事実を伝えていくこと

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朝日新聞が捏造した慰安婦問題
朝鮮半島系の勢力はその捏造話を戦勝国連合の一部機関を使って記録遺産にしようとしています。
朝鮮半島の男性はこの事態に怒りを覚えないのでしょうか?
20万だか50万だか慰安婦にされた女性がいるとか言っていますが、今の人口で考えても2000万の女性のうち50万も強制連行されたというのであれば、それは大ニュースです。
2.5%の女性が連れ去られるともなれば朝鮮の男性は何をしていたのでしょうか?
妻を娘を強制連行されたのに指をくわえて黙って見ていたのでしょうか?
もし本当にそうであれば屈辱の歴史以外の何物でもありません。
本当にあったことなのか、日本が悪いというネタにしたいがため自らを貶めても良いのだろうか?
考えてもらいたいものです。

さて、日本はそのような捏造話を世界遺産に登録したユネスコとかいうプロパガンダ機関に対して、糺すまで分担金を停止させるそうですね。
正しい歴史というものを伝える気がなく、捏造を認定して戦勝国が有利な歴史を作り上げようとする腐った期間に対して楔を打つという意味でもふさわしいと思います。
朝鮮半島の人間はよくよく考えたほうが良いでしょうね。
事実を伝えるには痛みが伴う事を覚えたほうが良いでしょうね。

さて、そのような捏造を申請してきた朝鮮人に対してユネスコの認定機関がこのような話をしています。
記憶遺産申請の慰安婦文書が「ホロコーストを曲解」 ユダヤ系団体が意見書
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(記憶遺産)に登録申請された慰安婦に関する文書について、カナダのトロントにある「カナダ・イスラエル友好協会」が「申請者はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の意味をねじ曲げている」と批判する意見書をユネスコに送付していたことが23日、分かった。意見書は、ユネスコが一部加盟国の「政治的道具になった」とした上で、「性奴隷」「慰安婦20万人」の主張は裏付けを欠くと指摘している。
 ユネスコへの登録申請は、日本や中国、韓国など8カ国・地域の14市民団体で構成される国際連帯委員会が中心となって行った。
 登録申請書は慰安婦制度について、「ホロコーストやカンボジアの(旧ポル・ポト政権による)大虐殺に匹敵する戦時中の惨劇だ」と主張している。
 これに対し、友好協会幹部のユダヤ人、イラナ・シュナイダーさんら3人が署名した意見書は「ホロコーストに匹敵するものはなかった」とする元駐日イスラエル大使のエリ・コーヘン氏の指摘を引用して反論。その上で、「中国によるチベット侵略の方がホロコーストの概念により近い」とし「もっとひどいのは文化大革命だ」と強調した。
 また、慰安婦問題が東京裁判でも問題にならなかったことや、米当局の調査でも慰安所で働いていた女性のほとんどに給与が支払われていたなどとして「性奴隷説」が証明できていないと指摘した。
 1991年まで慰安婦の存在が世界に知られなかったのを、アジアで「女性の性」がタブー視されていると説明した登録申請書は「説得力がない」と一蹴。慰安婦問題は経済力を持つようになった中韓が反日感情をあおるための「道具の一つだった」と解説した。

皆が分かっていたことを指摘したにすぎませんが、いままでは中韓の賄賂を受けていたのか、当たり前の事を当たり前のように言う事が出来ていませんでした。
中韓の嘘が通用しなくなってきた、拝金主義がなくなってきた今、中韓の金にて心を裏切る人は少なくなってきたとも考えられます。

朝鮮民族が自らの行いに対して認めるようになってきました。
(朝鮮日報日本語版) 【萬物相】息をするようにうそをつく韓国人
 10年余り前、ある警察官が検察に呼ばれた。暴行事件を見逃してやってカネを受け取った疑いがあったからだ。当初は、きっぱりしらを切った。「私はその日、非番でした。後輩が勤務していたのに、その友人がそんなことをやるだろうとは思いませんでしたね」。調べてみると、非番なのは間違いなかったが、当日勤務していたことが判明した。再び検察にやって来た彼の様子は、全く違っていた。検事室のドアを開けるなり、膝を突いた。「検事さん、申し訳ありません!」。検察の取調室で見られるうその風景は、今も変わっていない。同じ席で7回も供述を変えた被疑者もいるという。
 数日前、日本の雑誌に「韓国は息をするようにうそをつく国」という記事が載った。不快な記事ではあるが、韓国の警察庁の統計を引用して「偽証・詐欺・虚偽告訴の罪で起訴される人間は、人口比例で日本の165倍」と突き付けられると、返す言葉がない。朴槿恵(パク・クンヘ)大統領の親友、崔順実(チェ・スンシル)氏の国政介入事件でも、関係者は地位の上下を問わずうそのパレードを繰り広げている。崔被告は、娘の小学校時代の同級生の父親が経営する会社に対して現代自動車への納品をあっせんしてやり、金品を受け取っていたことが判明した。それでも崔被告は「会社自体を知らない」としらを切ったという。
 朴槿恵大統領は、最初の国民向け謝罪で、崔被告について「演説や広報」に関する意見を聞いていたかのように語っていたが、崔被告に送った書類の中には政府高官の人事や、国務会議(閣議に相当)の資料まで含まれていた。大統領府(青瓦台)が補佐システムを完備した後は、崔被告に書類を送らなかったと言うが、実際は今年4月まで送っていたことも判明した。ミル財団・Kスポーツ財団への強制募金に関与した安鍾範(アン・ジョンボム)前大統領府政策調整首席秘書官と李承哲(イ・スンチョル)全国経済人連合会(全経連)副会長も、「大企業が自発的に出したカネ」だと言っていたのに、検察に来るとそれぞれ「大統領の指示でやった」「安・前首席がやらせた」と言い出した。
 「一つのうそがばれないようにするためには、別の20のうそをつかなければならない」という言葉がある。韓国社会にことのほかうそが多いのは、うそが露見したときの負担よりも、うそで得られる利益の方が大きいからだ-という解釈がある。韓国は、法廷でのうそは偽証罪で処罰するが、捜査機関でうそをつくことは、防御権の観点から容認している。米国は、参考人・被疑者が捜査機関で無罪を主張するためうそをついた場合には処罰している。黙秘権は保証するが、ひとたび口を開いたなら真実を語れ、ということだ。
 朝鮮王朝時代、オランダの船員ハメルは『朝鮮幽囚記』に「朝鮮人はうそをつく傾向が強い」と記した。誇張ということもあり得る。しかし崔順実事件を見ていると、韓国人には本当に「うそのDNA」があるのではないか、という恥ずかしい気持ちを抱いてしまうのも事実だ。正直さが国を変える、うそをつくな、と教えた島山・安昌浩(アン・チャンホ)が見たら、大地をたたいて嘆き悲しむことだろう。

自ら嘘を付きまくる民族であることを認めたが如く書いております。
先の捏造された慰安婦問題も日韓基本条約が締結された際には問題にもなりませんでした。
被害者がいなかったのです。確かに慰安婦になったことを公にしていなかった人はいるでしょう、しかし日本政府が強制したという証拠は一切ありません。これだけ騒いでいるに一切ないのです。であれば存在が疑わしいのも当たり前だと思います。
朝鮮人達よ、真実を知る勇気が必要ではないでしょうか?
事実には苦痛が伴う可能性もあります。自ら負けを認めることも必要なのです。
嘘を墓場まで持って恨みながら死んでいくのでしょうか?それは悲しいことだと思います。

ようやく、事実を話そうという機運が高まってきました。
元小学校教諭の朝鮮半島回想録 ありのまま後世に 福岡
 ■「私、どんな日本名にしようかしら」創氏改名で同僚の教師
 日本統治下の朝鮮半島で小学校教師を務めた上野瓏子(ろうこ)氏(96)による『おばあちゃんの回想録 木槿(むくげ)の国の学校』が出版された。日本人と朝鮮人教師が手を取り合って子供の教育にあたる様子や、創氏改名で楽しそうに日本名を選ぶ朝鮮人教師-。上野氏が伝えるありのままの姿に、「日本人=加害者、朝鮮人=被害者」という図式は当てはまらない。(九州総局 中村雅和)
 上野氏は大正9(1920)年、朝鮮半島全羅南道羅州郡で生まれた。父親の西見省三氏は、西見家が所有する農園で、綿花の栽培指導や農業振興に取り組んだ。記念碑が建立されるほど慕われたという。
 上野氏は高等女学校を卒業後の昭和14年、19歳で全羅南道の栄山浦南小学校の代用教員として採用され、後に正規教員になった。
 同小学校に通うのは、半島出身の子供だった。教職員は日本人も朝鮮人もいた。校長は日本人、教頭職は朝鮮人だったという。

 ◆争いなかった
 教師同士の関係は良好で、校内で大声で冗談を言い合うほどだった。
 「日本人でも朝鮮人でも、すばらしい先生はすばらしい」と振り返る。正規の教員資格取得に向けた講習会では、半島出身の教諭とともに1カ月間、合宿した。
 ただ、教頭は日本の朝鮮統治に反感を持っていたという。上野氏は「この先生の前では、特に言動には気をつけるように心がけました」と記す。日本人教師の方が、配慮していた様子が分かる。
 回想録は、朝鮮総督府が昭和14(1939)年に出した創氏改名にも触れる。「朝鮮名と日本名を持つことが許された。もちろん、自主的なものでした」と説明する。
 職員室で「私、どんな日本名にしようかな」と楽しそうに談笑する同僚の姿も鮮明に覚えているという。「日本が本当に嫌いであれば、自ら日本名を名乗るということはなかったはずです」と断言した。
 当時、住んでいた町の様子についても、日本人と朝鮮人が争っている場面を見たことは一度もないという。
 「軍の命令による朝鮮人の強制連行といった話など、私の周りではまったく聞いたことはありません」「植民地という言葉は使われても、同じ人間として平等であったし、皆仲良く暮らしていた」
 もっとも、日本統治に対し、朝鮮人が複雑な心情を抱いていたことは事実だ。学校で日章旗を掲揚する際、同僚の朝鮮人教師をみると、皆寂しそうな表情だったという。
 その様子を見た上野氏は疑問を抱いた。
 日本は道路や鉄道、学校などに多額の資金を投入したが、朝鮮の人たちに感謝されていると思えなかったからだ。「そこまで日本が負担し、統治する意味があるのだろうか」。回想録ではこう記した。

 ◆「また一等国に」
 昭和20年8月15日、日本は敗れた。
 この日の夜、遠くから響き渡ってきた「マンシー(万歳)」の声が、今も耳に残る。
 戦争に負けたことで、日本人に対する目は、冷めたものになったという。
 駅員から「これで日本も五等国だ。切符は売ってやらない」とあしらわれ、「日本は、きっとまた一等国になってみせます」と言い返した。
 ただ、上野氏や父の西見氏を慕う地元住民もいた。半島永住を願う声も多かったが、内地への引き揚げを決めた。混乱はしていたが、半島に進駐した米軍の警備もあり、無事に帰還できた。
 家族ぐるみで付き合っていたある朝鮮人一家との交流は、戦後も続いた。
 西見さんが亡くなった後来日した一家の主人は、墓参を済ませ「韓国では反日教育が行われているが、本当の日本はそうではない。すばらしい国だ。しっかり自分の目で見ておくように」と息子らに伝えた。
 しかし、この一家は「親日的」であることを理由に、迫害を受けたという。
 上野氏は現在、福岡県久留米市三潴町の施設で生活している。
 「半島の子供はただただ、かわいかった。あの頃が今でも思い出される。もう一度、あの頃の歴史を、それぞれの立場でもっと詳しく知ってほしい。そして、両国が真に理解し合い、仲良くできればと願う。そのために私の本が役に立てばうれしい」
 回想録は上野氏の長男で、元小学校校長の幹久氏(66)が聞き取ってまとめた。
 幹久氏は「母の体験からみる日本の朝鮮統治は『植民地支配』というより、その名の通り『併合』による共存に他ならない。後世の日本人が自国への誇りを持てるよう、誤りはきちんとただしていくことが、現在生きている私たちの務めです」と語った。

きちんと伝えること
反日教育という壁を打ち破って正しくものを見ていきましょう。

朝鮮半島を日本は併合しましたが、それは朝鮮の発展に寄与しました。
自分の国で他人に命令されるのは悔しいという気持ちはわかります。
ですが、それをバネにして発展させていき、見返す方法がありました。
日本はそれを目的にしていたのでしょう。
ですが、朝鮮では朝鮮の考えがあり、見下して上になっているという優越感を先に欲しがった
これがいけないのだと思います。
何事も一歩一歩の進歩が必要です。『千里の道も一歩から』
日本は『臥薪嘗胆』を合言葉に西洋に対して奮闘し、のし上がったのです。
朝鮮にそれを求めたのがいけないのかはわかりません。
ですが、日本は求めてしまった事がいけないのでしょうか?所詮価値観の違う民族ってことで終わるかもしれません。

困っている人を見ると助けようとする価値観を持ち日本
その価値観が尊いと思うのであれば進めていきましょう。
我らが日本な価値観を広めていきましょう。

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2016/12/02 06:00
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