トルコと日本の架け橋

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本日から上映開始の映画があります。
海難1890、この映画は明治時代と昭和時代に合った事実を基に作成された映画です。
トルコが親日国となる原点の映画とも言えます。
遭難トルコ人を住民総出で救出 125年前の日本人が示した「人道」の精神…映画になった日ト友好の“原点”
 日本とトルコの友好のきっかけとなった和歌山県串本町沖でのトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遭難事故から125年。この節目に、事故を題材にした日本とトルコの合作映画「海難1890」が12月5日から全国で公開される。公開を前に、両国の要人や和歌山の関係者らの間では、悲劇を乗り越えた感動の出来事に改めて光が当たることを期待する声が相次いでいる。20カ国・地域(G20)首脳会合で先頃、トルコを訪問した安倍晋三首相も、同国のエルドアン大統領とともに映画のダイジェスト版を観賞し、親交を深めた。国や言葉の壁を超えたエ号遭難事故とはどのようなものだったのか-。

海軍「ずっと感謝」
 「エルトゥールル号の乗務員を救助してくれた串本町大島の住民に対して、トルコ海軍としていつまでも感謝している」
 10月中旬、映画のプロモーション活動などを兼ねてトルコを訪問した和歌山県の仁坂吉伸知事に、ビュレント・ボスタノール海軍総司令官はこう述べ、感謝の意を伝えた。
 トルコではこの数日前、首都・アンカラで100人以上が死亡する自爆テロがあったばかりで、一時は訪問が危ぶまれる状況だった。しかし現地の関係者の理解も深く、エ号遭難事故をテーマにしたシンポジウムは事前に「かなりの欠席者が出そう」と言われていたが、ほぼ満席になった。犠牲者に黙とうをささげた後に行われた仁坂知事の講演も、盛況だったという。
 「トルコにとって日本は特別な存在。何度か串本を訪問したが、和歌山は素晴らしい所で、映画を機にトルコ国民の間でも人気の訪問スポットになる」(ヤルチュン・トプチュ文化観光大臣)
 「日本とトルコの距離は遠いが、心は近い。トルコ人のほとんどは日本を尊敬しており、特別な愛情を持っている」(ニハット・ウスタ・トルコ・オリンピック委員会副会長)
 トルコではエ号遭難事故は教科書に掲載されるほど有名な話で、政府や各団体の関係者からは映画の公開を機に両国の関係がより深まることを期待する声が相次いだ。

両国結ぶ“絆”の原点
 エ号遭難事故とはどのようなものだったのか。
 串本町や当時の文献によると、明治22(1889)年7月14日、オスマン・トルコ帝国の皇帝、アブドゥルハミト2世の命を受け、日本への親善使節団がイスタンブールの港から出港した。その船がフリゲート艦エルトゥールル号だ。総トン数約2300トン、全長約76メートル、速力10ノットの木造船で、当時としては旧型だったという。
 エ号は明治23(1890)年6月7日に横浜港に到着。使節団は明治天皇に謁見し、皇帝から託された贈り物を献上。その後3カ月ほど東京に滞在し、同年9月15日に帰国のため横浜港を出港した。
 ところが翌16日に串本町の樫野崎沖で台風に遭遇し、波浪と強風で舵が利かなくなって岩礁に衝突、爆発を伴って沈没した。

救出劇が絆の原点に
 衝突したのは「船甲羅(ふなごうら)」と呼ばれる岩礁群。紀伊半島の南端に位置する串本町の大島の中でも、昔から海の難所として恐れられていた場所だった。
 この事故により乗組員587人が死亡したが、地元住民らが総出で不眠不休の救出活動を展開した結果、69人が救助された。
 住民らは非常食用の米などを持ち出して炊き出しを行い、自分の服を脱いで救助者に着せて温めたという。「衣服といっても(大きいトルコ人と日本人では)体格がかなり異なり、袖の長さが合わないなど滑稽な状況だったようです。また、茶碗(ちゃわん)でご飯を出しても箸が使えないため、おにぎりにしたら食べてもらえたという話もあります」。町の担当者はこう明かす。
 一命をとりとめた乗組員らは、同年10月5日に軍艦の「比叡」と「金剛」に分乗し、翌年1月2日にトルコ・イスタンブールに帰還した。2隻の軍艦はトルコ国民に感謝されながら迎えられたという。
 串本町では、遭難の翌年に慰霊碑が建立。現在も、5年ごとに両国の要人らが参加して慰霊の大祭が催されるなど、友情の絆は続いている。

エ号の“恩返し”
 エ号の救出劇は、95年を経てもう一つの感動をもたらした。
 イラン・イラク戦争中の昭和60(1985)年3月17日、イラクは突然、「48時間後に民間機を問わずイラン上空を飛ぶ航空機を撃墜する」と宣言。各国は在留の自国民の救援機を出したが、日本は出せず邦人が取り残された。
 そこでトルコ政府は日本人救出のため、イランのテヘラン空港にトルコ航空の救援機を派遣。時間ぎりぎりに到着した救援機が自国民に優先して在留邦人215人を救出した。
 「エルトゥールル号の事故での日本人の献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていない。それで、テヘランで困っている日本人を助けようとトルコ航空機が飛んだ」。救出劇の後、元駐日トルコ大使はこう述べている。トルコ側の時を超えた“恩返し”だった。

感動、涙の試写会
 「海難1890」では、エ号遭難事故で懸命の救助を行った紀伊大島の住民と、イラン・イラク戦争で救援機を出したトルコ政府の双方にスポットを当て、言葉や文化の違いを超えた人間愛が描かれている。
 地元関係者らに向けて10月下旬に行われた試写会では、2時間12分の上映中、感動的なシーンにすすり泣く声がたびたび聞かれた。上映後、仁坂知事も「涙が流れて止まらなかった。すべての人に対する『真心』がこの映画の魅力。テヘランでトルコの人に示してもらった友情を、今度はわれわれが忘れてはならない」。串本町の田嶋勝正町長も「この出来事は語り継ぐべき史実。できる限り多くの人に見てもらいたい」と話した。
 作品は国民意識や文化、風習を超えた「人道」が大きなテーマ。映画の公開は、125年前の日本人が実践した精神を再確認する機会としても注目される。

「エルトゥールル号慰霊碑」
このエ号事件では日本赤十字が初めて対外的な支援を行った事件でもあります。

そしてテヘランでの行為は如何に我が国が国民を護るという義務を怠ったかがわかる物語です。
日本航空のパイロットは行くつもりだったそうです。しかし会社の経営陣がそれを安全ではないから止めたと言われております。
いざというときには政府が指揮権を持てるはずのインフラ事業、それを一経営陣が止めることが出来ることが異常なのです。
この時の判断で飛ばして落とされたらマスコミが騒ぎだして経営が傾くとの判断があったのでしょう。
この事件で叩くべきは民間人の救助を待たずして攻撃をおこなうイラク軍であるはずが偏向マスコミは日本をたたくだけの存在です。その異常性が現れた事件でもありました。
そんな中、トルコは飛行機を出してくれた、そして朝日新聞の取材で『エ号事件の借りを返しただけ』と答えたそうです。

エ号事件は悲惨なものでありました。
当時、串本は現在のように橋で本州とは繋がっておりません。時化となれば漁に出れずに乏しい食料で生活するしかありませんでした。そこで起こった海難事故、海の人間として助けない訳には行きませんでした。
海遠くから来たトルコ人、帰る途中で海難事故にあい死にそうになっている人を助けない倫理はありません。
たとえ、食料が少なくとも精一杯助けたそうです。
・・・あまり映画の話をしては面白味がかけるというものですのでこちらをご覧ください(笑)
トルコと日本
「エルトゥールル号難破場所」
エルトゥールル号難破場所は普段はなんでもない場所です。静かな場所でした。しかし、天候が悪化し海が荒れ自然が牙をむいたそうです。
今でもこの場所には慰霊碑が建てられ、地元の人々によって綺麗にされております。
丁度今年大阪方面からの高速道路が延長しました。
皆さん、一度訪れてみては如何でしょうか?
歴史を振り返りましょう。

今、トルコは危機が迫っています。ISILを支援している人間がいるようでして。トルコへ原油を運んでいたり、武器の経由地ともなっております。
もしかすれば政府がそれを後押ししているのかもしれません。
ISILは許されない行為をしていますが、その成長をサポートしたのは欧米です。
しっかりと考えましょう。
(ブラッキー)
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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2015/12/05 06:00
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