ノーベル医学・生理学賞受賞 大村教授 地元への恩返しも忘れぬ人柄

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山梨懸韮崎市出身の研究者である大村さんがノーベル賞を受賞しました。
これは本当に喜ばしいことです。
農家に生まれ、努力に努力を重ね、他人とは違う事を行ってきた大村さん
先日、TPPにて医薬品の特許期間についてアメリカが強固に反対していた時期に彼は特許を放棄し、無償で使えるようにして皆の命を助けることを選んだそうです。
その事で助かった人が10億人にも上るそうです。
医学は人の道というのを体現された方でもあります。
そんな彼の人柄のわかる話がありますので紹介します。
大村教授 地元への恩返しも忘れぬ人柄
 大村教授は山梨県韮崎市出身の80歳(1935年生まれ)。山梨大学を卒業後、東京都の定時制高校の教師となり、化学と体育を教えていたという。その後、再び研究者を目指し、東京教育大学(現・筑波大学)、さらに東京理科大学大学院へ。卒業後は北里研究所に入所し、研究者の道を歩んできた。
 その功績は国内外で認められ、紫綬褒章など数々の賞を受賞。2012年には文化功労者にも選出されている。
 一方で、地元・韮崎市への恩返しも忘れない。大村教授は開発した薬の特許で得た財産で、韮崎市に温泉を掘ったのだという。
 大村教授「(Q:なんで掘ろうと思ったんですか?)私が小さいころ、近所のおじさんやおばさんたちに、しかられたり、ほめられたり、はげまされたり。そういう人たちに何かやれることないかなと。思いついたのが温泉。温泉があたれば、みなさん楽しんでいただけて、少しでも恩返しできるかなと」
 さらに大村教授は、日本画など5億円相当の美術品のコレクションを市に寄付。2007年に「韮崎大村美術館」が設立され、自ら館長を務めている。
 大村教授「芸術作品はみんなで楽しむものだと思う。ここに開くことにしたのは、なんといっても景色。絵と自然の風景、これが合わさった場所に、これができると」

郷土愛に満ちた方ですね。そんな彼の方針は「人の真似をしない事の大切さ」だそうです。
元高校教師、スキーで国体出場も 学んだ「人まねをしないことの大切さ」…有言実行の大村流人生
 ノーベル医学・生理学賞に輝いた大村智さん(80)は元高校教師という異色の経歴の持ち主。高校時代に国体の出場経験を持つスポーツマンで、研究に必要な精神力をスキーや農作業から学んだ。常に周囲に気を配り、社会貢献への労力も惜しまない。
 昭和10年、自然豊かな山梨県神山村(現韮崎市)で大きな農家の長男として生まれた。父親は村の有力者。食糧には困らなかったが、家の手伝いは大変だった。「早朝に起こされて野良仕事。中学までに一通りの仕事をできるよう厳しくたたき込まれた」
小学3年のとき終戦を迎える。将来は農家を継ぐと考え「勉強は要らないな」と思っていた。両親も「勉強しなさい」とは言わなかったが、英語の勉強は熱心に勧めた。「後々、非常に必要になったので先見の明には驚いた」と話す。
 祖母は「世のため人のために働きなさい」。中学の先生からは「いずれ村長になるのだから、勉強を頑張らないと」と言われた。
 サッカーや卓球などスポーツが好きで、高校2年のときからスキーに夢中になり、クロスカントリーの選手として国体に2度出場するほど上達した。
高校3年のとき、父親から「勉強したいなら大学に行ってもよい」と言われ、それならと本格的に勉強を開始。だがスキーはやめず、1日の睡眠時間はたったの3時間。山梨大学芸学部自然科学科に進学した。
 大学1年のときスキーの名手で知られた横山隆策氏に入門。過酷なトレーニングに耐え、どんどん腕を上げた。また勉強しなくなったが、人生で重要なことを学んだ。「体力的にも精神的にも厳しい環境に身を置くこと、人まねをしないことの大切さ」だった。
 横山氏に師事する生徒はハイレベルで、自分よりずっと年少の子供でも上手い。その環境は負けず嫌いの大村さんを刺激した。やり方をまねているだけでは先生を超えられないことも知った。「違うことをしなければいけない」。このとき培った精神が、研究人生の大きな柱になった。
勉強しなかったわけではない。山梨大には教員の個人指導を受けられる制度があり、物質を分離・精製するクロマトグラフィーの手法を習得した。この技術も後に非常に役に立った。
 卒業後は東京都立墨田工業高校の夜間部で教壇に立ち、社会人生活をスタート。自分と大して年齢の変わらない生徒が昼間働き、夜に勉強しに来る。その熱心な姿に心を打たれた。
 試験監督で教室を見回っているとき、ある生徒の手が目にとまった。仕事で使った油を手に付けたまま、一生懸命、答案を書いている。わが身を振り返り「自分は大学まで出してもらった。それなのになぜ、あまり勉強しなかったのか」。この経験をきっかけに「もう一度勉強し直して、学問をしよう」と決心した。
 東京教育大の研究生を経て35年、東京理科大大学院の修士課程に入学。修了するまで研究生時代の2年間と合わせて計5年もかかった。朝は理科大に行って実験し、夜は高校で教鞭(きょうべん)をとる生活。自宅に戻る暇はほとんどない。
 「つらいとは思わなかったけれど、睡眠は足りなかった。それでも充実した生活だった」。東大に合格して上京してきた弟の面倒をみるため、私立大の非常勤講師のアルバイトもした。
 「言うだけでなく、実行しなくては駄目」。それが信条だ。大切にしているのは周りへの気配り、思いやりの心だという。その言葉通り、故郷の山梨県で科学スクールを開き、美術館や温泉施設を建てる社会活動にも取り組んできた。
研究や講演をこなす傍ら、本を読んで感銘を受けた言葉を20年近く、日記帳に書きためている。「こういうところにも、新しい発見があるんですよ」

努力し、言うだけではなく実行も行っていった方がノーベル賞を受賞したとの事、決して学歴だけではなく出身も関係ない事を証明されましたね。彼に続く人が多く出てくれればと思います。

受賞おめでとうございます。
(ブラッキー)

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技術 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2015/10/09 06:00
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