神武天皇 式年祭

12888774_605759406266280_6970230989230172643_o.jpg
先日、陛下が神武天皇祭のために橿原神宮にご行幸なされました。
今年は神武天皇が崩御なされてから丁度2600年に当たります。
2600年、あまりにも古い歴史ですので本当か?と問われれば明確にはわからないとしか答えようがありません。
しかし、それほど昔から我が国の歴史が続いているという事は誇りに思っても良いのではないでしょうか?
これだけ大規模な祭事に対して各テレビ局は特別番組を組んで詳しく解説しても良いくらいだと思いますが、何故か我が国の文化・伝統を報道するのをテレビなどは控えているようです。
何がいけないのでしょうか?少なくとも民主党の馬鹿が何かしたとかいう報道よりも意義のある記事が番組が作れるのではないでしょうか?

一応、公共放送になりたがっているNHKが報道しております。
天皇皇后両陛下 神武天皇の式年祭に
天皇皇后両陛下は、神武天皇の崩御から2600年になるとされる3日、奈良県にある天皇陵を訪れ、式年祭に臨まれました。
2日から奈良県を訪れている天皇皇后両陛下は、午前10時すぎ、橿原市にある神武天皇陵に到着されました。神武天皇は、日本書紀などに登場する初代の天皇で、3日で崩御から2600年になるとされます。
式年祭には秋篠宮ご夫妻も付き従われ、初めに天皇陛下と秋篠宮さまが、宮内庁の幹部の先導で鳥居をくぐり、砂利道をゆっくりと歩いて木立に囲まれた天皇陵の前に進まれました。そして、天皇陛下が玉串を供えて拝礼され、秋篠宮さまもこれに合わせて拝礼されました。
続いて、天皇陛下がお気持ちを表す「御告文」を読み上げられました。このあと、皇后さまと紀子さまも同じように拝礼されました。
両陛下は、午後には、神武天皇をまつる橿原神宮を参拝されることになっています。
一方、皇居でも、天皇陛下の名代の皇太子さまなど皇族方が、歴代の天皇や皇族の霊がまつられている「皇霊殿」で儀式に臨まれ、雅子さまも古式ゆかしい装束に着替えて7年ぶりに宮中祭祀に参列されたということです。

あまりにも簡単に書いておりますが、そんなに軽い話ではありません。
2600年以上前より我が国の歴史が続いているという事の意味を真剣に考えていく必要があるのでは?と思わないでもありません。

新しい歴史教科書をつくる会が解説しております。
神武天皇二千六百年式年祭を迎えて
「二千六百年」式年祭
今年は「神武天皇二千六百年式年祭」の年にあたる。じつに百年ぶりの初代天皇の式年祭だ。皇室はもちろん、国民にとっても、すこぶる意義深い年めぐりと言える。
と申しても、その事実自体に気づいていない国民が、圧倒的多数ではないか。そのことは、皇室を深く敬愛する人々にとっても、あまり事情は違わないだろう。「式年祭」そのものについても、十分に理解している人は、果たしてどのくらいいるだろうか。
そのことは、戦後日本の皇室をめぐる重大な「欠落」を反映している。皇室の伝統についての基礎的な素養を与えられる「場」が、学校教育をはじめ、メディアその他でもほとんど存在していないのだ。
皇室にとって祭祀がどれほど大切か。かつて三島由紀夫は、世界各国の元首と天皇の相違について、次のように述べた。「大統領とは世襲の一点においてことなり、世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる」と。
祭祀は人間が“聖なる次元”に反復的につながるための、ほとんど唯一の営みである。天皇はつねに心身を清め、無私の境地で神聖な祭祀に携われることで、“国民統合の中心”“国家秩序の頂点”たる地位に求められる超越性を、より揺るぎないものにしてこられた。日本の歴史は、そのような天皇を中軸にすることによって、悠久の歳月を断絶なく、持続することができた。

「式年祭」とは
その天皇の祭祀は現在、およそ三つに整理できる。一つは皇祖への祭祀。二つ目は皇室の祖先(皇霊)への祭祀。三つ目が神々への祭祀だ。
これらの中で皇霊への祭祀には、毎年、春分の日・秋分の日に、皇居にある宮中三殿の一つ、皇霊殿で執り行われる春季・秋季皇霊祭のほか、歴代天皇のご命日(崩御相当日)に行われる祭典がある。
後者は、大祭として天皇陛下ご自身が御告文を読み上げられる初代の神武天皇祭(四月三日)と先帝の昭和天皇祭(一月七日)、小祭の先帝以前の三代、孝明天皇(一月三十日)・明治天皇(七月三十日)・大正天皇(十二月二十五日)の例祭が、それぞれ毎年、執行されている。
それに加えて、節目の年(式年)ごとに歴代天皇と先后(先代の皇后)のご命日に行われるのが「式年祭」だ。式年は崩御後、三年目、五年目、十年目、二十年目、三十年目、四十年目、五十年目、百年目、以後さらに百年目ごと。式年祭は途絶えることなく、いつまでも続けられる。
かくて本年は、神武天皇「二千六百年」式年祭を迎えることになった。
今年の四月三日、天皇陛下は奈良県橿原市にある神武天皇山陵(畝傍山東北陵)にお出ましになり、二千六百年式年「山陵祭」を厳修される。

世界最古の君主のご血統
もちろん、『日本書紀』の古い時代にかかわる記述は学問上、あつかい方に注意が必要だ。その史実性をめぐり江戸時代からさまざまな議論があった。とくに神武天皇の即位が「辛酉年」とされている点については、シナの讖緯説の影響と見る那珂通世博士の説が、今でも支持されている。
戦後の歴史学では、十分な論証もないまま神武天皇の実在それ自体を否定する立場が、むしろ学界の主流だった。神武天皇は「神的・宗教的色彩が濃い」「神話的人物」にすぎない(新編日本古典文学全集『日本書紀1』解説)と。さらに皇統の断絶、交替を唱える「王朝交替説」が一世を風靡した時期もあった。
それらは厳格な学術研究の成果と言うより、露骨な政治的意図にもとづくか、時代思潮への迎合や保身を動機としている場合が多いように見える。
もちろん、尊厳なる皇室ご自身のお立場としては、論争や訂正、変更の可能性をつねにかかえる特定の学説に、軽々しく依拠されるわけにはいかない。厳粛な式年祭なども公的権威を帯びた皇統譜に立脚されるのが当然だ。
戦後に現れた新奇な学説の盛衰はともあれ、世界の現存する二十八の君主国のどの君主の家系と比べても、わが皇室のご血統が千年以上も古く遡るのは、疑う余地のない客観的事実である。
マルク・ブロックは「(ゲルマン民族の大移動以降)ほとんど西ヨーロッパのみが・・・外部からの攻撃や他所者の流入に妨げられることなく、はるかに規則正しい文化的・社会的発展が可能になった」と指摘する。そのような文化・社会の連続性は「日本以外のほとんどいかなる地域とも共有することのない・・・異例の特権」である、と。
だが、わが国の歴史の連続性は西ヨーロッパをはるかに凌駕する。しかも同じ国、同じ君主の血統が一貫して続いているのだ。神武天皇二千六百年式年祭を迎え、私どもはその稀有な事実の意味に改めて想いを致すべきだろう。


歴史をなくした民族は滅ぶ、これは絶対です。生きていても民族性が無くなるのです。
しっかりと受け伝えていきましょう。
(ブラッキー)

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2016/04/08 06:00
コメント:

管理者のみに表示