朴槿恵大統領の弾劾裁判

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朴槿恵大統領の弾劾裁判の結果が出ました。
大統領離任です。民間人に国政の人事権をゆだねた罪なのか?それともセウォル号の責任問題なのか?それとも日韓合意の問題なのか?いまいちよくわかりませんが、大統領から引きずり降ろされることが決定しました。
民主主義で生まれた大統領が国民の勢いに押させ、不正を行い、国民に引きずり降ろされる。非常に可哀想な気もしますが、韓国国民が選んだ道です。国運を二分した運動もこれで終止符を打つことになることでしょう。
次の大統領候補が今一反日しかいないようですが、それもまた韓国国民が決める事、私たちは生暖かく見守る以外の選択肢しか存在しません。外国人がその国の政治に口を出してはいけない、口を出す権利はないのです。

さて、産経がこのことについて主張を述べています。
父は“弾丸”で娘は“弾劾”で去った 全ては「姫」の限界だった
 朴槿恵大統領が任期を全うできず青瓦台(大統領府)を追われることになった。それも“弾劾”という不名誉なかたちで。父、朴正煕(パクチョンヒ)は1979年、長期政権の途中、権力内部の暗闘が原因で側近に暗殺されている。父は“弾丸”で青瓦台から消えた。朴父娘の不幸な末路は韓国政治の激しさをあらためて内外に印象づけるものだ。
 娘の失敗は、経済発展で国を豊かにした父の“七光”で大統領になったものの、政治的指導力が父に及ばなかったことだ。そして自らは「清く正しく美しく」を看板にしながら、舞台裏では、どこかいかがわしくきわめて俗っぽい女実業家、崔順実(被告)なる“悪友”に人生を依存していたという意外な事実が、国民を失望させ怒らせた。
 朴槿恵氏は若くして母を北のテロで亡くし、父も非業の死を遂げるなど「悲運の公主(姫)」として人びとから同情と配慮を受けてきた。しかし政治指導者としては、国民との意思疎通や人材起用などがきわめて閉鎖的で独善的だった。政治的力量不足を自覚できず、それを補う手立ても知らなかったというのは明らかに「姫の限界」だった。
 彼女の悲劇は、父のおかげで大統領になったにもかかわらず父に学ばなかったことだ。軍人出身だった父は公私の区別は厳しく、人材登用と組織運用にたけていたが、娘は“疑似家族”になっていた私的な崔順実一族の勝手を排除できず、足をすくわれてしまった。
 彼女には父への裏切りもあった。父が65年、国民の反対を戒厳令で抑えて国交回復に踏み切った日本との協力は現在の韓国発展の基礎になった。その日本との関係を、最後は日韓慰安婦合意にこぎつけたものの長く悪化させた。
 中国への過度の接近もそうだ。朝鮮戦争の際、中国は“侵略国”だったのにその過去には一切触れず、天安門広場での対日戦勝70周年軍事パレードまで参観している。歴史を無視し、さらに“日韓離間”という中国の戦略に乗っかった。そこには「北の脅威」への備えに全力を尽くした父の苦心への思いはなかった。
 対中関係は今、逆に米軍の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の韓国への配備問題で中国から激しく責められている。対中接近策も明らかに失敗だった。
 朴氏は当初、保守政権として「非正常の正常化」を公約に、いわゆる民主化で乱れた法秩序の確立や、各界に浸透した親北・左翼勢力の排除を目指した。親北政党の解散や歴史教科書国定化などはそれにあたる。
 しかし崔順実スキャンダルでその公約もほごとなってしまった。しかも皮肉として最大の“業績”になるはずだった「次の政権を左翼・革新系の野党に渡さない」という課題も、風前のともしびだ。朴氏は弾劾・罷免にいたった崔順実スキャンダルを「仕組まれたもの」と不満を吐露していたが、その隙は明らかに彼女にあった。
 2008年に狂牛病問題をめぐる大規模な反米・反政府デモが起き都心を埋めたときのように、韓国政治は激しく予測が難しい。今回も反政府派の大規模ロウソク・デモに始まり、後に保守派の国旗デモが抵抗したが、結局、弾劾・罷免を要求する前者の“街頭圧力”が民意として憲法裁判所で認められた。これで“デモ政治”はさらに勢いづく。こうした韓国政治のスタイルは今後も続くことになる。(ソウル駐在客員論説委員 黒田勝弘)

朴ヨンヒ大統領が暗殺され頼れる人が周りにいなかったのが問題を引き起こしたともいわれております。
大人の誰もが彼女を悲劇の姫としか見ておらず、本人自身を見てくれない、兄弟仲も悪くなっていく、一人になる、なった彼女を救ったのがその宗教家だったと言う事なのかもしれません。

今後どのようになるのでしょうか?火中の崔順実被告は罷免に対し、涙を流したそうです。
朴大統領罷免:崔順実被告、ニュースに大泣き
 10日、ソウル中央地裁に裁判を受けにやって来た崔順実(チェ・スンシル)被告(61)は、朴槿恵(パク・クンへ)大統領に対する弾劾訴追案が憲法裁判所で認められたというニュースを聞き、大声で泣いたという。同日、崔被告と共に出廷しためいのチャン・シホ被告(38)が、法廷で「おばは先ほど、大統領が弾劾されたのを知って大声で泣いた。胸が痛んだ」と語ったため、こうした事実が外部に知れることとなった。
 チャン被告は10日午後、ソウル中央地裁で開かれた公判に出席した。検察が「昼食休廷の時間に、崔順実被告から何か話を聞いたか」と尋ねると、被告は上記のように答えた。被告は10日午前から始まった公判が休廷になった後、検察庁で待機したが、その際に隣室で待機していた崔被告が、朴大統領弾劾のニュースを聞いて泣き声を上げるのを聞いたという。チャン被告は「おばが大声を上げて泣くのを見ると、私の胸も痛み、精神的にかなり負担になる」と語った。
 崔順実被告の弁護側も、報道陣に「崔被告と共に携帯電話でニュースを見て(朴大統領弾劾の報道を)確認した。崔被告は大きなショックを受けたようだった」と伝えた。

友人として彼女は涙を流したのでしょうか?それとも自分の実刑が間逃れないことに絶望したのかはわかりません。
これで彼女たちの今後の人生は決まったのかもしれません。

さて、この裁判所の判決で信じられませんが三人の方がなくなったそうです。
弾劾反対集会参加者さらに1人死亡 計3人に=韓国
【ソウル聯合ニュース】韓国の憲法裁判所が10日に朴槿恵(パク・クネ)氏の大統領罷免を決定した後、ソウル・鍾路の憲法裁周辺で開かれた弾劾反対集会に出席して死亡した参加者が3人に増えた。
 警察などによると、弾劾反対集会に出席していた70代の男性が11日午前6時45分ごろ、病院で死亡した。同男性は10日午後12半ごろ、憲法裁近くの安国駅付近で集会途中に倒れたとされる。
 警察は死亡の経緯を調べるとともに、遺族と協議し司法解剖を進める方針だ。
 現在、病院に運ばれたもう1人の参加者も危篤状態だという。
 前日にも弾劾反対の集会に参加した男性2人が病院に運ばれたが死亡した。

原因は判りませんが、当時二万人もの警察官が厳戒態勢で警戒していたそうです。
朴槿恵派と反対派の衝突が考えられていたそうでして、相当の国民がソウルに押し寄せていたのでしょうね。
そんな中、何が起こったのかわかりませんが、日本だと考えられない事態となっているようです。

今回の件、北朝鮮でも速報で流れていたそうですし、中共のサード配備等で注目しています。
在日米軍にミサイルを発射したとする北朝鮮、これが南進する可能性は否定できません。
韓国が治安維持して北朝鮮の南進を防げるか否かそれが日本にとっては問題となるでしょう。
(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2017/03/15 06:00

【重要】聖徳太子の功績

聖徳太子を厩戸王に変えないで
聖徳太子が消されそうになっているようです。
元々、諡号として賜った名前である聖徳太子です。生前は厩戸皇子と呼ばれていたそうです。
でも、明治天皇など死後名前を変えることはよくあることであり、歴史に刻まれた名前を変更することは許されません。
何故、聖徳太子だけそのような変なことが行われているのでしょうか?
そもそも聖徳太子は何をした人なのでしょうか?

まず聖徳太子は冠位十二位を作りました。
徳・仁・礼・信・義・智を更に大と小に分けて12の階級を作り、それぞれに・白・の冠を作り、今まで生まれ(姓)だけで決まっていた身分(仕事)を個人の才能や功績を元にして授けれる冠を作り身分の低い者にも出世できるような制度を作りました。
誰でも努力すれば位が上がるという頑張るものが報われる制度ですね。
これにより冠位十二階の制定により朝廷は、世襲制から能力主義の官僚制へと移行し、律令国家へと進みだしたといえるのでしょうね。

次に十七条の憲法です。
第一条:人と争わずに和を大切にしなさい
第二条:三宝を深く尊敬し、尊び、礼をつくしなさい(三宝:釈迦、その教え、僧)
第三条:天皇の命令は反発せずにかしこまって聞きなさい
第四条:役人達はつねに礼儀ただしくありなさい
第五条:道にはずれた心を捨てて、公平な態度で裁きを行いなさい
第六条:悪い事はこらしめ、良いことはどんどんしなさい
第七条:仕事はその役目に合った人にさせなさい
第八条:役人はサボることなく早朝から夜遅くまで一生懸命働きなさい
第九条:お互いを疑うことなく信じ合いなさい
第十条:他人と意見が異なっても:を立てないようにしなさい
第十一条:優れた働きや成果、または過ちを明確にして、必ず賞罰を与えなさい
第十二条:役人は勝手に民衆から税をとってはいけない
第十三条:役人は自分だけではなく、他の役人の仕事も知っておきなさい
第十四条:役人は嫉妬の心をお互いにもってはいけない
第十五条:国のことを大事に思い、私利私欲に走ってはいけない
第十六条:民衆を使うときは、その時期を見計らって使いなさい
第十七条:大事なことは一人で決めずに、必ず皆と相談しなさい

日本史上初の憲法です。といっても役人の心得ってな感じです。
しかし、これが明文化され日本として相手にどのように統治しているかを見せつけるものになったともいえます。

そして遣隋使ですね。
小野妹子が有名ですが、多数の遣隋使が隋に渡ったと聞きます。
「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す」
この文はあまりにも有名ですね。
隋の皇帝に対して日本の天皇からの親書を手渡す際に使われた文章であり、隋と日本が対等な独立国家である事を宣言した文章ともなっております。
遣隋使で隋の文明や物資を輸入しつつ独立国家として世界中に知らしめることに成功した事例です。
そのような紀元1260年代の稀代の英雄の名前を消さなければならないのでしょうか?
日教組という反日団体の影が見え隠れしています。

拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏はこのように語っています。
周到な「聖徳太子抹殺計画」 次期指導要領案は看過できない 拓殖大学客員教授・藤岡信勝
≪国民に「厩戸王」の定着を狙う≫
 文部科学省は2月14日、次期学習指導要領の改訂案を公表した。その中に、国民として決して看過できない問題がある。日本史上重要な人物で、日本国家自立の精神的よりどころとなった聖徳太子の名を歴史教育から抹殺し、「厩戸王(うまやどのおう)」という呼称に置き換える案が含まれているのである。
 聖徳太子(574~622)は、冠位十二階と十七条憲法によって国家の仕組みを整備し、天皇を中心とする国づくりへ前進させた指導者だった。中国大陸との外交では、「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す」という文言で知られる自立外交を展開し、日本が支那の皇帝に服属する華夷秩序に組み込まれるのではなく、独立した国家として発展する理念を示した。
 こうして聖徳太子はその後1世紀にわたる日本の古代国家建設の大きな方向付けをした。
 そこで当然のことながら、現行の学習指導要領(平成20年)では「聖徳太子の政治」を学習すべき一項目として設け、日本の古代律令国家確立の出発点に位置づける次のような指示が書かれている。
 【「律令国家の確立に至るまでの過程」については、『聖徳太子』の政治、大化の改新から律令国家の確立に至るまでの過程を、小学校での学習内容を活用して大きくとらえさせるようにすること】(中学社会歴史的分野「内容の取扱い」の項。二重カギは引用者)
 この一文は改訂案でもそのまま踏襲されているのだが、ただ1カ所、右の「聖徳太子」が「厩戸王(聖徳太子)」に突如として置き換えられたのである。
 括弧を使ったこの書き方の意味するところは、「厩戸王」が正式な歴史用語であるが、すぐには誰のことかわからない者もいるので、それは一般には聖徳太子と呼ばれてきた人物のことだ、と注記をしたというものである。
 ということは、新学習指導要領とそれに基づく歴史教科書によって「厩戸王」が国民の間に定着すれば、次期改訂ではこの注記は無くしてしまえるということになる。

≪反日左翼に利用される珍説≫
 改訂案は、小学校ではこの表記の前後を入れ替えて「聖徳太子(厩戸王)」と教えることにするという。学校段階に応じて「厩戸王」という呼称に順次慣れさせ、「聖徳太子」の呼称をフェイド・アウトさせる。周到な「聖徳太子抹殺計画」といえるだろう。
 なぜこんなことになったのか。その根拠は、今から20年近く前に、日本史学界の一部で唱えられた「聖徳太子虚構説」と呼ばれる学説だ。その説は「王族の一人として厩戸王という人物が実在したことは確かであるが」「『日本書紀』や法隆寺の史料は、厩戸王(聖徳太子)の死後一世紀ものちの奈良時代に作られたものである。それ故、〈聖徳太子〉は架空の人物である」(大山誠一『〈聖徳太子〉の誕生』平成11年)と主張する。
 しかし、この説には根拠が乏しい。「聖徳太子」は100年以上たってから使われた称号だが、核となる「聖徳」という美称は、『日本書紀』以前に出現しているからだ。この学説が公表されたあとも、「聖徳太子」の名を冠した書物はたくさん出版されている。
 戦後の日本史学界では、さまざまな奇説・珍説が登場した。騎馬民族征服王朝説、大化改新否定論、三王朝交替説などが典型例である。それらはしばらくもてはやされても、やがてうたかたのように消え去った。「聖徳太子虚構説」もそのような一過性の話題として消え去る運命にあった。
 ところが、事情は不明だが文科省は、この珍説が歴史学界の通説であるととらえてしまったようだ。この説は日本国家を否定する反日左翼の運動に利用されているのであり、その触手が中央教育行政にまで及んだ結果である。

≪日本を精神的に解体させるのか≫
 死後付けられたということを理由にその呼称が使えないとすれば、歴代の天皇はすべて諡号(しごう)(没後のおくり名)であるから、いちいち、大和言葉の長い名称を書かなければならず、歴史教育の用語体系は大混乱となる。そもそも歴史教育は歴史学のコピーではない。歴史教育には国民の歴史意識を育てる独自の役目がある。
 聖徳太子抹殺の影響は古代史のみにとどまらない。明治以降発行された紙幣の人物像として最も多く登場したのは聖徳太子である。このことが象徴するように、聖徳太子は日本人の精神の支えとなる人物だったのだ。
 聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる重大な一歩である。「日本を取り戻す」ことを掲げて誕生した安倍晋三政権のもとで見逃されてよいはずがない。
 だが、まだ間に合う。文科省は学習指導要領の改訂案について、3月15日まで国民の意見をパブリック・コメントとして募集している。「聖徳太子の呼称を厩戸王に変えるな」という明確なメッセージを文科省に届けて、日本の歴史教育を救わねばならない。(拓殖大学客員教授・藤岡信勝 ふじおかのぶかつ)

私と同じようなことを言っておりますが、それだけ有名な人物であり、重要な人物です。
その歴史上の大物を消し去ろうとする教育方針には従えません。

みなさん、是非文部科学省に反対のコメントをお願いします。
学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領案、小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領案に対する意見公募手続(パブリック・コメント)の実施について
ご自分の言葉で結構、トンデモ説を吹き飛ばそうではありませんか!

聖徳太子がいたのは事実です。様々な施政を行いその後の日本の歴史の転換点になったのは間違いありません。
宜しくお願いします。
(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2017/03/13 06:00

両陛下 ベトナムへご訪問なさる

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先日、両陛下がベトナムへと御行幸なされました。
現地では大変歓迎されているようですね。

ベトナム国家主席夫妻からは晩餐会への招待を受けご臨席あそばされました。
両陛下、ベトナム国家主席夫妻主催の晩餐会にご臨席
【ハノイ=伊藤弘一郎】天皇、皇后両陛下は1日夜、国家主席府でベトナムのチャン・ダイ・クアン国家主席夫妻主催の晩餐会に臨まれた。約80人が出席した。両国の国歌が演奏された後、国家主席が両陛下を歓迎するあいさつを行ったのに対し、天皇陛下が「丁重な歓迎の言葉を頂き、心から感謝いたします」と謝意を述べられた。
 陛下はこの中で、16、17世紀に中部の都市ホイアンに日本人町が作られ、近年は留学生や技能実習生が多く日本に滞在している実態など両国間の歴史に言及。音楽や食事など、文化交流の催しが開かれていることも例に挙げ「私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆を更に強める一助となることを心から願っています」と述べられた。
 晩餐会の後半では、俳優の杉良太郎さんが支援を続ける盲学校の児童らよる童謡「赤とんぼ」などのピアノの演奏が披露される。
 これに先立ち、両陛下は国家主席府での歓迎式典に出席し、ホー・チ・ミン初代国家主席の遺体が永久保存されているホーチミン廟で供花された。
 2日は先の大戦終結後、フランスとの第1次インドシナ戦争に参加した残留元日本兵家族と面会される。陛下が贈ったハゼの標本がある「自然科学大学生物学博物館」も見学される。

御臨席あそばされた晩餐会にてこのようなお言葉を頂戴しました。
天皇陛下の晩餐会におけるお言葉全文
 この度クアン国家主席閣下の御招待により、皇后と共に貴国を初めて訪問することを誠に喜ばしく思っております。今夕は、私どものために晩餐会を催してくださり、また、国家主席閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、心から感謝いたします。
 またこの機会に、私どもの子供である皇太子や秋篠宮夫妻が、かつてこの地を訪れました時に、貴国の皆様から受けた様々なお心遣いに対しても深くお礼を申し上げます。
 近年、国家主席を始め貴国の指導者が我が国を御訪問になり、その際私どもに貴国訪問の御招待を頂いてまいりました。そうした中で、今回、貴国を訪れることができたことを感慨深く思っております。
 貴国と我が国の間では、昔から数々の交流が積み重ねられてまいりました。歴史をたどると八世紀には、当時我が国の都であった奈良で大仏開眼の儀式が行われましたが、その際、現在のベトナム中部にあった林邑(りんゆう)の僧侶・仏哲(ぶってつ)により舞が奉納されたと伝えられています。その時の林邑の音楽は、我が国の雅楽の楽曲として現在でも演奏されています。今回、かつて林邑が栄え、また、ベトナムの阮(グエン)朝の都であったフエを訪問します。その地で我が国の雅楽と源を分かち合うニャーニャックを聞くことを楽しみにしております。
 また、十六世紀から十七世紀にかけては、国際貿易港として栄えたベトナム中部に位置するホイアンに、我が国から多くの交易船が訪れ、日本人町もつくられました。
 その後、我が国の鎖国政策により、貴国と我が国の交流は途絶えましたが、二十世紀初頭には、「東遊(ドンズー)運動」の下、約二百名の貴国の青年たちが我が国に留学していたこともありました。
 一九七三年に日越両国の外交関係が樹立されてから既に四十余年、その間、両国の交流はますます拡大し、現在我が国には、約十八万人のベトナム人が留学生、技能実習生などとして滞在しています。その中には、将来我が国で看護師、介護福祉士として活躍することを目指して、病院や福祉施設で働きながら研修をしている約五百名の人たちもあります。明日、文廟(ぶんびょう)において日本に留学していた人たちを始め、日越両国の交流に携わる人たちとの会合の機会を持つこととなっており、楽しみにしております。
 近年、貴国では、日本語を教える小学校もできるなど、日本語学習への関心が高まっていると聞いています。一方、我が国でも多くの企業がこの地での生産などに関心を高めており、ベトナムに居住する日本人の数も今や約一万五千人に上っています。日越両国において、それぞれの文化を紹介する催しも各地で開催され、お互いの音楽や食事などを多くの人々が楽しんでいることを大変うれしく思っております。
 両国民の交流がますます深まり、お互いの文化への親しみが増してきている今日、この度の私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆(きずな)を更に強める一助となることを心から願っています。
 ここに杯を挙げ、クアン国家主席閣下並びに令夫人の御健勝と貴国の国民の幸せを祈ります。

そして残留日本人家族とお会いになられました。
「生まれ変わったよう」=元日本兵家族、感激の涙-両陛下と面会果たし・ハノイ
 【ハノイ時事】日本とベトナムの歴史に翻弄(ほんろう)され、困難な状況の中で生きてきた元残留日本兵の家族。2日午後、天皇、皇后両陛下と面会を果たした妻子らは「本当に感激した」「生まれ変わったように感じる」と口々に語り、両陛下のいたわりの言葉に感極まって涙を流す人も見られた。
 元日本兵の妻グエン・ティ・スアンさん(93)は、両陛下に手を合わせて「ありがとうございます」と日本語であいさつ。「こちらでの生活はいかがでしたか」。天皇陛下は、高齢のためいすに座って面会したスアンさんの前で深く身をかがめ、真剣な表情で何度もうなずきながら話に聞き入った。
 スアンさんは妊娠中だった1954年に夫が日本へ帰国し、苦労しながらたった一人で子供たちを育てた。時折ハンカチで目頭を押さえながら語ったスアンさんを、天皇陛下は「体を大事にね。どうぞお元気で」とねぎらい、皇后さまも温かく抱きしめて「健康を大事になさってくださいね。会いに来てくださってありがとう」といたわった。
 「われわれの父親たちが日本へ帰国するのが遅くなったことをおわびいたします」と伝えた元日本兵の息子に対し、天皇陛下が「厳しい状況だったことをお察しします。平和というものが大事だと思います」と応じる場面もあった。面会の終わり際には、家族の1人が「きょうのこの感動を自分の子孫にも永遠に伝えていきたいと思います」とあいさつ。天皇陛下は「皆さん、くれぐれもお元気で」と伝え、30分余りの面会を終えた。
 

此処でも多くの日本人が独立戦争を勝ち抜きました。
何処がアジアの侵略者なのでしょうか?
教えてもらいたいものです。
ベトナムの独立戦争を戦った「残留元日本兵」 2月28日
 天皇、皇后両陛下は、さまざまな事情で海外に出てその地に留(とど)まった日本人と家族に、長年心を寄せられてきた。昨年1月にフィリピンを公式訪問した際も、陛下の強い希望で、日系人と懇談されている。両陛下にとって初めてとなる今回のベトナム訪問では、「残留元日本兵」の家族と面会される。
 ▼日本軍がフランスの植民地だったベトナムに進駐したのは、1940年である。終戦時約8万人いた軍人の大半が撤収するなか、約600人が留まった。ホー・チ・ミンらが率いる「ベトナム独立同盟」(ベトミン)に参加するためだ。再植民地化をもくろむフランスとの戦いで、約半数が亡くなったとされる。
 ▼「新ベトナム人」と呼ばれた旧日本兵は、各地の士官学校の教官となって戦争の知識を教えた。54年にベトナムがフランスを破った「ディエンビエンフーの戦い」では、司令官の参謀の半分を日本兵が占めていた。
 ▼昨日の社会面で紹介されていた元日本兵はその後、現地で結婚した妻を伴って帰国を果たした。ただ、家族同伴が認められず、帰国した日本兵とベトナム人の妻や子供が離ればなれになるケースも多かった。ベトナム戦争で米国側を支持した日本への反感が強まると、残された家族は差別や嫌がらせに苦しんだ。
 ▼日本との関係が改善されるのは、90年代に入ってからだ。今やベトナムにとって最大の援助国であり、両国は「戦略的パートナーシップ」を謳(うた)う間柄である。日本語学習熱も高まり、日本に留学する学生は、中国に次いで2番目に多いそうだ。
 ▼新ベトナム人が果たした功績も、正当に評価されるようになった。両陛下は、家族の苦難の歴史を熟知されている。どんなねぎらいの言葉をかけられるのだろう。

(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2017/03/06 06:00

本日は竹島の日です。

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「竹島の日」は皇紀2665年(平成17年、西暦2005年)3月16日に島根県議会が制定したもので、百年後の皇紀2565年(明治38年、西暦1905年)1月28日に竹島の島根県への編入を閣議決定し、同年2月22日に島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行ったことに由来します.。

近年、大韓民国による不法侵入が多くみられ、政治利用されています。
韓国による不法占拠は我が国が主権を持っていなかった時代に行われ、李承晩ラインというものを韓国の大統領が勝手に引いたことによる不法占拠が始まりと言われております。
李承晩による不法占拠の被害は
韓国警備隊に拿捕された日本漁船約328隻
抑留された船員は3929人。
死傷者は44人にのぼる。(うち死亡者数は不明、確定は5人)

損害額は当時の金額で90億円を超えたと言われております。
戦争放棄を定めた憲法9条はなんの役にも立たず、逆に奪われた国民を取り返せなかったという歴史が刻まれているのです。
戦争放棄をうたっていても相手からの戦争行為は防げない、この事例を世の中に知らしめたはずの事件でしたが、当時のマスコミ各社、現在のマスゴミはそのことを問題としませんでした。

何をもって李承晩は竹島を日本領ではなく、韓国領としたのでしょうか?
韓国には明確な理由はなく、日本領であったという事実が残っているだけにすぎません。日本の領土である竹島、これを不法占拠している韓国政府、当時一緒に戦った朝鮮人たちの本性は日本人とは全く異なるものであったと言わざる得ません。
当時の朝鮮人は日本人と一緒に大東亜戦争を戦ったのですが、そのことを隠し戦勝国民にしろという訳の分からない訴えを起こしておりました。朝鮮人と日本人は戦争をしていません。少なくとの大東亜戦争では行っていないのです。
なのに、戦勝国として竹島、対馬を戦勝国連合に要求していたそうですね。
そこには何の根拠も権利もありませんでした。

昔の資料でも竹島が朝鮮領であるとの事実はなく、日本領であるという事しかありません。
資料では以下のように記載されています。
 中国で1882年に作られた韓国の歴史や地理などをまとめた書物「東藩(とうはん)紀要」に、わが国固有の領土で韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)の記載がないことが、県竹島問題研究会の調査で明らかになった。研究会は「当時の李氏朝鮮の宗主国だった清が、竹島を李氏朝鮮の領土と認識していなかったことが分かる」と話している。
 研究会などによると、当時の韓国は李氏朝鮮の時代で、宗主国の清と君臣関係にあった。書物は、李氏朝鮮の内乱後、清が支配を強化しようと、清の役人が李氏朝鮮の地理、歴史、制度などの資料を集めて編纂(へんさん)。研究会関係者が昨秋、台湾の出版社が1972年に出版した復刻版を入手した。
 韓国は、昔の地図にある「于山(ウサン)」が現在の竹島と主張。同書にある地図「朝鮮輿地(よち)図」と「江原道(カンウォンド)図」では、朝鮮半島の東側にある鬱陵島のすぐ東に「于山」が描かれ、同書の説明で「鬱陵島旁有于山」と鬱陵島の近くに于山があるとした。しかし、実際の竹島は鬱陵島の南東約90キロと離れており、位置や方角も異なる。また、同書で示す朝鮮の範囲とする経度では、竹島は入らないという。


平成23年の産経新聞にはこのように書かれてあります。
 韓国政府が日本海の島根県・竹島(韓国では独島)に新たに計画していた大型施設「独島入島支援センター」の建設を入札段階で中止した。理由は表向き安全性や環境・文化の面などで再検討が必要というが、本音は日本への外交的配慮からだといって韓国マスコミは一斉に非難している。
 韓国で「独島」は反日・愛国のシンボルに仕立て上げられ、韓国の領有権主張に反する現象にはマスコミを先頭に瞬時に一斉に発熱する“独島教”あるいは“独島ファシズム”みたいな雰囲気が世論を支配している。世界の領土紛争史でもきわめて特異な現象だが、この熱を冷まさせる一つのアイデアとして「環境問題」がある。 絶海の孤島だった竹島は長年の韓国による実力支配で埠頭(ふとう)、ヘリポート、警備隊宿舎…さまざまな施設がくっつけられ、傷だらけの満身創痍(そうい)になっている。そこに毎年、20万人以上が押しかけて上陸し、万歳を叫んだりコンサートをやったりで島は休むヒマもない。
 ところがそんなに自然を破壊しながら島は何と韓国政府指定の「天然保護区域」なのだ。日本の毎日新聞と韓国の朝鮮日報は共同で長年、環境保護キャンペーンなるものをやっているが、ぜひ「竹島・独島の自然環境を守る運動」をやってください。(黒田勝弘・産経新聞ソウル駐在客員論説委員 2014年11月8日、産経新聞朝刊掲載)


竹島は日本の領土です。日本も憲法改正、自主憲法制定にて軍隊を持ち、自分の国を領土を国民を自らの手で守れるようにしていきましょう。
それが私たち国民の使命です。
(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(3) | トラックバック:(0) | 2017/02/22 06:00

支那はいまだに後進国

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最近、これっぽっちも聞かなくなったAIIB
何時何処の路線を走っているのかよくわかりませんね。
定時運行はしているのでしょうか?正体不明の中共製のバスが発車してどのくらい経つのでしょうか?
中共のインフラ投資は失敗が多いそうですが一体この先どの様になるのでしょうか?

中共の外貨準備金も目減りしているようです。
中国外貨準備高、1月末は2.998兆ドル 約6年ぶりに3兆ドル割れ
[北京 7日 ロイター] - 1月末の中国外貨準備高は2兆9980億ドルとなり、12月末から123億ドル減少し、2011年2月以降初めて3兆ドルを割り込んだ。
ロイターがまとめたエコノミスト予想は105億ドルの減少だった。
2016年通年では、外貨準備は3200億ドル近く減少。2015年も5130億ドル減と過去最大の落ち込みを記録しており、資本流出懸念が高まっている。
中国人民銀行が公表したデータによると、1月末時点の金準備は712億9200万ドルと、12月末の678億7800万ドルから増加した。
3兆ドルを割り込んだことで、外貨準備の減少ペースに対する懸念が広がり、当局が今後、どの程度の期間、通貨と外貨準備の両方を支えることができるかについて疑問が生じている。
一部のアナリストは、外貨準備の大幅な減少と、大幅減の継続により、中国が2015年と同様に通貨切り下げを行う可能性を懸念している。切り下げがあれば世界の金融市場に混乱が生じ、米国の新政権との政治的緊張感が高まることもあり得る。
ただ、1月の減少幅は12月の減少幅(410億ドル)と比べて大幅に少なく、7カ月ぶりの低水準となった。資本流出に対する当局の取り組みが、少なくとも現時点では奏功していることが示唆された。
エコノミストらは、今回の外貨準備減少を受けて当局が規制強化を強める可能性があるとみている。
フォーキャスト(シンガポール)のエコノミスト、チェスター・リアウ氏は「外貨準備が3兆ドルを下回ったことを受け、資本規制と人民元の流動性の引き締めが続くことが予想される」と述べた。
複数のアナリストは、1月にドルの上昇基調が続いていたら、中国の外貨準備の落ち込みはさらに激しかった可能性があると指摘。ドルの軟化が外貨準備の下支え要因になった。
一部アナリストは、国際通貨基金(IMF)の指針に基づくと、中国の外貨準備の必要水準は最低で2兆6000億─2兆8000億ドルになるとみている。
コメルツ銀行(シンガポール)の新興国市場担当シニアエコノミスト、周浩氏は「外貨準備が3兆ドルを割り込んだことは、中国が介入戦略を見直す必要があることを意味している」と指摘。人民元の軟化が続くとの市場の見方が変わる可能性が低ければ、外貨準備を減らし続けることは大きな意味をなさない、との見方を示した。

このままだと厳しい局面になりかねないと指摘していますね。
世界第二位の経済大国であるはずなのにどんどん貧困化しているように見えます。
確かに海外に出てくる人も増えていますがいまいちルールがわかっていないですね。
日本も昔はそうでしたが、郷に入れば郷に従うとの精神から少しずつ評価を上げていきました。
支那人も少しずつ上げていくしかないですね。行動を正していけばおのずから評価は上がります。

しかし中共の経済は偽善と捏造で彩られているようですね。
今年もまた!GDPの地方合算が全国を45兆円多くなるも専門家は「よく制御された」と自画自賛=中国ネット「これは真面目に考えた人の負け」
2017年2月11日、中国中央人民広播電台は2016年の地方合算の国内総生産(GDP)が全国GDP統計を上回ったと伝えた。
中央人民広播電台の記者が、31の地方政府の個別発表統計を合算したところ、GDPの合計が77兆1685億6900万元(約1271兆3548億円)となり、これは国家統計局が発表した74兆4127億元(約1225兆9518億円)よりも2兆7558億6900万元(約45兆4030億円)多くなった。
記事は、統計局の発表と地方合算が異なるのは珍しいことではないと紹介。2010年から2015年までの間にも、地方合算は常に全国を上回っており、2015年では4兆6833億元(約77兆1575億円)上回った。
これと比べると、2016年は誤差が2兆元近く減少したことになるため、中国社会科学院経済研究所の袁鋼明(イエン・ガンミン)研究員は、「地方がGDPを多めに報告する現象がよく制御されたことと、統計方法が改善したためだ」と分析した。
このニュースが中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で伝えられると、中国のネットユーザーから「この数字がいったいどこから来たのかぜひ知りたいものだ」「GDP成長率が6.7%を下回っているのは3つの省だけなのに、全国平均が6.7%というまか不思議」と指摘するコメントが寄せられた。
また、「GDPと聞いただけで気分が悪くなる」「うそのニュースを聞いてもなんとも思わなくなったよ」「これは真面目に考えた人の負け」などのコメントが寄せられ、もともとこうした数字は当てにならないと多くのネットユーザーが考えているようだ。
いずれにしても、「ますますGDPの存在意義が分からなくなってきた。これは庶民の収入と何の関係もないじゃないか」というコメントにもあるように、多くの中国人ネットユーザーにとってはあまり意味のない数字のようである。(翻訳・編集/山中)

欺瞞と傲慢が作り出した世界第二位のGDPにも見えますね。
果たして中共の経済成長の中身はどこにあるのでしょうか?
非常に不思議ですね。外に国益を求めて他国と衝突する中共、共産党軍の暴走を食い止めているのかいないのかわかりませんが、中共の経済成長は7%くらいないと国内が平穏にならないそうですね。
さて、実際のところ経済発展を続けている中共ですが、内情は逼迫しているそうです。
内部向けに成長を誇示しようにもゴーストタウンが多く存在し、アフリカでの農場経営は行き詰まりを見せているそうです。
支那人達の評判の悪さが尾を引いているそうでして、身内としか商売をしないその特性が嫌われているようです。
ヨーロッパでも嫌われており、エリザベス女王なども政府からの要請を二度と受けたくないと思っているのかもしれませんね。
支那におけるシャドウバイキングの問題も大いにあり、いつ爆発するのか予断を許しません。

結局のところ中共の問題は全く解決しておらず、国民も自分の経済だけを見ており、自分が富むためには他人を蹴落としてもよいと考える人しかいないようです。
そのような人々の集まった国を後進国というでしょう。
このような国は7つくらいに分割していったほうが良いでしょうね。

日本は中共に飲み込まれてはいけません。
自分の国は自分で守れるようにしましょう。憲法の前文の書いてある諸国民ではない!と認識しておきましょう。
(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2017/02/19 06:00
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