核の炎 アメリカによる民間人虐殺

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先日、アメリカ大統領が広島を訪れ慰霊を行いました。
このニュースは様々な背景があり、様々な意見が出ている事項です。
民間人に対して実態実験として初の核爆弾を落としたアメリカ、この罪は非常に重たいものがあります。

このような記事があります。
広島原爆投下を眼下に見た紫電改操縦士がいた!「これは戦争じゃない。虐殺だ…」
原爆は戦争ではない。虐殺だ。
 1945(昭和20)年8月6日午前7時45分、22歳だった第343海軍航空隊(通称・剣部隊)少尉、本田稔は、兵庫県姫路市の川西航空機(現新明和工業)で真新しい戦闘機「紫電改」を受け取り、海軍大村基地(長崎県大村市)に向けて飛び立った。
 高度5千メートル。抜けるような青空が広がり、眼下には広島市の街並み、そして国宝・広島城が見えた。
 その瞬間だった。猛烈な衝撃にドーンと突き上げられたかと思うと紫電改は吹き飛ばされた。操縦桿は全く利かない。必死に機体を立て直しながら地上を見て驚いた。
 「街がない!」
 広島の街が丸ごと消えていた。傾いた電柱が6本ほど見えるだけで後はすべて瓦礫。炎も煙もなかった。
 やがて市中心部に真っ白な煙が上がり、その中心は赤黒く見えた。白い煙は猛烈な勢いで上昇し、巨大なきのこ雲になった。
「弾薬庫か何かが大爆発したのか?」
 そう思った本田は大村基地に到着後、司令部に事実をありのまま報告したが、司令部も何が起きたのか、分からない状態だった。
 正体は原子爆弾だった。
 米軍B29爆撃機「エノラゲイ」は高度9600メートルからウラン型原爆「リトルボーイ」を投下、急旋回して逃げ去った。
 午前8時15分、リトルボーイは地上600メートルで炸裂した。閃光、熱線に続き、超音速の爆風が発生した。
 本田が見たのは、この爆風で廃虚と化した広島の街だった。この後、大火災が発生し、この世の地獄と化した。
 本田が、広島に米軍の新型爆弾が投下されたことを知ったのは2日後の8月8日だった。翌9日、大村基地から大村湾を隔てて15キロ南西の長崎市で再び悲劇が起きた。
 9日午前11時2分、B29「ボックスカー」はプルトニウム型原爆「ファットマン」を長崎市に投下した。第1目標は小倉(現北九州市)だったが、視界不良のため長崎市に変更したのだ。
 広島と同様、空襲警報は発令されず、大村基地にも「敵機接近」との情報はもたらされなかった。
 本田は食堂で早めの昼食を食べていた。突如、食堂の天幕が激しく揺れ、基地内は大騒ぎとなった。
 まもなく上官が本田らにこう命じた。
 「長崎に猛烈な爆弾が落とされて病院はすべてダメになった。収容できない被害者を貨車で送るから大村海軍病院に運んでほしい」
 本田は手の空いている隊員20人を率いて海軍病院に向かった。
 海軍病院前にはすでに貨車が到着していた。扉を開けると数十人が横たわっていた。だが、体は真っ黒で髪もなく、服も着ていない。男女の区別どころか、顔の輪郭も分からない。息をしているかどうかも分からない。
 「とにかく病院に運ぼう」
 そう思い、担架に乗せようと1人の両腕を持ち上げるとズルッと肉が骨から抜け落ちた。
 甲種飛行予科練習生(予科練)を経て海軍に入った本田は41年の日米開戦以来、インドネシア、トラック諸島、ラバウルなど各地で零式艦上戦闘機(零戦)の操縦桿を握り続けた。ガダルカナル島攻防では、盲腸の手術直後に出撃し、腹からはみ出した腸を押さえながら空戦したこともある。本土防衛の精鋭として剣部隊に配属後も、空が真っ黒になるほどのB29の大編隊を迎え撃ち、何機も撃墜した。この間に何人もの戦友を失った。
 そんな百戦錬磨の本田も原爆の惨状に腰を抜かした。
 「地獄とはこういうものか…」
 剣部隊司令で海軍大佐の源田実(後の航空幕僚長、参院議員)は本田にこう語った。
「もし今度、新型爆弾に対する情報が入ったら俺が体当たりしてでも阻止する。その時は一緒に出撃してくれるか」
 本田は「喜んで出撃します」と返答したが、その機会は訪れることなく8月15日に終戦を迎えた。
 戦後、本田は航空自衛隊や三菱重工に勤め、テストパイロットとして操縦桿を握り続けた。90歳を越えた今も広島、長崎の悲劇を忘れることはない。そして原爆搭載機に向かって出撃できなかった無念もなお晴れることはない。
 「長崎の人たちには本当に申し訳ないと思っています。本土防衛の役目を担った私たちがあんなに近くにいたにもかかわらず…」
 本田は涙をにじませ、こう続けた。
 「戦争というのは軍人と軍人の戦いのはずだ。だから原爆は戦争じゃない。非戦闘員の真上で爆発させるんですから。虐殺ですよ」
×     ×     ×
 1945年7月26日、第33代米大統領のハリー・トルーマンは、英首相のウィンストン・チャーチル、中国国民政府主席の蒋介石と連名で、日本政府にポツダム宣言を突きつけた。宣言は13章あるが、その趣旨は最終章に集約されている。
 「われわれは日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、その行動を十分保障することを求める。これ以外の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみ」
 これは単なる脅しではなかった。米国は7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード実験場で初の原爆実験を成功させた。「完全なる壊滅」とは原爆投下を意味したのだ。
 トルーマンのこの時期の言動を追うと、日本への「原爆投下ありき」で動いていたことが分かる。
 トルーマンは、知日派の国務長官代理、ジョセフ・グルーの進言を通じて「国体護持」(天皇の地位保全)さえ保証すれば、日本が降伏すると踏んでいた。にもかかわらず、陸軍長官、ヘンリー・スティムソンが作成したポツダム宣言の草案から「天皇の地位保全」条項を削ってしまった。日本があっさりと降伏すれば、原爆投下のチャンスが失われると考えたからだとみるのが自然だろう。
 ポツダム宣言は、7月17日~8月2日にベルリン郊外のポツダムで行われたトルーマン、チャーチル、ソ連共産党書記長のヨシフ・スターリンとの会談の最中に発表された。
 すでにソ連は対日参戦に向け、着々と準備を進めていたが、スターリンは名を連ねていない。当時、日本外務省と在ソ大使館の暗号電文は解読されており、日本が日ソ中立条約を信じてソ連に和平の仲介役を求めてくることが分かっていたからだ。トルーマンも、その方が原爆投下まで時間を稼げると考えたようだ。
 第32代米大統領、フランクリン・ルーズベルトが、軍と科学者を総動員して原爆製造の「マンハッタン計画」をスタートさせたのは42年8月だった。当初はドイツへの使用を想定していたが、44年9月には日本に変更した。
 秘密主義者のルーズベルトは、副大統領だったトルーマンにも計画を教えなかった。45年4月12日にルーズベルトが死亡し、後を継いだトルーマンはスティムソンから計画を聞かされ、さぞ驚いたに違いない。
 すでに原爆は完成間近で4月27日の目標検討委員会の第1回会合では、日本の17都市を「研究対象」に選定した。5月11日の第2回会合では、京都、広島、横浜、小倉の4カ所を目標に選んだ。原爆の効果を正確に測定するため、4都市への空襲は禁止された。
 7月に入ると、B29爆撃機による投下訓練が始まり、ファットマンとほぼ同一形状、同一重量の爆弾「パンプキン」が目標都市周辺に次々と投下された。
 米公文書によると、米軍内で広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原爆を投じるよう命令書が出たのは7月25日だった。ということは、トルーマンはポツダム宣言発表前に原爆投下を命じていたことになる。
 トルーマンはなぜこれほど日本への原爆投下にこだわったのか。
 ポツダム宣言発表時、海軍の戦艦、空母など主力部隊は壊滅に近く、制空権、制海権はほぼ失われ、日本陸海軍は戦闘機による特攻などでわずかな抵抗を続けているにすぎなかった。
 B29爆撃機はほぼ連日空襲を続け、ほとんどの都市は焼け野原と化し、首都・東京も市街地の5割強が焼失。原爆を使用せずとも降伏は時間の問題だった。
 米政府内でもスティムソンやグルー、海軍長官のジェームズ・フォレスタル、陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルらは原爆投下に反対していた。太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツや、太平洋陸軍総司令官のダグラス・マッカーサーは原爆の存在さえ知らなかった。トルーマンに同調したのは国務長官のジェームズ・バーンズだけといってもよい。
 それでもトルーマンを原爆投下に突き進ませたのは、ルーズベルトが45年2月にスターリンと結んだヤルタ密約の存在が大きい。
 スターリンは、ルーズベルトに対し、ドイツ降伏後3カ月以内にソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦に踏み切ることを約束。見返りとして南樺太や千島列島の引き渡しや、満州の鉄道・港湾権益を要求した。
 そもそも日米が開戦に至る対立は満州・中国での権益争いに始まったことを考えると本末転倒だといえるが、すでに病が悪化していたルーズベルトはスターリンにまんまと乗せられた。
 トルーマンは大統領就任後、金庫から出てきたヤルタ密約を見て驚愕したという。ポーランドやドイツの統治をめぐってもソ連との対立はすでに顕在化していた。トルーマンは「戦後のソ連との覇権争いで優位に立つには原爆しかない」と考えたとみられる。
 こうして8月6日、広島に原爆が投下された。慌てたソ連は8日に日本に宣戦布告。9日には長崎に原爆が投下され、2都市で計21万人の尊い命が失われた。日本政府は、昭和天皇の聖断により、14日深夜にポツダム宣言を受諾した。
 広島への原爆投下をマニラで知ったマッカーサーは記者にこう語った。
 「これであらゆる戦争は終わった。戦争はもはや勇気や判断にかかわる問題ではなくなり、科学者の手に委ねられた。もう戦争は起こらないのだ」
 トルーマンは死ぬまで自らの行為を正当化し続けた。58年2月、米テレビで原爆投下についてこう語った。
「日本への上陸作戦には150万人の兵力が必要で25万人が戦死すると推定された。だから強力な新兵器を使用するのに何ら良心の呵責を感じなかった。夜もぐっすり眠れた…」
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※この記事は、好評発売中の「国会議員に読ませたい敗戦秘話」(産経新聞出版)から抜粋しました。産経新聞の東西編集局が特別取材班を組み、あまり光があたることのなかった先の大戦末期から現代までの70年の歴史を貴重な証言をつむぎながらたどったノンフィクションです。
 「敗戦」という国家存亡の危機から復興し、国際社会で名誉ある地位を築くまでになった日本。その重要な節目節目で歴史の歯車を回し続けたのは、声高に無責任な主張を繰り返す人々ではなく、ごく少数のリアリストたちでした。彼らが東アジアのちっぽけな島国の独立自尊を保つべく奔走してきた事実を埋もれさせてなりません。
 安倍晋三首相は、憲法改正について「私の在任中に成し遂げたい」と明言しています。つまり在任中に衆参両院で改憲勢力が3分の2以上を占める情勢になれば、米軍占領下の1947年5月に施行以来、指一本触れることができなかった「平和憲法」の是非を国民一人一人に問いたいと考えているわけです。
 決断の時は迫りつつあります。国会議員が与野党を問わず、戦後の真の歴史を知らずして、その時を迎えるとしたら、日本国民としてこれほど不幸なことはありません。
 国会議員よ、歴史から目をそむけまい。本書にはこんなメッセージがこめられています。

アメリカは自国の利益だけのために原子力爆弾を日本に二発も落としたのです。しかも秘密裏にその計画は進められていました。
狂人とも言われたルーズベルト大統領、その利益を最大にするために原子力爆弾は使われたのです。
そして亡くなった多くの日本国民、実験台にされた国民はこの話を聞いてどのように思うのでしょうか?
時間と共に憎しみは薄れていきますが、悲しみはそのままです。現在アメリカ以外の国も核兵器を持つようになりました。
核の脅威に対抗するには同じ核兵器しかありません。大統領が広島に来た際に核兵器のスイッチを持ち歩いていたそうですね。
アメリカも核の力から解き放たれてはいません。
核兵器廃絶、これには非常に永い時間が掛かる事でしょう。そして廃絶した時には核兵器以上の威力を持った兵器が作られているに違いありません。
すべての被害者に哀悼の意を表します。
アメリカ人の捕虜12名も原爆の犠牲となっております、朝鮮人も数千名犠牲になっております。そして広島だけでも14万人もの国民が犠牲になっております。
現職のアメリカ大統領が謝罪しても仕方ありませんし、許されることでもありません。そして国家が自らの行為を詫びて謝罪することはその時戦った英霊の御霊を侮辱する行為です。普通は出来ませんしやりません。求めもしないでしょう。
死人に鞭を打つことは出来ません。少なくとも私達日本人は行う事はないでしょう。

オバマ大統領よ、謝罪に来るなら一個人で訪問してください。大統領である間は核廃絶に力を注いでください。それがあなたが自らに課せた役目だと私は思います。

我が国は原爆程度では変わりません。教育をおかしくされ、報道すべてに規正が敷かれて変な人がたくさんおりますが、本質的には変わっていないと思います。
自然と共に生き、自然と共に死ぬ、そして手を取り合い助け合いの精神で生きる、周りの人々と主に脅威に対して相対する。
人を人として扱い共に生きる。基本的に差別のない世界が日本にはあります。時々変なマスコミなんかがいるので差別が全くないとは言いませんが他国を見た時には全然ないと胸を張って言うことが出来ます。
そんな日本が私は好きです。

オバマ氏の演説はまた後日上げたいと思います。
皆さんもいろいろな考えがあると思いますが、前を向いて行動することを願います。
(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2016/06/07 06:00
コメント:
No title
>核兵器廃絶、これには非常に永い時間が掛かる事でしょう。そして廃絶した時には核兵器以上の威力を持った兵器が作られているに違いありません。<
 核廃絶は、核を越える大量殺戮兵器の出現以外に考えられない・・・そうですね。
 核廃絶は理論的にもあり得ませんが、オバマが核廃絶を唱えると、日本の政治家のみ反対が出来ない。同調して核廃絶を訴えなければ政治家としては存在し得ない。つまり核廃絶は日本に対してのみ、核武装を禁止する効果があるのだと言うことに気がついて欲しい。
 

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