三笠宮崇仁親王殿下がご薨去あそばされました。

三笠宮寛仁親王殿下
昨日の朝、三笠宮寛仁親王殿下が薨去なされました。
謹んで哀悼の意を表します。

三笠宮さま薨去される 天皇陛下の叔父、100歳
 大正天皇の第4皇男子で、天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下が27日午前8時34分、入院していた東京都中央区の聖路加国際病院で薨去(こうきょ)された。100歳で、皇位継承順位は第5位であられた。三笠宮さまの薨去により、皇室は19方、皇位継承資格者は4方となった。
 三笠宮さまは平成24年に心臓の僧帽(そうぼう)弁が十分に機能しないために血液が逆流する鬱血性心不全と診断され、96歳でご手術。今年5月16日に急性肺炎で同病院に入院された後、心機能の低下が確認され、体調悪化が懸念されていた。


宮内庁では親王殿下の御活動を載せておりますので紹介します。
三笠宮家のご活動
戦後,東京大学文学部研究生として「古代オリエント史」を専攻された殿下は,昭和29年に創設された(社)日本オリエント学会に参加され,また,昭和50年には三鷹市に設立された(財)中近東文化センターの総裁となられ,平成17年7月から名誉総裁に就任されています。
殿下は,昭和30年以降,東京女子大学や青山学院大学などの講師として「古代オリエント史」を講義され,また,昭和60年度から平成14年度まで,東京芸術大学美術学部の客員教授として特別講義をされました。
その間,公式訪問,学術的国際会議への参加および史跡調査のため約30回外国に旅行されています。平成3年11月には,フランスの「碑文・文芸アカデミー」の外国人会員に,平成6年6月には,ロンドン大学の「東洋・アフリカ研究学院」の名誉会員に就任されました。
また殿下は,戦後の混乱を収拾し,平和な文化国家を育成するためには,レクリエーションやスポーツが大切であることを痛感され,全国各地を廻られてその発展に大いに寄与されました。
妃殿下は,殿下の海外ご旅行には常に同行されて諸外国との友好親善に努められ,史跡調査に当たっては,映画やスライド撮影により殿下のご講義の資料収集に内助の功を発揮されました。
昭和23年に,恩賜財団母子愛育会の総裁に就任され,東京や地方における各種行事にご出席になり,母子保健に従事する人たちからのお話をお聞きになり,関係者を励まされていましたが,平成22年9月総裁を辞任されました。また,日本赤十字社の名誉副総裁として,地方で催される行事にもご出席になっています。


この薨去を受けて安倍総理が謹話を述べられました。
内閣総理大臣謹話
 三笠宮崇仁親王殿下の御訃報に接し、悲しみの念に堪えません。
 殿下には、大正天皇の御四男としてお生まれになり、昭和時代からの長きにわたり、御兄君昭和天皇及び今上陛下を助けられ、国の平和と国民の福祉のために貢献してこられました。殊に国際親善やスポーツ、レクリエーション、芸術、文化、医療、福祉等幅広い分野にわたり、皇族として、重要な役割を果たされ、各種の記念式典や大会に御臨席の際には関係者を励まされるなど、国民と親しく接せられました。
 また、殿下は、古代オリエント史の研究者としても著名であられました。
 殿下は、お年を召されてからは、静かな日々をお健やかにお過ごしになり、昨年には、百寿をお迎えになりました。国民は、殿下の一層の御長寿を願っておりましたところ、思いもむなしく薨去されましたことは、誠に哀惜に堪えません。
 皇室を始め御近親の方々の深いお悲しみを拝察申し上げ、ここに、国民と共に慎んで心から哀悼の意を表します。


先日100歳の奉祝をお祝いした殿下に哀悼の意を謹んでお送りさせていただきたいと思います。

(吉矢秀人)

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
歴史 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2016/10/28 06:00
コメント:
No title
 皇室最長老の三笠宮殿下が薨去あそばされました。
 謹んで哀悼の意を表します。

 このような時にあるいは不謹慎かも知れませんがマスコミの報道には不遜の表現が多々見受けられ、その意図するところに疑念を感じざるを得ません。
 まず皇族の最長老に対し逝去という語を用いたものが少なくないこと。中には薨去(逝去)と注記したものもあって皇室を蔑ろにするマスコミの体質がはしなくも垣間見えたおもいがします。
 また、三笠宮殿下が戦争中、終戦時、軍部を批判、叱責されたと伝えています。先帝陛下も明治天皇も“君臨すれども統治せず”政治に口出しされることを厳に慎まれておられました。
 現在は更に陛下はもとより皇族も政治的発言を慎まれておられる上に、マスコミは鵜の目鷹の目で皇族を論難する材料を探しているような姿勢が見えるところ、殿下が軍を批判したことをことさらに褒め称えています。
 日本帝国は男子皇族の軍務を義務づけており、且つ軍律優先であったと聞き及びます。下級将校、終戦時でも中佐であり、軍を非難叱責することは明らかに皇族としての発言であり政治介入そのものでした。
 現今のマスコミが陛下のご発言をことさら政治的だとして非難がましい報道する姿勢からすれば
殿下の戦時中の発言は平和主義に沿ったものとして称揚するのはおかしいのではないでしょうか。
 又、殿下が優れて軍を批判する発言を繰り返した・・・とのコメントに引き続き、南京に赴任されたと言っていました。
 所謂南京事件に関して、殿下も(ご存知だったから)批判的だったと視聴者は受け止めるのではないでしょうか?
 殿下は現場を見たことも報告を聞いたこともあり得ないのです。
 なぜなら所謂南京事件そのものが捏造であり、無かったことがすでに完全に証明されて居るからです。
 悪質な印象操作だと思います。

管理者のみに表示