日本人とはなんなのでしょうか?

年末年始、紅白やらで桑田慶介がいろいろと問題を起こしたことはネットを行っている人では有名ですね。
彼が何を考え、謳ったのかはわかりません。しかし、それも戦後の日本を象徴している事項なのかもしれませんね。

戦後体制からの脱却、これが如何に難しいのか考えさせられます。
このお正月に国旗を掲揚していた家は数少ないというのも平成になってからなのでしょうね。
車についけている正月飾りも数が減ったように見えます。
心斎橋商店街

しかし、大きな商店街などでは日の丸が復活してきているように見えます。
昔はフランスが売ってくれとまで言ってきた日章旗、これは素晴らしいものです。
何故、この記念する元旦に掲げないのでしょうか?
綺麗なものという意識がないのでしょうか?我が国の国旗を掲揚するのがいけないとでもいうのでしょうか?
私にはわかりません。
最近、日本人の価値が見直されてきているように見えます。
陛下、靖国、富士、桜… 「日本人になりたかった」
 〈君が代は 千代に八千代に さざれ石の~…〉
 明快な日本語で「君が代」を歌い上げた94歳になる老女は、続けて「海行かば」を口ずさみ始めた。
 〈海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍~〉
 歌詞の意味は理解しているという。ロース・テロイさん。「テルコ」という日本人名も持ち、「日本人になれるものならなりたかった」と言った。
 「緑の島のお墓」を作詞したアントニア・ウエンティさん(85)は「蛍の光」と「仰げば尊し」を歌って涙を浮かべ、童謡の「浦島太郎」を歌って、「この歌は、『両親がしてはいけないということはやってはいけない。罰が当たるよ』という意味を含んでいる」と言った。
 テロイさんのいとこにイナボ・イナボさん(故人)という男性がいた。元パラオ共和国政府顧問で、生前は、「日本軍と一緒に戦いたかった」と何度も口にしていたという。
 イナボさんは平成7年8月15日、靖国神社での戦没者追悼中央国民集会に参加した際、雑誌のインタビューにこう話している。
 「日本には大切なものが4つあります。天皇陛下と靖国神社と富士山と桜の花です。アメリカ人から『日本は小さな国だけどもルーツ、根っこがあるから強い。それは天皇陛下と富士山と桜だ。それはアメリカにはない』と聞きました」
 「日本人の戦いぶりはアジアの人々は皆知っているんですよね。それで日本を尊敬しているわけです。皇室と神社がある限り日本は倒れない。日本人が安心していられるのは、天皇陛下がおられるからですよ。天皇陛下がおられて、靖国神社があるからこそ日本は尊く、外国からも尊敬され、強い国となっています」
 イナボさんの日本への思い、そして歌詞の意味を確かめるように一言一言を丁寧に歌ったテロイさんとウエンティさん。2人の心に去来するものは何か。
 天皇、皇后両陛下のパラオご訪問が検討されていることに話が触れると、「最初、いらっしゃると聞いたときはだれも信じられなかった。まさかという気持ちで驚いた。天皇陛下にお目にかかれることを非常に楽しみにしている」と興奮気味に話した。

(編集委員 宮本雅史)

今も昔も日本人になりたいという外国人が多いのは何故なのでしょうか?
韓国人も最初は日本人であったのに裏切られ韓国人にされてしまったという話を韓国人から聞いたことがあります。
私たちも日本人だったという過去の歴史があり、日本に喜んで併合され皇民であったはずなのに一方的に戦勝国から勝手に韓国人にされてしまったという暗い過去があるとの事、同情は出来ませんがそのような歴史があったことは確かのようですね。
パラオへは陛下が訪問を検討しているとか、素晴らしいことです。
大東亜戦争の際にパラオは日本の統治下にありました。パラオは激戦地となりましたが島民の犠牲を出さないように帝国陸軍が様々な手立てを施したことで有名です。
そのパラオに陛下が行幸されるとは素晴らしいことですね。

そのパラオにまつわるお話があります。
島民に投降勧めた日本兵 「道連れにできない」
 昭和19年9月15日、米軍がパラオ・ペリリュー島に上陸を試み、多くの死傷者を出したオレンジビーチ。真っ赤な夕日に包まれた浜辺を歩くと、70年前に米軍の艦船が大挙して島を取り囲み、倒れた日米両軍の兵士が幾重にも重なり合う光景が目に浮かぶ。
 そのオレンジビーチの南側海上に平らな島が浮かんでいる。アンガウル島だ。ペリリューから南へ約11キロ。南北4キロ、東西3キロ、面積8平方キロと、ペリリューの半分以下しかない小さな島だ。かつては燐鉱石の採掘で知られたが、今も残る採掘跡は鬱蒼(うっそう)としたジャングルに呑み込まれてしまっていた。
 島の西側にあるアラブルックル・タオ(アンガウル港)の波止場の入り口には、日本軍が取り付け、破損した鉄製のバリケードが残されている。採掘した燐鉱石を船まで運ぶトロッコ用のレールが海に向かって延びている。傍のアンガウル州事務所前には「本巣市消防団」と書かれた消防車が1台駐車しているが、壊れていて動きそうにない。
 18年6月時点で、日本人1325人、島民も754人住んでいたが、ガイドのトリーシャさんによると、現在の人口は約170人になった。
 トリーシャさんが準備してくれた軽トラックの荷台に乗り、出発する。1分もすると、ジャングルだ。木々にツタなどが絡み合い、まるで緑の洋服で着飾っているようにも見える。
 ようやく1台が通れるだけの細い道を進む。アンガウル神社や宇都宮部隊59連隊の慰霊碑、米軍が上陸した北東部のレッドビーチと東部のブルービーチ、2100メートルの滑走路…。島は3、4時間で一周できるが、島全体が密林に覆われ、人の気配がない。
◇    ◇
 米軍の第81師団がアンガウル島に上陸したのは44年(昭和19年)9月17日。東北港と東港に上陸した。
 米軍の約2万1100人に対し、日本軍は1200人にすぎなかった。
 アンガウル島には当時、日本人が2600人、島民は750人ほど住んでいたが、日本人と島民の老人と婦女子はパラオ本島に移され、健康な男子島民186人が、弾薬や食料などの運搬を手伝うため、軍夫として残っていた。
 米軍の波状攻撃に守備部隊は上陸2日目に、半数を失う。最終的に日本軍は約50人が生還したが、約1150人が戦死。米軍も260人が戦死し、1354人が戦傷した。
 米軍は9月24日以降、投降を呼びかけたが、日本軍将兵は応じず、鍾乳洞に避難していた島民約186人は投降した。日本軍や日本人が「島民を道連れにはできない」と投降を勧めたのだという。(編集委員 宮本雅史)


私たちも再度日本人であることはなにかという事を真剣に考えていかなくてはなりませんね。
西欧社会とはまったく労働への価値観も異なるこの我が国の考え
価値観、これがどこから来たものであるのか、何によって支えられているものなのか?
そのようなことを再度考え直す必要があります。
きちんと考えていきましょう。

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2015/01/06 06:00
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