天皇陛下 万歳

平成28年 天長節3
少し時間がたってしまいましたが、今年の天長節(天皇誕生日)に仲間と共に一般参賀に参加してきました。
今年は平成に入ってから最多の三万八千人の人々が訪れたそうでして、昨日降った雨に関係なく多くの人が参加されたそうです。
少し前に体調を崩されたとの報道がなされましたので少し心配でしたが、お元気そうでよかったです。

NHKの報道です。
天皇誕生日 皇居で一般参賀
天皇誕生日の23日、皇居では、天皇陛下の83歳の誕生日を祝う一般参賀が行われました。
皇居では、午前9時半すぎに正門が開くと、待っていたおよそ4700人が二重橋を渡って宮殿の前に向かいました。
天皇陛下は、皇后陛下や皇太子殿下ご夫妻、そして、秋篠宮殿下ご夫妻と長女の眞子内親王殿下、次女の佳子内親王殿下とともに、午前中3回、宮殿のベランダに立ち、訪れた人たちに手を振ってこたえられました。
天皇陛下は、誕生日に寄せられた祝意に感謝の言葉を述べたうえで、22日、新潟で大きな火災があったことに触れ、「多くの人が寒さの中、避難を余儀なくされており、健康にさわりのないことを願っています」と話されました。
そして、「冬至が過ぎ、ことしもあとわずかとなりましたが、来年が明るく、また、穏やかな年となることを念じ、皆さんの健康と幸せを祈ります」と述べられました。
午後からは、宮殿で安倍総理大臣や衆参両院の議員、それに各界の代表など470人余りが出席して祝宴が開かれました。
このあと、139の国や地域の代表などとの茶会も開かれ、天皇陛下は皇族方とともに、華やかな民族衣装を身につけた大使夫妻などと和やかに歓談されました。
皇居では、午後から一般の人たちを対象にした記帳による参賀も受け付けられ、23日の1日で、これまでで最も多かった平成21年のおよそ3万人を上回る3万8000人余りが参賀に訪れたということです。
23日は、初めて参賀に訪れたという人たちの姿が目立ち、宮内庁の幹部らは、「天皇陛下がお気持ちを表明された影響もあったと思われる」と話しています。
一般参賀の参列者は
相模原市の71歳の女性は、「ことしは天皇陛下のお気持ち表明がありましたが、高齢になられ、自分自身も年をとったので一度参加したいと思い初めて来ました。最近、体調を崩されていたようですが、きょうはお出ましになり本当にうれしく思います。譲位の件は、天皇陛下のお気持ちに添ったようになればいいと思います」と話していました。
一緒に訪れた71歳の夫は、「天皇として国民に寄り添うという姿勢をこのまま続けていただきたいですが、心身ともにお疲れだと思いますので、疲れを癒やしていただきたいです。お2人ともお元気そうで本当によかったです」と話していました。
東京・板橋区の30歳の男性は、「ことし子どもが生まれたので子どもを参加させたいと思い初めて来ました。天皇陛下を間近で拝見できてとてもうれしく思います。きのう起きた火災についても触れられていて、公務でお忙しい中、心を配り発言されていることをうれしく思います。体に差し障りのないよう公務に臨んでいただきたいと思います。ことしは譲位のことがあり、これまであまり関心がなかった皇室について考えるきっかけになりました」と話していました。
埼玉県越谷市から妻と一緒に訪れた82歳の男性は「自分も80歳を超え一生に一度は参加したいと思い初めて来ました。自分も体がちょっと疲れてきていますが、同じ世代の天皇陛下もそうなのではないかと思うので少し楽にしていただきたいと思います」と話していました

NHKの失礼な言葉使いに腹を立てているのでそのまま転載せずに言葉使いを直しております。
『生前』なんて言葉を生きている人に使うような一般人はおりません。マスコミやテレビに出ている下品な人間しか使っていない言葉であり、テレビに出ている人間の教養のなさが浮き彫りになりましたね。
一般の人でも違和感を持つ言葉を平気で使用するNHK、皇后陛下も違和感をお持ちになられた言葉であり、皇室侮辱、日本侮辱を行う勢力が使いだした言葉です。
政府はきちんとした言葉を使っているにも関わらず、自分たちの訴えを通したいがために言論弾圧を行う姿勢はNHKが如何に腐っているのかがよくわかります。

さて、陛下の朝のお言葉です。
天皇陛下の記者会見
天皇陛下
今年1年を振り返ると,まず挙げられるのが,1月末,国交正常化60周年に当たり,皇后と共にフィリピンを訪問したことです。アキノ大統領の心のこもった接遇を受け,また,訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。私が昭和天皇の名代として,初めてフィリピンを訪問してから,54年近くの歳月が経たっていました。この前回の訪問の折には,まだ,対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが,空港に到着した私どもを,タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが,懐かしく思い出されました。
今回の滞在中に,近年訪日したフィリピン人留学生や研修生と会う機会を持ち,また,やがて日本で看護師・介護福祉士になることを目指して,日本語研修に取り組んでいるフィリピンの人たちの様子に触れながら,この54年の間に,両国関係が大きく進展してきたことを,うれしく感じました。
両国の今日の友好関係は,先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人,日本人の犠牲の上に,長い年月を経て築かれてきました。この度の訪問において,こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね,冥福を祈る機会を得たことは,有り難いことでした。また,戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも,私どもにとり非常に感慨深いことでした。
今後とも両国の友好関係が更に深まることを祈っています。
東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には,福島県,宮城県の被災地,そして9月には岩手県の被災地を訪問し,復興へ向けた努力の歩みとともに未いまだ困難な状況が残されている実情を見ました。その中で岩手県大槌町では,19年前に滞在した宿に泊まりましたが,当時,はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が,地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り,自然の力の大きさ,怖さをしみじみと思いました。
この5年間,皆が協力して復興の努力を積み重ね,多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に,今なお多くの人が困難をしのんでおり,この人々が,1日も早く日常を取り戻せるよう,国民皆が寄り添い,協力していくことが必要と感じます。
4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で,多くの被害が出ましたが,16日未明に本震が発生し,更に大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き,人々の不安はいかばかりであったかと思います。
5月に現地を訪れましたが,被害の大きさに胸を痛めるとともに,皆が協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に,心を打たれました。
今年はさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い,その中で高齢者グループホームの人たちを含め,多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。
このような災害に当たり,近年,個人や様々な団体と共に,各地の県や市町村などの自治体が,被災地への支援の手を差し伸べ,さらにそれを契機として,全国で様々な地域間の交流が行われるようになってきていることを,うれしく思っています。
8月には,天皇としての自らの歩みを振り返り,この先の在り方,務めについて,ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け,各々の立場で親身に考えてくれていることに,深く感謝しています。
8月から9月にかけて,リオデジャネイロでオリンピックとパラリンピックが開催されました。時差があったこともあり,毎朝テレビで,日本人選手の活躍する姿が見られたことは,楽しいことでした。オリンピックと同様に,パラリンピックにも多くの人々の関心が寄せられていることをうれしく思いました。
10月中旬にタイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり,その翌年に,昭和天皇の名代として,皇后と共にタイを訪問し,国王王妃両陛下に温かく迎えていただき,チェンマイなど,タイの地方にも御案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことを始め,親しく交流を重ねてきた日々のことが,懐かしく思い出されます。
10月下旬には,三笠宮崇仁親王が薨去(こうきよ)になりました。今年の一般参賀の時には,手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり,そのお話を伺えたことは意義深いことでした。
11月中旬には,私的旅行として長野県阿智村に行き,満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では,旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き,満蒙開拓に携わった人々の,厳しい経験への理解を深めることができました。
また,その際訪れた飯田市では,昭和22年の大火で,市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興に当たり,延焼を防ぐよう区画整理をし,広い防火帯道路を造り,その道路には復興のシンボルとして,当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に,災害復興を機に,前より更に良いものを作るという,近年で言う「ビルド・バック・ベター」が既に実行されていたことを知りました。
12月には,長年にわたるオートファジーの研究で,大隅博士がノーベル賞を受賞されました。冬のスウェーデンで,忙しい1週間を過ごされた博士が,今は十分な休養をとられ,再び自らが望まれているような,静かな研究生活に戻ることができることを願っています。
年の瀬が近づき,この1年を振り返るとともに,来年が人々にとって良い年となるよう願っています。

以上

皇室典範を変えようという動きがありますが、そもそも皇室典範が憲法の下にあるという事自体おかしいと思いませんか?
憲法が出来る前から皇室典範という名前ではないが皇室には決まりごとが存在していました。
それを後から作られた憲法の枠に収めようとすることが非常に難しいと考えます。
憲法は国の根幹と言われていますが、日本にとって御皇室、天皇陛下は日本の根幹であり、伝統・文化の芯です。
皇室典範は御皇族の方々で話し合われ改定していったものを皇室典範の改正として発表するだけでよいと私は思います。
なんでも間でも民間が決めるというのではなく、それ相応の人々が話し合われ決定していく、これもまた民主主義です。
規定がなければ作らないといけませんし、不具合があれば改善していかないといけません。
しかし、全てを明文化出来るほど浅い歴史ではないのです。
日本の歴史にあった、伝統にあったものにして行きましょう。
それが日本であるという事を世界に、差別主義者である国連の人権委員会に見せつけましょう。

紀元二六七六年十二月二十三日 天皇陛下は八十三歳となりました。
そのことを素直に喜びましょう。

(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2016/12/30 06:00
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