民進党の常識のなさが浮き彫りに

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二重国籍率いる民進党、その民進党の常識のなさが浮き彫りとなった国会議論があります。
それはあの捏造記事を書いた朝日新聞が正しいと考えるこれまた議論にもならないようなものです。
朝日新聞が従軍慰安婦を捏造したことは世界の常識問題であり、これを知らないでジャーナリストとかマスコミとか名乗っている人は相当恥ずかしい人という認識を世間一般の人は持っております。
まあ、日本に関心ない人や嘘でも叩くための道具といてみている人もいるでしょうけど、概ね嘘偽りを記事にしている通称マスゴミと言われる所以なのかもしれませんね。

民進党の常識のなさ、これを見てみましょう。
安倍首相、朝日新聞の“あの”大誤報を引き合いに民進党に反論
 7日午後の衆院予算委員会で、安倍晋三首相が、朝日新聞による東京電力福島第1原発の吉田昌郎所長(当時)の聴取記録「吉田調書」報道を引き合いに、民進党の今井雅人氏の指摘に反論する場面があった。
 今井氏は、朝日新聞が3日付朝刊で報じた「米で70万人雇用創出 首相、首脳会談で提案へ」との記事を取り上げ、首相に真偽をただした。首相がトランプ米大統領との10日の首脳会談で提案する経済協力の内容を挙げ、「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の資金活用も見込んでいる」とする内容だ。
 今井氏「火のないところに煙は立たないと言います。これだけの細かいものが出ているんですね。この記事、朝日でも(同趣旨の記事を掲載した)日経でも、十分信用できる新聞社じゃないですか。それが、こういう記事をだしている。いかがですか?」
 首相「『新聞の記事があるから』とかですね、『週刊誌の記事があるから』とかって、政府を追及されても困るんですよ。違うって言ったじゃないですか。そもそも、GPIFに私は指図できません。大新聞ではありますけどね。でも新聞も間違えますよね。間違えてない? 今まで、大きな間違いあるじゃないですか? 吉田所長のね、吉田所長の記事、全然間違ってましたよね? 全然違いますよ」
 切り返された今井氏は、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)での自身の勤務経験を念頭に「実は私、金融界にいましたけど…」と反撃を試みた。
 今井氏「このGPIFのやつは検討の俎上にのってたんじゃないかというふうに思われますけども、どうですか」
 首相「それは、だれか素人が書いたんですね。私が言ったように、できないんですから。これ、明確に申し上げておきます。できない。彼ら(GPIF)が独立して判断するということは当然ありますよ。だって世界中にプロジェクトがたくさんあって、米国だけダメってことはありえないじゃないですか
 ここで野党側の不規則発言が激しくなり、首相は「ありえないでしょ、それは?」「何かあります?」「え?」と盛んに反応し、「民進党だからタウンミーティング的に(質疑を)やんのかなあと思ったんで」。
 余裕たっぷりの首相を前に、今井氏は、GPIFの高橋則広理事長に矛先を変えて質問を続けた。

朝日新聞の誤報、この場合は反論する人間が亡くなってからの捏造報道でした。
福島第一原発で陣頭指揮を行っていた吉田所長やその作業員:福島50人が命令違反で逃げ出したという捏造です。
この話をだれがどの様にしたのかというと朝日新聞の記者が妄想で書いた東電や民進党の敵を糾弾する記事でした。
妄想で書きつなれた記事なのです。朝日新聞が捏造した従軍慰安婦も吉田清治の捏造でしたね。
妄想で記事を書き政府を非難する、日本を非難する朝日新聞、誰がそのような事を信じるのでしょうか?
このとき日本政府は吉田所長の名誉を守るために、本来非公開のままになるはずであった吉田所長の調書を公開しました。
妄想・捏造が真実に負けた瞬間です。おそらく朝日新聞は絶対に出さないと高を括っていたのでしょう。
しかし、安倍政権は公開し、吉田所長の名誉を守ったのです。

朝日新聞の何処が真実を報道する新聞といえるのでしょうか?
見識が甘いと言わざるえません。
もし、疑いなら朝日新聞の捏造した記事:吉田調書
と取材を重ねて書いた本:『死の淵を見た男』
を見比べてみればよいのです。

本の紹介文です。
本書は、吉田昌郎という男のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した人たちの物語である。 門田隆将
 私には、東日本を襲った大地震と津波によって起きた福島第一原発事故で、どうしても知りたいことがあった。
 福島県に、いや東北地方全体に、未曾有の悲劇をもたらしたこの事故の影響は、震災から1年半が経過した現在でもつづいている。この状態がいつ終息を迎えるのか、予測もつかない。
 人々は不安と怒りの中にいる。故郷を離れて“疎開”を余儀なくされ、あるいは仮設住宅や借り上げアパートに住まざるを得ない人々の苦しみは、通りいっぺんの表現で表わすことはできない。すべての思いを呑み込んで故郷を捨てた人も少なくない。
 事故を起こした東京電力は震災から1年3か月後、実質、国有化された。もはや、一民間企業として被害を受けた人々への膨大な補償をまかなうことは不可能だった。日本を代表する最大の電力会社は消え、新しい会社となったのである。
 しかし、この一連の流れの中で、私は、「あること」がどうしても知りたかった。
 それは、考えられうる最悪の事態の中で、現場がどう動き、何を感じ、とう闘ったのかという人としての「姿」である。
 全電源喪失、注水不能、放射線量増加、そして水素爆発……あの時、刻々と伝えられた情報は、あまりに絶望的なものだった。冷却機能を失い、原子炉がまさに暴れ狂おうとする中、これに対処するために多くの人間が現場に踏みとどまった。
 そこには、消防ポンプによる水の注入をおこない、そして、放射能汚染された原子炉建屋に何度も突入し、“手動”で弁を開けようとした人たちがいた。
 伝えられる数少ない断片的な情報でも、現場で最後まで奮闘した人たちかいたことが、私たち国民にはわかった。電気が落ちた暗闇の中で闘う人間の姿は、私たちの想像を超えるものだった。東電の社員、協力企業の人々、さらには命を賭けてやって来た自衛隊員 …… 多くの人間が、放射能汚染の真っ只中で踏ん張ったことを、私たちはおぼろげながら知っていた。
 しかし、その「現場」の真実は、なかなか明らかにならなかった。民間、東電、国会、政府 …… さまざまな事故調査委貝会の報告書が出そろっても、現場で闘った人間の実態は、わからなかった。
 私は、事故直後から東電本体はもちろん、関係各機関や地元にもアプローチをつづけ、なんとかその実態に迫ろうとした。だが、厚い壁に何度も跳ね返された。
 断続的に取材をつつける私の前に、漠然とではあったが、次第にその姿が輪郭を表わし始めたのは、年が明けて2012年になってからてある。
 それは、当初予感した通り、やはり想像を絶するものだった。
 極限の場面では、人間は、強さと弱さを両方、曝け出す。日頃は目立たない人が土壇場で驚くような力を発揮したり、逆に普段は立派なことを口にする人間が、いざという時に情けない姿を露呈したりする。
 ぎりぎりの場面では、人間とは、もともと持ったその人の“素の姿”が剥き出しになるものである。
 時間が経過するにつれ、私の前にだんだんその現場の真実の一部が垣間見えるようになっていった。福島第一原発所長として、最前線で指揮を執った吉田昌郎 〈まさお〉 氏に私がやっと会うことができたのは、事故から1年3か月が経過した時だった。
 「もう駄目かと何度も思いました。私たちの置かれた状況は、飛行機のコックピットで、計器もすべて見えなくなり、油圧も何もかも失った中で機体を着陸させようとしているようなものでした。現場で命を賭けて頑張った部下たちに、ただ頭が下がります
 吉田氏は、私にそう語った。癌に倒れ、手術を経た吉田氏は、げっそりと痩せ、事故当時の姿とはすっかり面変わりしていた。
 病いを押して都合2回、4時間半にわたって私のインタビユーに応えてくれた吉田氏は、2012年7月26日、3回目の取材の前に、凄まじいストレスや闘病生活でぼろぼろになっていた脳の血管から出血を起こし、ふたたび入院と手術を余儀なくされた。
 吉田氏をはじめ、私は多くの現場の人間にインタビューを繰り返した。証言してくれた東電や協力企業、あるいは、自衛隊、政治家、科学者、地元の人々など、関係者の数は、いつの間にか90名を超えていた。
 あの事故の時、福島第一原発の1号機から6号機までの原子炉建屋に隣接した中央制御室には、それぞれの当直長と運転員たちがいた。
 放射線を測定する線量計が高い数値を検知し、無機質で、甲高い警告音が響く中、それでも彼らは突入を繰り返した。電気が失われた現場では、あらゆる手段が“人力”に頼るほかなかったからである。
 生と死をかけたこの闘いに身を投じたのは、多くが地元・福島に生まれ育った人たちだったことを私は知った。恐ろしいほどの危機的状況に息を呑みながら、私は、漆黒の闇の中、闘いつづける人たちの姿を想像した。
 あの福島第一原発は、太平洋戦争末期、陸軍の航空訓練基地だった「磐城陸軍飛行場」の跡地に立った発電所である。
 震災が起こった2011年3月11日、私は特攻や玉砕という悲劇の中で、若者が次々と命を落とす姿を証言で描いたノンフィクション作品『太平洋戦争 最後の証言』(小学館)の第一部「零戦・特攻編」を執筆中だった。
 大量の戦争資料に囲まれていた私は、そのため、福島第一原発がどういう地に立った発電所であるか、偶然、知っていた。
 明日の見えない太平洋戦争末期、飛行技術の習得や特攻訓練の厳しい現場となった跡地に立つ原子力発電所で起こった悲劇 ―― 絶望と暗闇の中で原子炉建屋のすぐ隣の中央制御室にとどまった男たちの姿を想像した時、私は「運命」という言葉を思い浮かべた。
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 戦時中と変わらぬ、いや、ある意味では、それ以上の過酷な状況下で、退くことを拒否した男たちの闘いはいつ果てるともなくつづいた。自らの命が危うい中、なぜ彼らは踏みとどまり、そして、暗闇に向かって何度も突入しえたのか。
 彼らは、死の淵に立っていた。
 それは、自らの「死の淵」であったと同時に、国家と郷里福島の「死の淵」でもあった。そんな事態に直面した時、人は何を思い、どう行動するのか。
 力及ばず大きな放射能被害が生じた。しかし土壇場で、原子炉格納容器爆発による放射能飛散という最悪の事態は回避された。
 本書は、原発の是非を問うものではない。あえて原発に賛成か、反対か、といった肯非論には踏み込まない。なぜなら、原発に「賛成」か「反対」か、というイデオロギーからの視点では、彼らが死を賭して闘った「人として」の意味が、逆に見えにくくなるからである。
 私はあの時、ただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたいと思う。原発に反対の人にも、逆に賛成の人にも、あの巨大震災と大津波の中で、「何があったのか」を是非、知っていただきたいと思う。

朝日新聞が何を考え、何のためにそのような捏造をしたのかはわかりません。
わかりたくもありませんし、わかるつもりもありません。
このような日本を貶めることが社是であるような新聞社は日本には必要ないのです。

で、そのような朝日新聞を信頼できる新聞であると勘違いしている二重国籍も必要ないですし、そいつが率いる民進党も必要ありません。
必要ないものはつぶしていきましょう。
(ブラッキー)

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| コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2017/02/15 06:00
コメント:
千葉県県知事選挙立候補者
表記の選挙が3月に行われる。
新しい知事を選ぶ会が元県立高校教諭を擁立。
元高校教諭角谷信一氏(62)を無所属で擁立すると発表した。
同氏は県内の県立高校で社会科教諭として30年超勤務したほか・・・・。
角谷氏は所属する政党の有無を報道陣から問われたが、「この場にふさわしくないので答えられない」と述べた。
同会によると、同会には共産党や自由党、市民ネットワークなどの政党や団体がオブザーバーとして参加しているという。

共産党と自由党!?自由のない共産党(シナ共産党と友党)と自由を党名とする政党のコラボ。民進党の名前がないのは隠れ支持ということなのかもしれない。
地方から虫食い国家にしないように「気をつけよう!反日政治家の優しい言葉」。

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