとした提言をいただいた。後ろから突き付けられている強い力だという思いで交渉に当たっていきたい」と述べた。

国を守るためにやるべきことをやっていく事、実際に先頭に立って活動していく事が求められています。
そしてその根拠となる法律を作る仕事が国会議員の仕事であり、国を動かしていくってことです。

安倍元総理の意志を受け継ぐ人々、これからも応援していきましょう。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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自民党 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2022/11/23 06:00

安倍元総理への追悼の言葉

こんな人たちに負けるわけはありません
先日、国会にてようやく安倍元総理への追悼演説が行われました。
腐れ野党のためにここまで遅れたというのは非常に残念でありますがよい演説になりましたね。

野田さんの全文です。
「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」野田元首相が追悼演説 
衆院本会議で25日、安倍元首相の追悼演説が行われ、立憲民主党の野田佳彦元首相が、「仇のような政敵」安倍氏との知られざる温かな思い出話も語り、死を悼んだ。
午後1時からの本会議で、安倍氏の遺族も見守る中、野田氏は演説を行った。以下、全文。

すべては、一瞬にして奪われました
本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る七月八日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃擊されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。
享年六十七歲。あまりにも突然の悲劇でした。
政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった想い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。
すべては、一瞬にして奪われました。
政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。
私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。
我が国の憲政史には、百一代 六十四名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。
そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

初登院の日、フラッシュの閃光を浴びながら…
安倍晋三さん。あなたは、昭和二十九年九月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、東京都に生まれました。
父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。
成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父 晋太郎氏の急逝後、平成五年、当時の山口一区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。三十八歲の青年政治家の誕生であります。
私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの関光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。
その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

52歳、最年少で内閣総理大臣に…退陣で初めての大きな挫折
内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成十八年九月、第九十代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齡五十二、最年少でした。
大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年九月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、一年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。
しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。
かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

私にとっては、仇のような政敵
五年の雌伏を経て平成二十四年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時 内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。
私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。
安倍さん。あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。いや、私にとっては、仇のような政敵でした。
攻守を代えて、第九十六代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。
少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。
激論を交わした場面の数々が、ただ懷かしく思い起こされます。
残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

心優しい気遣いの人
安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。
それは、忘れもしない、平成二十四年十二月二十六日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。
同じ党内での引継であれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけてこられたのです。
「野田さんは安定感がありましたよ」
「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」
「自分は五年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」
温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。
その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。
第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。わずか一年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。
あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

謝罪の機会を持てぬまま…永遠の後悔
安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。
それは、平成二十四年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。
「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」
私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。
謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます。
全くタイプの異なる2人のアメリカ大統領と親密な関係を築く
私からバトンを引き継いだあなたは、七年八ヶ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。
あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。
第一次政権から数え、通算在職日数三千百八十八日。延べ百九十六の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は千百八十七回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。
首脳外交の主役として特筆すベきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド·トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。
あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

総理公邸の一室での“密談”
安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。平成二十九年一月二十日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。
前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。
二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、一時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。
そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。
私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。
あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。
以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん
憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。
「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」
安倍さん。
あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。
再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。
勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。
耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。
その上で、申し上げたい。
長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歷史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。
安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。
その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。
そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。
国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。
問い続けなければならないのです。
なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。
暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を
最後に、議員各位に訴えます。
政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。
暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。
こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弹に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。
私はそう信じます。
この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三 元内閣総理大臣。
闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。
安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

安倍元総理お疲れさまでした。

麻生さんも野田さんと同じようなことを話しています。
「どす黒いまでの孤独、野田元首相とも共有」自民・麻生副総裁
■自民党・麻生太郎副総裁(発言録)
 故安倍元内閣総理大臣に対する野田元総理による追悼演説、立派な演説を行っていただきまして心から感謝を申し上げたい。
 心に響く演説だったと思われた方も多いと思いますが、私が総理だったときに「どす黒いまでの孤独(に耐えきれるだけの体力、精神力がいる)」と(首相の座を)表現したのを野田総理もよく使っておられた。そういったものを共有できたという表現が見受けられたのが印象に残ったことであります。
 また今回、(麻生派の)山際先生の辞任の件で色々ご心配、ご迷惑をおかけし、心からおわびを申し上げる次第です。引き続き、山際先生はいろんな方から色々と質問を受けられると思います。引き続き丁寧に説明するという努力はやっていただかないといけない。(自民党麻生派の会合)

政治家は清いだけでは役に立ちません。時には汚いことにも目を向けなければなりません。
それを否定している汚い勢力たちが下らないことで日本の足を引っ張っているって印象があります。

次期リーダとして名前が挙がっている高市さんも野田さんの演説はよかったといっています。
高市氏「素晴らしかった」野田元首相の追悼演説
高市早苗経済安全保障担当相は25日、立憲民主党の野田佳彦元首相が同日の衆院本会議で行った安倍晋三元首相への追悼演説について「素晴らしいものだった。首相の孤独さ、重圧という経験を共有した人にしかできない話を聞いた。二人とも失意のどん底という経験をしている中での話だった」と述べた。自民党有志の保守系グループ「保守団結の会」が党本部で開いた会合で語った。
人の心が判る人になりたいですね。

安倍元総理夫人は東京を離れるようです。
安倍昭恵さん10年間経営した居酒屋を幕引き 最後は常連客と笑ってお別れ
安倍晋三元首相(享年67)の夫人・昭恵さん(60)が10年間経営してきた和食居酒屋「UZU」を、10月31日をもって閉店する。当日夕方には昭恵さん本人が、最後の営業に顔を出した。
2012年10月に東京・内神田にオープンした「UZU」は、山口県の地酒や食材などを使った料理を提供。「無農薬、低農薬、無添加、露地もの」を食材の基本として掲げてきた。’15年には当時のアメリカ大統領夫人だったミシェル・オバマさんが来日した際に「UZU」でもてなしをしたこともある。
7月8日の安倍元首相の銃撃事件以降も店員らによって通常通りの営業が続けられていたが、9月27日の安倍元首相の国葬の日に10月いっぱいで閉店することが明らかにされていた。
営業最終日のこの日、17時を過ぎた頃から店には客がちらほらと入っていく。複数の報道陣が店前に集まっていたが、寒さを気遣って店員が温かいコーヒーを配ってくれたのは、昭恵さんのとりはからいだろうか。
昭恵さん本人が店へと姿を現したのは、18時の数分前。スタッフや常連客に配るための品なのか、大きな紙袋を手にして無言で店内に入っていった。
「いつもエプロン姿の店員さんが今日はエプロンをせずカジュアルな服装だったのを見ました。店員さんも含めて、ごくごく気心の知れた常連の人たちと最後のパーティーのようなかたちだったのではないでしょうか」(近隣在住の通行人)
19時ごろまでに男女交えて総勢15~20人ほどの客が、慣れた様子で店内へと入っていった。店外へは時折、にぎやかな笑い声も漏れ聞こえてきて、明るく閉店をねぎらう様子がうかがえた。
2日前の29日には、山口県長門市で安倍元首相の支援者の集会を訪れていた昭恵さん。長門市内の安倍事務所は今年12月に閉鎖する予定だともいう。昭恵さんは、今後、東京を離れ山口県へ移住するのではないかと一部で報じられている。閉店後の昭恵さんの動向に注目が集まる。

お疲れさまでした。ゆっくりと休んでください。

安倍元総理、あなたが残したものは非常に大きいものです。
その芽を絶やさない様に日本を守っていきます。
見守ってください。
(ブラッキー)
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自民党 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2022/11/04 06:00

安倍元総理の県民葬が執り行われました。

県葬儀
多くの人に愛された安倍元総理の県民葬が先日執り行われました。
8000人近くの県民や国民が参加されたそうです。
粛々と執り行われた県民葬、多くの国民に愛された安倍元総理の葬儀はこれにて一旦区切りとなりました。
安倍元総理への暗殺事件はこれからも日本の歴史の一ページとなり受け継がれていくことでしょう。

安倍元総理夫人が県民葬で挨拶を話されたそうです。
昭恵夫人あいさつ詳報「豊かな67年の人生だった」
参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の山口県民葬(県民葬儀)が15日、下関市・県国際総合センター「海峡メッセ下関」で営まれた。遺族代表であいさつした喪主の昭恵夫人は「主人の67年、本当に素晴らしい人たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そして、大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただき、豊かな67年の人生だった。本当にありがとうございました」と述べた。昭恵夫人のあいさつの詳細は以下の通り。
「本日は主人の県民葬、立派に挙行していただき、村岡(嗣政)知事、柳居(俊学)県議会議長をはじめ、県議会関係者の皆様方には厚くお礼を申し上げます。細田(博之)衆院議長はじめ、国会議員の先生方には大変、お忙しい中、わざわざ下関まで足を運んでいただきましたこと、ありがとうございました。地元の議員の皆さま、市長、町長はじめ、主人がお世話になった多くの方にご参列をいただき、また、台湾からも遠くたくさん、ご参列いただきました。主人も喜んでいることと思います。本当にありがとうございます」
「7月8日にこのような形で命を絶ちまして、今日でちょうど百か日を迎えました。信じられないような中で日々が過ぎていき、それでも四十九日を迎え、先日は武道館で立派な国葬儀を挙行していただき、だんだんと私も実感が湧いてきて、『あっ、本当にいなくなってしまったんだな』と寂しさが増してきているような日々でございます」
「平成3年、1991年、主人の父、安倍晋太郎は膵臓(すいぞう)がんで志半ば、総理目前といわれながら亡くなりました。主人と同じ67歳でございました。秘書をしていた主人は、おそらく誰よりも、その無念さを感じたことと思います。
その後、父の遺志を継いで、政治家になる決意をして、この下関に帰ってきて、毎日、毎日、多くの方に自分の思いを伝え、お願いをして回っておりました。1991年という年は湾岸戦争があり、ソ連崩壊という激動の時代でもありました。主人はその中で、政治家になる決意をして、そして、『未来は不変のものではなく、われわれの努力によって作り上げていく』という信念のもと、『世界平和のために新しい秩序、この日本が中心になって作っていかなくてはならない』。そんなことを語っておりました。それは政治家になる前から、本当に最後まで一貫していたのではないかなと思います」
「主人を支えてくださったのは、本当にこの地元にいる皆様方でした。初めて選挙に出たときは志は高かったと思いますけれども、また、父の秘書をしていたとはいえ、政治家としては全くの未知数で、30代という人間としても、まだまだ未熟だったと思いますが、主人を信じてずっと支えてきてくださいました。時に厳しい言葉をかけていただくこともありましたけれども、おかげさまで、主人を大きな政治家に育てていただけたのだろうなと思っております。ことあるごとに主人は『自分が東京で安心して仕事ができるのは、地元で支えてくださる皆様方がいらっしゃるからだ』と口にしておりました」
「特に2007年、第1次政権、病気のために辞任することになったときには『突然、総理を投げ出して無責任な男だ』と大変な批難を浴びることになり、私も本当に悔しい思いをしておりましたけれども、しばらくして、この地元に帰ってくると、多くの方に温かく迎えていただき、『晋三さん、もう1回頑張りなさい』と励ましていただきました。主人にとりましては、本当にどんなにうれしかったろうかと思います」
「そして、その後の2009年、自民党にとっては大変厳しい選挙でございましたけれども、今までにないような最高の得票率で主人は当選をさせていただきました。そのとき、主人は『再び地元の皆さんに政治家として、生命を吹き込んでいただいたんだ』というふうに言っておりました。そして、もう一度、政治家として頑張っていこうと決意を新たにしたのではないかなと思っています」
「その後、2012年に負けるかもしれないという自民党総裁選挙に立候補したときも、本当に自民党が苦しいときに全力で応援してくださった皆様方への恩返しの気持ち、再び自民党に信頼を取り戻したい、そんな思いで、『負けてもいい。何度でもチャレンジする』と言って総裁選に出馬をいたしました。その後、7年8カ月、総理大臣を務めることができたのは、本当にこの地元でお支えをいただいた皆様方のおかげと、主人に代わりまして厚くお礼を申し上げるところでございます。本当にありがとうございました」
「主人は山口県が本当に大好きで、この下関・長門が大好きでした。役職について、だんだん、帰ることが少なくなりましたけれども、それでも毎年、お盆に帰って、お祭りや花火大会で市民の方と触れ合うことをとても楽しみにしていました。『コロナでなかなか帰れないけれども、コロナが落ち着いたらゆっくり2人で帰って皆さんと語り合いたいね』と、そんな話もしておりましたが、6月末、江島(潔参院議員)先生の選挙の応援で帰ってきたのが最後となってしまいました」
「今回、遺骨という形で帰ってきたのは、本当に残念でなりませんけれども、国葬儀には各国から大勢の方にお越しをいただき、私に対しても本当に温かい弔意の言葉をいただきました。一般献花においても、長い、長い列ができて長時間並んで、献花をしてくださいました。きっと主人はそれを見て喜び、感謝をしていたのではないかなと思います」
「増上寺でのごあいさつのときに、吉田松陰先生の『留魂録』を主人が父の追悼文で書いたものを私は引用させていただきましたけれども、主人の67年、本当に素晴らしい人たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そして、大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただいて、豊かな67年の人生であったと私は思っています
「主人が愛した、この山口県、私も本当に大好き。これからも先ほどの映像にも出ていましたけど、令和の地方のあり方、私もこの地域のために、これから何かしら活動していきたいなと思っていますので、皆様方には引き続きよろしくお願い申し上げます」
「母は94歳になりました。家では、弔問に来られる方の対応をしておりますけれども、残念ながら、この県民葬に参列することはできませんでした。長年、お世話になりました皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えしてほしいと母からも言われました」
「本当にこれが最後なのかなと思って、私はこの県民葬が終わると、気が抜けてしまうのではないかなと思いますけど、本当に、このように皆様方に立派にお見送りをしていただきましたこと、改めて主人に代わりましてお礼をさせていただき、私、喪主のごあいさつとさせていただきます。本当に本日はありがとうございました」

(´;ω;`)ウゥゥ

県民葬に反対する人間が数十人いたそうですが、そんなもんがいたことは無視ですね。
議論の遡上に上げる必要もありません。
安倍元首相の山口県民葬始まる 2千人参列、中継も
山口県下関市の山口県国際総合センター「海峡メッセ下関」で15日、安倍晋三元首相の県民葬が行われた。国会議員や県市町首長ら約2千人が参列し、県内7カ所にも献花台や中継会場が設置された。
県民葬は午後2時ごろ、安倍氏の遺骨が会場に入ってから始まった。黙(もく)祷(とう)後、安倍氏の生前の姿を映像で流し、参列者が献花。喪主の妻、昭恵さんが遺族代表としてあいさつし、葬儀委員長を務めた村岡嗣政知事が追悼の辞を述べる。
県民葬は県や自民県連など7団体でつくる葬儀委員会と安倍家、後援会が主催。国会議員は現職と元職計約100人が参列し、台湾や米国、韓国の関係者ら計約110人も出席した。
安倍氏は7月8日、奈良市で参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した。岸田文雄首相が国葬実施を表明した翌日の同15日、村岡氏が県民葬を開催する意向を明らかに。過去も県選出で首相経験者の佐藤栄作氏や岸信介氏、安倍氏の父で外相を務めた晋太郎氏ら計5人の県民葬が行われた。

一区切りってところですね。
台湾では安倍元総理の銅像が建てられたそうですし、多くの人に愛された安倍元総理ということが浮き彫りになりました。
反対派がいることを必死に強調するマスゴミたちですが、相手にするのもめんどくさそうですね。

安倍元総理の求心力を失った自民党、次の柱を立てなければなりませんが、なかなか安倍元総理の存在感が大きすぎたのか、決まっていないそうです。
安倍氏県民葬で一区切り 安倍派結束へ正念場続く
山口県下関市で15日に行われた安倍晋三元首相の県民葬には、自民党安倍派(清和政策研究会、97人)に所属する議員約80人が出席した。同派にとって一つの区切りとなったが、安倍氏の後任会長は決まっておらず、衆目の一致する党総裁候補はまだみえない。結束を維持できるのか、正念場が続きそうだ。
県民葬には萩生田光一政調会長や松野博一官房長官ら岸田文雄政権の幹部を含めた安倍派議員が参列した。中堅・若手議員は14日夜に安倍氏の行きつけだった下関市内の料理店で会合を開き、思い出に浸った。
県民葬で献花を終えた同派会長代理の塩谷立(しおのや・りゅう)元文部科学相は記者団に「多くの皆さんで安倍氏を送れてよかった」と振り返った。その上で「一致結束して安倍氏の遺志を継ぎ、日本の政治に貢献していきたい」と述べた。「結束」を強調するのは、それが同派の課題だと認識しているからだ。
塩谷氏は自らの会長昇格も視野に新体制を検討したが、「会長が総裁候補でなければ他派閥に侮られる」(中堅)といった異論に押される形で先送りとなった。参院側では「塩谷会長」の場合は衆参で派閥を割る案もささやかれた。
会長候補には萩生田氏や松野氏、西村康稔経済産業相、世耕弘成参院幹事長らの名前も挙がるが、「それぞれ長所と短所があって悩ましい」(若手)との指摘がある。萩生田氏は14日、「みんなで努力をして協力してやっていくことは確認できている。人事を急ぐ必要はない」と述べた。安倍氏の一周忌まで会長不在の現体制を維持すべきだとの意見もある。
一方、中堅議員は「派閥なのだから、いずれは首相候補を立てなければならない。ただ、私は安倍氏一筋だったので、人選によってはずっとこの派閥にいるかは分からない」と語った。(沢田大典)

安倍元総理を慕って集まった派閥です。
次の馬印が必要であることは認識されていますが、なかなか難しいでしょうね。
巧くまとめ上げるだけの人格が人望が必要でしょうけど、今の自民党では安倍元総理の次という重大な任務は難しいということでしょうね。

一般献花に8千人参列 昭恵夫人「寂しさ増してきている」
安倍晋三元首相の山口県民葬が15日行われ、県内外から多くの参列者が集い、しめやかに営まれた。「豊かな67年の人生だった」-。式典では喪主の昭恵夫人が遺族代表のあいさつで安倍氏の人生についてこう述べ、参列者をはじめとする関係者らに感謝の思いを伝えた。一般献花にも長蛇の列ができ、安倍氏との別れを惜しんだ。
会場の祭壇にある大きな遺影は、安倍氏が愛した山口県の山々と海を模した青色の背景に白と黄の花がアーチ状に施されるなど、鮮やかな装飾に囲まれた。
昭恵さんは遺骨を両手に抱え、ゆっくりとした足取りで入場。あいさつで「寂しさが増してきているような日々」と自らの悲痛な思いを吐露すると、参列者は目頭を押さえていた。
また、友人代表の安倍氏の後援会会長、伊藤昭男さんは安倍氏を「本当に多くの方々に愛された総理だった」と振り返りつつ、「どうか大空のかなたから、日本の発展、世界の平和と安定をお守りいただき、静かに安らかにお休みください」と追悼の辞を読んだ。
式典後の午後4時に始まった一般献花にも約8千人が参列した。開始2時間前から並んでいた鹿児島市の女性会社員(53)は「あんな亡くなり方で悲しいしつらい気持ちだ。ずっと手を合わせたいと思っていた」といい、「外交や経済政策など、日本のことを一生懸命に考えてくださり、ありがとうございました」と、安倍氏に向け感謝の思いを伝え花を手向けた。

日本を守っていかないと安倍元総理にたたられますね。
安心して眠っていただけるように日本を取り戻しましょう。

必死になって安倍元総理を貶めようとする反社勢力たち
あんたたちは負けたんですよ。安倍元総理と国民に惨敗したのです。
その事実が判った県民葬、国葬でしたね。
(ブラッキー)
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自民党 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2022/10/19 06:00

最後までこんな人たちに負けなかった安倍総理

こんな人たちに負けるわけはありません
多くの国民に見送られた安倍元総理
特に何事もなく終わりましたね。
ごく少数ですが反対派が騒いでいたそうですが特に混乱もなく終了しました。
多くの方が行った献花は肥料として使われるそうですね。有効活用されてよいことです。

さて、ごく一部の人が反対していましたが彼らの主張はなんだったのでしょうね。
独裁者志位がこんなことを話しています。
共産・志位氏「戦いはこれからだ」 国葬反対デモに参加
共産党の志位委員長は27日、東京・永田町の国会議事堂前で行われた、安倍元首相の国葬に反対するデモに参加し、「国民の6割以上が反対を声を上げているにもかかわらず国葬を強行している」と批判した上で、「戦いはこれからだ」と訴えた。
国葬の最中に行われた反対デモに参加した志位委員長は、「岸田政権は、国民の6割以上が反対を声をあげているにもかかわらず、国葬を強行している。何が『聞く力』か。私は、この暴挙に断固抗議をしたい」と述べた。
その上で、「国葬は憲法違反だ。法の下の平等に反して、死者を最悪の形で政治利用するものであって、絶対に許すわけにいかない」と強調した。
さらに、「私は8年8カ月、国会の場で安倍首相と正面と対決してきた。その経験を踏まえて、はっきり言っておきたい」として「安倍政権こそが戦後最悪の政権だ」と断じ、「戦いはこれからだ。理不尽なことは理不尽だと声を上げ続けよう」と気勢を上げた。
そして、「民意を無視し、憲法を無視し、戦後最悪の安倍政治を国民に強要する岸田政権は、もう終わりにしよう」と訴えた。

テレビが作り上げた捏造の民意を信じて、自分たちの仕事である法律改正・作成をやらないで騒いでいるだけの人間であるといううことです。
そんな人たちと安倍元総理は戦ってきたのです。無責任もよいところですね。
そして自民党は自分たちが権力者である自覚があるので反論しか行いません。訴えることは行わないのです。
反対派500人に対して献花2万5000人以上、これを民意と言わずしてなんというのでしょうね。

イオン岡田も訳の分からないことを言っていました。
立憲・岡田幹事長「内閣葬なら反対しない」
立憲民主党の岡田克也幹事長は25日、フジテレビの「日曜報道 THE PRIME」で、安倍晋三元首相の国葬について、国葬でなく内閣葬なら「反対しない」と述べた。
岡田幹事長は、岸田政権が安倍元首相の国葬を閣議決定したことについて、「内閣の行う内閣葬ではなく国葬というからには、国会の意見も聞かなければならない。吉田茂元首相の国葬の時も、非公式に野党の意見を聞いている。今回それが全くないままに内閣だけで決めてしまっている」と指摘した。
そして、国葬ではなく内閣葬で行われるなら「反対しない」と述べた。
一方、国葬の法的根拠に疑念を示す岡田幹事長に対し、番組に同席した自民党の小野寺五典元防衛相は、「内閣として内閣府設置法に基づいてできると判断した。手順に瑕疵があるから反対だというのはとても残念だ」と述べた。
立憲民主党は、国葬について、執行役員の欠席を決めているが、野田佳彦元首相や玄葉光一郎元外相が国葬の出席を表明している。
岡田幹事長は、「国のリーダーの葬儀なので、政治家一人一人色々な思いがあっていい。自分の判断で決めてほしいと言っている」と、執行役員以外の出欠は拘束しない方針を強調した。
その上で野田氏らの出席表明について、「党の決定の中でどう判断するかは、それぞれの政治家に任せられている」と容認する姿勢を示した。

法律がおかしいというならその法律を指摘して法改正を行う必要があります。それが出来るのが国会議員です。
場外乱闘してなんになるのでしょうね。いい加減に仕事したらどうなのでしょうか?
仕事しないから支持率が上がらない現実を見てほしいですね。

国会前では外国人を雇ってパフォーマンスが行われたそうです。
国葬会場前で“安倍元首相の顔面に射的”パフォーマンス…「倫理観ズレすぎ」「ドン引き」と批判殺到
賛否を呼んだ安倍晋三元首相(享年67)の国葬が27日、日本武道館で執り行われた。会場内では友人代表の菅義偉前首相(73)の弔辞や皇族方の供花などしめやかに進むいっぽう、会場外では国葬反対派のデモ内で目撃された“パフォーマンス”が波紋を呼んでいる。
「安倍元首相の国葬については、実施の理由や費用について説明が尽くされないまま、国会を通さず閣議で決定され、国民の間で賛否が分かれる事態となっていました。実施が決まってから、反対派は都内各地で集会やデモを行なっており、国葬当日にも行われていました」(社会部記者)
FNNプライムオンラインによると、国葬当日少なくとも都内4カ所で抗議活動が開催されたという。
そんななか問題視されたのが、国葬の会場である日本武道館の目と鼻の先、東京・九段下で催された抗議デモで目撃されたある行動。ことの発端は、国葬の様子を見にきた男性がTwitterで投稿した以下のツイートだ。
《国葬会場の前でやってる国葬反対デモを見に来たんだけど、安倍晋三を的にした射的をやりはじめる人たちが出てきてヤバすぎる盛り上がり方してる》
併せて、安倍元首相の顔写真がプリントされたTシャツを着た人を的に水鉄砲のようなものが向けられている写真も投稿された。
この投稿をした茂木響平さんに話を聞くと、一連の様子について、こう語る。
「デモ隊の行進が国葬会場近くの九段下あたりまで来たタイミングで、射的のパフォーマンスをする人々が現れました。おそらく、もともとこうしたパフォーマンスをしようという目的でデモ隊に混じっていたのでしょう。かなり注目を浴びていて、警備にあたっていた警察とも小競り合いのようになっていました」
さらに国葬会場の近くまで進むと“安倍元総理を的にした射的の屋台”が出店されていたという。
茂木さんはその状況を《国葬会場前、安倍元総理を的にした射的の屋台が出店されていて、通行人が普通にやりはじめている。いくらなんでも怖いよ…》とツイート。あわせて投稿した写真には、まるで縁日の射的の屋台のように安倍元首相の顔写真が板上に並べられ、そこにおもちゃの鉄砲のようなものを向ける人の姿があった。
「デモ隊のなかで“射的パフォーマンス”が始まった当初は、周囲も国葬反対派ばかりなので『もっとやれ!』という反応の人もいました。けれど、屋台は反対派以外の人々も目にしていたので、さすがに引いている感じがしました。通行人のなかには子連れの人もいましたし……。いっぽうで、射的を撃ちたがる人も結構いました」(茂木さん)
茂木さんがこれらの様子を写真付きでTwitterに投稿するとすぐに拡散され、批判の声が相次いだ。
《安倍元首相の写真を使って射的をしてるとか頭おかし過ぎる。故人で遊ぶなんて倫理観が人間とはズレ過ぎてる。人間じゃないなら何者なんだろうか。》
《もはや国葬関係ないやん…。故人の写真で射的とか本気でドン引きした。》
《亡くなった人の写真で射的とかもう引くとかのレベルじゃないぜ…モラルとかないんだろーな。まじで理解不能。》
国会前での抗議集会には、安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者のコスプレをした人々も現れたという。行き過ぎたパフォーマンスにモラルが問われている。

ちなみに雇われた支那人らしいですね。こんなことに手を貸すから嫌われるってことが判っていないのでしょう。
本当に人の心がない獣ですね。

結局、心のない奴らが騒いでいただけです。
そして普通の人は慰霊する人々を優しく見ていたことでしょう。
「若い人行列、それが国葬の現場」 自民・麻生氏
 自民党の麻生太郎副総裁は2日、福岡市での講演で賛否が割れた安倍晋三元首相の国葬について、「いろいろな話がわんわん出ていたが、何時間もかけてずっと若い人なんかが並んで立っている、それが国葬の現場だ」と指摘した。
 その上で「その人たちの声がなぜ新聞やらマスコミには載らんのですか」と述べ、一般献花に訪れた人たちの報道が不十分だったとの認識を示した。
 麻生氏は「強制されたわけでも何でもない。あれだけ多くの人が夜まで並んでいる状況を見て、何とも言えない気持ちになった」と語った。
 
結局マスゴミはマスゴミであり、人の心を持ちえない金の奴隷なのでしょうね。
下らない、本当に下らないです。

最後まで負けなかった安倍総理
お疲れさまでした。
(ブラッキー)
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自民党 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2022/10/06 06:00

戦い続けた男

国葬反対派は少数
必死になって捏造を続ける反社たち、参加人数が少なく、ごく少数しか反対していないかった安倍元総理を嫌う人たち
老害ってこのことなのでしょう。年金もらってやることないので反社活動を行っているとの話です。
何がしたいのでしょうね。もっと生産的なことやればいいのにね。

安倍総理に関してこのような記事があります。
安倍晋三元首相の国葬に寄せて 確かな足跡、世界からの敬愛を実感も…メディアはいまだに「戦後体制」下にある
安倍晋三元首相の「国葬(国葬儀)」の日を迎えた。
沖縄県・尖閣諸島や、北朝鮮による日本人拉致の問題に関わってきた者として、首相在任中だった安倍氏に対し、私は厳しい意見を述べることが多かった。某民放番組にゲスト出演された安倍氏に、「拉致被害者救出に自衛隊の活用を!」と直談判したこともある。
「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍氏が目指していたところは、戦後体制によって失われた日本の尊厳を取り戻し、世界平和に資するという私のそれと同じであったと思う。
教育基本法を改正し、戦後軽んじられてきた「伝統と文化」を尊重し、危険視されてきた「国を愛すること」を堂々とうたうなど、確かな足跡を残しながらも、日本はまだ真の意味での独立国には程遠く、志半ばで凶弾に倒れたというのが実情であったろう。
恥ずかしながら告白すれば、その後の諸外国からの反応の大きさは、私の予想をはるかに上回るものであった。世界において、ここまで存在感を発揮し、敬愛されていたのかと感じ入った。
対照的に、国内においては死者にむち打つかのような「国葬反対」の声が大々的に報じられ、また連日、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と自民党議員の「ズブズブの関係」ばかりを扱う地上波テレビの報道に、強い違和感を覚えざるを得ない。
本来、安倍氏は理不尽な殺人事件の被害者である。そして、彼の命を守る責任があった警察は「世紀の大失態」を犯した。だが、そこに国民の関心が集まらないように、意図的な報道が行われているように思えてならないのだ。
私にとって、これには既視感がある。
今から12年前の9月、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件が起きた。当時の民主党政権は、当初、現場映像の公開を渋っていた。そこに義憤を覚えた海上保安官・一色正春氏がユーチューブに映像を投稿したことによって、「尖閣の海で何が起きたのか」を国民は知ることができた。事実を知った国民からは、政府の「事なかれ対応」への怒りの声がわき上がった。
だが、映像の投稿者が判明するまでの間、テレビを付ければどのチャンネルも「犯人捜し」をしていた。つまり、公務員なのに秘密を漏洩(ろうえい)したのは、どこのどいつだということにばかりスポットライトを当て、その背後にあった巨悪(=国の尊厳を売るような民主党政権の対応)を隠すという、「目くらまし」報道を行っていたのだ。
かくもメディアはいまだに「戦後体制」下にある。
その現実を肝に銘じ、そこから脱却することを目指した安倍氏の遺志を継ぐ決意を新たにし、謹んで「安倍さん」を見送りたい。

マスゴミの捏造は今に始まったことではありません。
関心をそらすために被害者を追い込むことを平気で行う人々です。そんな人たちと安倍元総理は戦ったのです。

私たち日本人の良さを世界に知らしめましょう。
マスゴミの様に醜い人々が主役ではないのです。
美しい日本の姿を国葬で示そう
「日本を取り戻す」と誓った安倍晋三元首相の国葬儀が27日に迫った。
日本人とは、日本国とは、どんな存在かを問い続けたのが安倍氏だった。占領統治のために都合よく日本を縛り上げたにすぎない臨時のルールとしての米国製憲法を今日に至るまで改正し得ていない日本を振り返って、安倍氏は日本が失い果てた日本らしさを取り戻そうとしたのだ。

国柄を取り戻そうとした安倍氏
一言でいえば安倍氏は立派な日本の心を取り戻そうとした。先人たちは日本列島で何を守るために暮らし生きたのか。先人たちは何を守るために戦ったのか、何を守って死んでいったのか。安倍氏が取り戻そうとしたのは、家族や共同体を支えた価値観、国民と国家の絆、自然との折り合いのつけ方、死者との関係など全てにおける日本らしさだった。
教育改革にとりくみ、家族法制にこだわり、だれ一人この国が嫌になることのないように社会保障政策を研究したのもそのためだ。国際社会に向けては日本的価値観を戦略に反映させて力となし、存在を高めた。
安倍氏の「自由で開かれたインド・太平洋」戦略はインドの国柄、歴史、その戦後の国際関係を理解し受け入れた日本がいて、初めて実現した。日本発の大戦略は今、米欧とアジア諸国を巻き込む最大の対中抑止力を構築する国際秩序の基盤となった。
日本を守るのに必須の日米同盟を真の互恵関係にさらに一歩近づけたのは、安倍氏が烈(はげ)しく戦って実現した平和安全法制である。自国を自力で守るのは当然で、憲法改正が欠かせない。しかし、実現には時間がかかる。それを見越して、内閣法制局長官人事に大鉈(なた)を振るって平和安全法制を実現させた。

世界に日本の存在を示した
安倍氏は国内では日本らしさを取り戻す仕組みを整え、世界には穏やかながら雄々しい日本国の価値観と存在を示した。それ故に世界の指導者らはこぞって安倍氏の死を悼んだ。安倍氏の示した道程こそ、人類普遍の価値観を踏まえた公正な国際社会の構築につながることを理解しているからだ。
その安倍氏に私たちは心からの感謝と敬愛を捧げたい。日本人は死者を貶(おとし)めたりはしない。肉体は滅びても死者の魂は日本国の空、深い森や清らかな水辺のどこかにいらして、生者である私たちと日本国を見守って下さっている、と信じている。亡くなった人の功績を讃たたえ、真摯な祈りを捧げる品格ある姿勢を守り通そう。日本国のために闘い続けた安倍氏への深い感謝を国民こぞって静かに捧げる美しい日本の姿を国葬儀で世界に示そう。(2022.09.26国家基本問題研究所「今週の直言」より転載)

日本人らしい国葬となりましたね。多くの人が静かに故人を称え、弔問しに東京を訪れました。
それが2万5千人以上の献花という結果になりました。

菅元総理の挨拶も印象的でしたね。
竹田恒泰氏、菅前首相の追悼の辞に感動「自分も元総理なのに『総理』と語りかけるところは…」
 明治天皇の玄孫(やしゃご)で作家の竹田恒泰氏が28日、自身のツイッターを更新。27日に行われた安倍晋三元首相の国葬について綴った。
 国葬では、官房長官として安倍氏を支えた菅義偉前首相が、友人代表として追悼の辞を読んだ。竹田氏は「自分も元総理なのに『総理』と語りかけるところは、長年馴染んだ自然な呼び掛けだった。銀座の焼き鳥店でのはなし、そして最後の歌のはなし、どこを切り取っても心に迫るものがあった」とつづった。
 菅氏は、首相を一度退陣した負い目から12年の総裁選出馬を迷っていた安倍氏と銀座の焼き鳥店に行き、懸命に口説いた結果、3時間後には首を縦に振ってくれたと強調。「菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思うだろう」と胸を張った。

涙が出てきましたね。
素晴らしい心のこもった挨拶でした。

奈良市長は事件が風化しない様に安倍元総理の銅像などの建設を計画しているそうです。
安倍元首相銃撃事件 現場の今後 奈良市長「9月中に判断」
ことし7月、安倍元総理大臣が演説中に銃撃された現場について、奈良市の仲川市長は、28日開かれた市議会の委員会で、事件があったことを示すものを設置するかどうかなどの判断を9月中に行う意向を改めて示しました。
安倍元総理大臣が銃撃された現場は、奈良市が今年度中に広場や道路に整備しようと作業を進めていたエリアでした。
そのさなか、事件が発生したことで、市は、対応に苦慮しています。
事件現場の扱いについて、奈良市には今月21日までに73件の意見が寄せられているということで、市によりますと、像やモニュメントなど、事件があったことを示すものを設置するかどうかについては、肯定的な意見が21件だったのに対し、否定的な意見が52件だったということです。
28日開かれた市議会の予算決算委員会で、仲川市長は、「これまで9月末をメドにと言ってきたので、どういったことをするか、しないか確定していく」などと答弁し、改めて今月中に判断を行う意向を示しました。
仲川市長は委員会のあと、報道陣の取材に応じ、「事件が社会にどのような影響を与え、歴史的にどう位置づけられるのか、まだ定まっていない。何が正解か、100点満点がないなか、判断を求められているという意味で、私自身悩んでいる」と述べました。

是非設置していただきたいものです。

安倍元総理はたくさんのものを残しました。
その意思を私たちが受け継いでいきましょう。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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自民党 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2022/10/04 06:00
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