同志社大学の総長って酷いもんだな!

 この3月、今年もまた、大勢の若人が大学を卒業し社会に巣立ちました。卒業式では学長・総長がはなむけの祝辞を述べます。
 同志社大学では3月20日、大谷實総長が祝辞を述べました。これが誠に酷い。次世代を育成する大学の戦後70年に於いてもまだ続くGHQ洗脳のままのとんでも実態が、この祝辞に象徴されていると言えるでしょう。

                   150405同志社大谷實                

 大谷實なる総長は、国や社会で最も尊重すべきものは「一人一人の個人」であるとし、国や社会に優先するとしています。そしてこの個人主義は、憲法が高らかに謳ったもので、「悲惨な」「太平洋戦争」の「深刻な」反省から生まれた、その太平洋戦争の原因には、全体主義や「天皇中心主義」がある、そして「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」て、個人主義を謳ったのだ、というのです。

 太平洋戦争(正しくは大東亜戦争です)の原因であるとする「全体主義」とは何か、「天皇中心主義」とは何か。少なくとも戦前戦中を通して明治憲法は生きており、立憲君主制のもと普通選挙法があり帝国議会は存在し、政治の実務は議会制度により運営されていました。後智惠による運営の問題点はあるにせよ、「天皇中心主義」の制度ではないことは明らかです。このように「天皇中心主義」が戦争の原因とするところに「天皇が戦争を導いた」とする悪意があります。

 戦争は、全体主義や天皇中心主義で勝手に始まるわけはありません。単純明快な話として、マッカーサーは解任された後になって、アメリカ上院で「日本の戦争は自衛のための戦争であった」と証言しています。謀略の渦巻く国際環境の中で追い込まれた最後の政治的決断だったのです。GHQは、日本の軍国主義が戦争を起こしたと国民を洗脳しました。大谷實氏は、GHQの洗脳のままのようです。

 さらに大谷實氏は、安倍首相による憲法改正を批判するのです。安倍首相は「今日の価値の根源になっている個人主義」を否定し、「全体主義への転換」を目指していると断言しているのです。

 大谷實氏によると、「人間社会におけるあらゆる価値の根源は、国や社会ではなく、一人一人の個人にある」とし、自民党の憲法草案は「個人よりも社会や秩序優先」の考え方があるから賛成できない、卒業後は憲法改正問題に直面するだろうが、「個人主義」を思い起こせ、なぜなら「個人主義こそ民主主義、人権主義、平和主義を支える原点だからだ」と言うのです。人権主義、平和主義とは一体何なのか、それを支えるのが個人主義なのだとは、具体的な意味合いが分からない左翼好みの空疎な言葉の羅列に過ぎません。「個人主義」が「自我の確立」を言うのであれば、それは学生時代に求めるものであり、社会に出れば、自己の所属する社会や国家の一員としての責任や義務、責任や義務を果たす使命感などへの言及がなければなりません。

 大谷實氏には、社会や国家や秩序は悪と思っている節があります。人は生まれながらにしてまず個人があり、その個人との契約によって、従属概念として社会や国家が成り立っていると考えているようです。

 しかし日本は、縄文1万年の伝統に支えられた共同体社会であり、個人は生まれる前から既に共同体社会があるのです。個人のために共同体社会があるのではなく、共同体社会がよりよく発展するように個人が貢献するというのが、伝統的価値観ではないでしょうか。共同体社会の伝統に無関係な個人、すなわち日本人としての自覚(アイデンティティ)がない個人は、これからのグローバルな国際社会において、尊敬される存在にはならず役に立つことはあまりないでしょう。大谷實氏には、「日本」も「国柄」も「歴史・文化・伝統」もないようです。キリスト教系大学だからそんなものは要らないと言うのでしょうか。

 以下、大谷實総長の祝辞の全文を記します。

《祝辞》
        
2014年度同志社大学卒業式祝辞(2015年3月20日)
                 同志社総長 大谷 實 

 一言、お祝いの挨拶を申し上げます。

 皆さん、同志社大学のご卒業、また、大学院のご修了、誠におめでとうございます。学校法人同志社を代表して、心からお祝いを申し上げます。また、ご両親をはじめ、ご家族の皆様、本日は、誠におめでとうございます。心からお喜び申し上げます。

 さて、卒業生の皆さんのほとんどは、これから社会に出て活躍されるはずですが、私は、今日の我が国の社会や個人の考え方の基本、あるいは価値観は、個人主義に帰着すると考えています。個人主義は、最近では「個人の尊重」とか「個人の尊厳」と呼ばれていますが、その意味は何かと申しますと、要するに、国や社会で最も尊重すべきものは、「一人ひとりの個人」であり、国や社会は、何にも勝って、個人の自由な考え方や生き方を大切に扱い、尊重しなければならないという原則であります。個人主義は、利己主義に反対しますし、全体主義とも反対します。

 同志社の創立者新島は、今から130年前の1885年、同志社創立10周年記念式典の式辞のなかで、「諸君よ、人一人は大切なり」と申しましたが、この言葉こそ、個人主義を最も端的に明らかにしたものと考えられます。

 この個人主義について、日本の憲法は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、国政の上で最大の尊重を必要とする」と定めています。遅ればせながら、68年前の1947年5月3日に公布された日本国憲法で、個人主義を高らかに宣言したのです。

 あの悲惨な太平洋戦争の原因の一つであった、全体主義あるいは天皇中心主義といった国や社会のあり方について、深刻に反省し、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」て、全体主義・天皇中心主義の国や社会のあり方を180度転換して、「すべて国民は、個人として尊重される」としたのです。憲法13条は、まさに、日本国憲法の根幹を示すものとして規定されたのでした。

 ところで、諸君も十分判っていると思いますが、安倍首相の憲法改正の意欲は並々ならぬものがありまして、早晩、改正の動きが具体的になってくるものと予想されますが、そのために、自由民主党は自民党憲法草案なるものをまとめて公表するに至りました。その中で、「個人の尊重」という文言は改められて、「人の尊重」となっています。起草委員会の説明ですと、従来の「個人の尊重」という規定は、「個人主義を助長してきた嫌いがあるので改める」というものであります。今日の価値の根源となっている個人主義を、柔らかい形ではありますが、改めようとしているのです。このことは、これまで明確に否定されてきた全体主義への転換を目指していると言ってよいかと思います。

 先にも申した通り、日本国憲法は、個人主義を正面から認め、人間社会におけるあらゆる価値の根源は、国や社会ではなく、一人一人の個人にあり、国や社会は、何よりも、一人一人の個人を大切にする、あるいは尊重する、といった原理であると考えています。

 自民党草案の他の規定を見ましても、個人よりも社会や秩序優先の考えかたがはっきりと表れており、にわかに賛成できませんが、私は、個人主義こそ民主主義、人権主義、平和主義を支える原点であると考えています。

 卒業生の皆さんは、遅かれ早かれ憲法改正問題に直面することと存じますが、そのときには、本日の卒業式において、敢えて申し上げた個人主義を思い起こしていただきたいと思います。そして、熟慮に熟慮を重ねて、最終的に判断して頂きたいと思うのであります。

 結びに当たりまして、卒業生、修了者の皆さんのご健康とご多幸をお祈りし、併せて、一国の良心としてご大活躍されますことを期待し、また、お祈りして祝辞とします。

 本日は、誠におめでとうございます。
  http://www.doshisha.ed.jp/message/speech.html

以上
(うまし太郎)
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未分類 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2015/04/06 21:15
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