国家すら歌えないのは恥ずかしい

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先日、国立大学の学長が自らの立場すら否定するような発言を行った事は皆さん記憶に新しいと思います。
国立大学なので校歌よりも国歌の方が重要なのは当たり前です。
大学で何を教えているのでしょうか?
国際社会に打って出れる人間を育てるためにも大学というものはあるのです。
その大学で自分の国の国家すら歌えないのは恥でしかありません。
国際社会に出た際に自分の国の事も知らない、国家も歌えないでは誰にも信用されません。
自らの出身を謳う、話すというのは国を出る際には当たり前の事です。それを個人のだからと言って歌えなくても良いと思っている人は常識知らずでしかありません。

朝日新聞がまた常識はずれの事を書いています。
国歌歌わないのは「恥ずかしい」? 大臣発言の背景は
 岐阜大の学長が、今春の卒業式と入学式で国歌を斉唱しないと表明した。伝統の愛唱歌を歌うのだという。それに対して、馳浩文部科学相が「国立大学としてちょっと恥ずかしい」と批判した。歌わないのは、そんなに恥ずかしいことなのか。
 「君が代がふさわしくないとは思わないが、(愛唱歌は)式典で歌ってきた歌。伝統がある歌で、大事にしたい」。2月17日、岐阜大の定例記者会見。森脇久隆学長は今年の卒業式と入学式で国歌斉唱をするのか記者に問われ、こう答えた。これまで通り、大学の愛唱歌「我等(われら)多望の春にして」を歌うという。
 唱歌「ふるさと」などで知られる岡野貞一氏が作曲した歌で、応用生物科学部の前身の旧制岐阜高等農林学校の校歌だった。長年、同窓会などで歌い継がれ、2011年に大学の愛唱歌に制定された。翌年の入学式から歌われている。
 「我等多望の 春にして この学園に 師を得たり」。正門近くのバス停に歌詞が掲げられている。「学生にも一定の認識がある」(広報)。男性教員は「希望にあふれた歌詞が気に入っている」と話す。
 一方、馳文科相は21日、記者団に、「学長が言及することはちょっと恥ずかしい」と述べた。23日の会見でも、「一つの自主的な判断」としながらも「私が学長なら君が代斉唱が望ましいと思う」と指摘。国立大には交付金として多額の税金が支払われていることに触れた上で、「我が国社会の支援に感謝の気持ちを示す姿勢も儀式儀礼にはある。日本人として、特に国立大学として、こういうふうにおっしゃることはちょっと恥ずかしい」と再び批判した。岐阜大の関係者によると、電話やメールで抗議の声が大学に複数寄せられたという。
 そもそも、大学は国旗国歌をどう扱わないといけないのか。国旗国歌をめぐっては昨年6月、下村博文前文科相が全国立大学長に、「国旗・国歌の適切な取り扱い」を要請した経緯がある。文科省によると、小中高校は学習指導要領に「入学式や卒業式などでは国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導する」とある。1989年の改訂で事実上義務づける表現に変わった。一方、大学の教育内容については国の統一基準はなく、国旗・国歌についてのルールもない。「大学の自治」の原則があるためで、国は式典の方法などに介入できない。

ルールがないのがいけないというのでしょうか?ルールで縛るのが良いとでも言うのでしょうか?
それとも規定しないと歌ってはいけないのでしょうか?
朝日新聞の記事の方がはずかしい行為ですね。
大学にもなって国歌すら歌えないのは恥でしかありません。社会人として失格です。
そのような当たり前のことを言えないのがおかしい事ですね。
謳えないのがおかしいし、謳わない神経がおかしいのです。
それをルールに記載していないから自由だというのははなはだ勘違いが過ぎます。

何もしなければ郷土愛、愛国心は育まれるものです。
それを教育で阻害させているのが現在の教育と言わざるえません。
何としても教育を取り戻しましょう。
(ブラッキー)

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教育 | コメント:(2) | トラックバック:(0) | 2016/03/10 06:00
コメント:
No title
 朝日新聞は、自ら日本を否定する立場を明らかにしたものだと思います。
 単にこの記事だけで無く、全ての記事に於いて表面的な文言の裏にある本意を看破すれば、日本に対する否定とチャイナに対する、ネイティブチャイニーズ以上の忠誠心が読み取れます。
 この記事はこれまでのアサヒ新聞の本質を、“日本の報道機関という外皮を被ったチャイナ広報機関”の立場でうっかり表現してしまったものでしょう。
No title
人民網(中国共産党機関紙)の社説を、そっくり“朝日新聞社説”でつかっていたことは知る人ぞ知る。
「安倍の葬式は朝日が出す」若宮前主筆の発言である。
民主主義国家の新聞ではない。革命機関紙である。
「朝日新聞の葬式は日本国民が出す」。
『アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む、アカヒ新聞』

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