親日国 カンボジア

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カンボジアは親日国だそうです。
なんでも日本人の入国に関して特殊な査証を空港内で取得できるという格別な扱いを日本人は受けております。
New visas launch Sept 1
たしか1992年の日本初PKO活動の場がカンボジアだったと思います。
その時から付き合いのある国ということでしょうね。

そのカンボジアへのPKO派兵に関してこのような記事があります。
カンボジア紙幣に描かれた「日の丸」 この感謝の気持ちをどれだけの日本人が知っているのか
 「(南スーダンの)首都ジュバでは(自衛隊のPKO=国連平和維持活動=派遣部隊とともに)カンボジアの部隊も活動しています。その若い女性隊員があるとき、自衛隊員に、こう話しかけてきたそうであります。『日本が、私たちにしてくれたことを、今こうして、南スーダンの人たちに返せることを誇りに思う。そして、アフリカのPKOに参加できるまでになったカンボジアの姿を、日本人に知ってもらえて、うれしい』と。20年余り前、日本の自衛隊が、カンボジアの大地に植えた『平和の苗』は、今、大きな実を結び、遠く離れたアフリカの大地で、次なる『平和の苗』を育もうとしています」(夕刊フジ)
 安倍晋三首相は2016年度自衛隊記念日観閲式の訓示で、5月末で任務を終えた南スーダンPKOのエピソードを披露し、聴衆を感動させた。
 1992年6月、「国際平和協力法」(PKO法)が成立した。同年9月には、カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に、陸上自衛隊の施設大隊と停戦監視要員が、戦乱から立ち直って民主選挙を控えたカンボジアへ派遣された。
 日本PKOの幕開けとなった派遣部隊は、第1次、第2次隊を合わせて約1200人。約1年間の任務期間中に、長く続いた内戦で破壊された道路や橋梁(きょうりょう)を修理するなどして、カンボジアの復興に貢献した。修理した道路は約100キロ、補修した橋梁は約40に上った。
 ところが、日本国内では、このPKO派遣について、まるで自衛隊が対外戦争に派遣されるかのような異常な反対論もあった。派遣部隊が携行する武器をめぐっても、非現実的で無責任な議論が起こり、結果、小銃と拳銃という軽装備で任務を遂行せねばならなかった。

 だが、実際はどうだったか。
 筆者は、あれから25年後のタケオを訪れた。
 かつての自衛隊の宿営地は、いまはサッカー場として整備されており、そこには平和に暮らす村人の生活があった。
 当時、情報職の職員だったサオ・サリ氏は次のように言う。
 「自衛隊がやってきたときは本当にうれしかった。道路や橋をつくり、修復してくれたし、村の人々とも温かい交流があった。当時は、近くに(大虐殺を行った)ポル・ポト派兵士がいて危険だったが、自衛隊が守ってくれたので人々は明るく生活できたし、夜も安心して眠れた。われわれは、自衛隊に感謝し、その恩を忘れません
 自衛隊は地元の人々を守るために派遣されたのではなかったが、地元の人々は自衛隊を大歓迎した。PKO派遣を“日本の侵略行為の兆候”などとは捉えなかったのである。
 カンボジア国際平和協力業務では、UNTACに自衛隊だけでなく、警察官75人、選挙要員として国家・地方公務員18人、民間人23人が参加した。まさに国を挙げての支援だったのだ。
 実はカンボジアの紙幣500リエルの裏側には、日本のODA(政府開発援助)でメコン川に架けられた「絆橋」「つばさ橋」とともに、「日の丸」が描かれている。
 カンボジア復興のために、日本政府が行ってきた誠実な支援に対するカンボジアの感謝の気持ちが、紙幣にまで現れていることを、果たして、どれほどの日本人が知っているだろうか。

20年ほど前の功績をカンボジアの方々は覚えていたということですね。
私たち日本人はどれだけ覚えているのでしょうか?日頃からの感謝の念を忘れてはいないでしょうか?
私たちがこのように豊かな生活ができているのは先祖の方々が臥薪嘗胆で奮闘してくださったからです。
決して私たちだけの努力ではありません。過去の先祖から受け継いできた素晴らしい文化を後世に伝えていきましょう。
感謝されていることは忘れても構いませんが、感謝しなければならない存在を忘れてはいけません。
皆の軌跡によって今の日本があり、世界があるということを忘れないようにしましょう。
カンボジアの方々が感謝してくださっている。私たちも先祖を大切にしていきましょう。

カンボジアといえばこのような話があります。
今現在、今治市は民進党などの攻撃を受け非常に厳しい状態と聞きます。せっかく15年も頑張って獣医学部を誘致したのに民進党によってつぶされようとしています。
その今治市とカンボジアが友好関係があるというニュースです。
カンボジアの地雷原から生まれた芋焼酎「ソラークマエ」苦節9年の後、四国・今治で発売開始
愛媛県の株式会社今治デパート は6 月4 日、今治市内にある「四村(よむら)ショッパーズ」にて、カンボジアの焼酎「ソラークマエ(赤バージョン)」の販売を開始した。現在のところ販売は、同店店頭および通信販売のみとなっている。
「焼酎販売の何が珍しいのか」と思うなかれ。ソラークマエは、カンボジア・バッタンバン州カムリエン郡タサエン地区オ・アンロック村で生産されるキャッサバ芋を原料とした焼酎。同地区ではカンボジア内戦期に広く埋められた対人地雷の除去作業が現在でも続けられている。日本の陸上自衛隊はPKOの一環として1992年9月以降、この地雷除去作業のために派遣され、その完全撤去に向け平和維持に尽力してきた。
なにしろ地雷の仕掛けられた危険地帯だ。内戦終結後も、土地活用には難があり、劣悪な環境の中で地元村民たちは、キャッサバ芋を植え、隣国タイに廉価で売ってはなんとか生計を立てていた。
元陸上自衛官、600人に及ぶ自衛官の派遣メンバー選定を担当、現地でも地雷除去の指揮をしていた高山良二さんは、除隊後も自ら、認定NPO 法人 国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)を設立。カンボジア・バタンバン在住のまま自ら理事長としてこの地雷除去の陣頭指揮を執りしきる。
地質的には肥沃であり、良質なキャッサバ芋が獲れるだけ、「この芋に付加価値をのせ、村民の収益にできないか」と考えたのが、高山さんが焼酎製造に乗り出したきっかけだと語る。地雷撤去の進む村が、経済的に自立発展するため…とは言え、高山さんも元自衛官、通訳のソックミエンさんと村の女性を含めた3人は、まったく酒造りの経験がなく、苦難の連続だったと言う。
愛媛県宇和島市出身の高山さんは、地元・愛媛の名士、桜うづまき酒造篠原成行会長(日本酒造組合中央会)に助言を仰ぎ、焼酎を試製。独特の豊かで味わい深い、美味い酒に仕上がったため、なんとか販売に向け、尽力して来た。この販売に向けても、やはり地元・愛媛県今治市の株式会社ありがとうサービスの井本雅之社長が協力、その傘下である四村ショッパーズから、この日の販売開始にこぎつけた。

この焼酎は、単式直火釡蒸留の上、無濾過で製造。その製造工程について高山さんに問うたところ、何が蒸留酒のスタンダードなのかも把握しないまま、この事業に乗り出したとのこと。原材料には、キャッサバ芋に米麹(黒麹)を使用。赤米を用いて着色している。焼酎だけに、アルコール度数は37%ときりっとした仕上がりに。キャッサバ芋ならではの独特の力強い風味が特徴だ。
高山さんはタサエン地区復興のためにも独自蒸留を模索。しかし、親族も巻き込んだ会社も傾きかけ、3000万円以上の私財を投入、さらに9年を費やし、5月末にやっと日本上陸にこぎつけた。5年前、1200本のボトルをカンボジアから輸入しつつも、日本の酒類規定に合格せず、販売にこぎつけられなかったという苦難もあった。やっと漕ぎつけた船出、この焼酎は高山さんの労苦の結晶である。
「ずっと山の頂きを眺めながら、まったく近づけず(この販売により)、やっと頂上からの景色を目にした」、そんな気分だと語る。

この焼酎の売り上げは、高山さんが理事長および現地代表を務めるIMCCDの一助となり、村の収入源ともなる。現在、ありがとうサービスに勤務するカンボジア人のタン・チェンターさんも「日本人からご支援をいただき、地雷を撤去してくださったおかげで、キャッサバ畑が増えました。そんなキャッサバからソラークマエができました。日本に輸入されることになって、村の人々は何よりもよろこび、心から感謝しています」とコメントを寄せている。
長い内戦に苦しんだ同地区では地雷撤去が現在進行中である。愛飲家としては、カンボジア産の芋焼酎を飲むことで、それがほんの少しでも平和への貢献に役に立つのであれば、喜んで呑もうではないか。
同地区を訪れ、この村の人々にインスパイアされ映画『地雷ときどき僕。』を制作した内田俊介監督は、「かつて地雷原だった場所で造られるこのお酒には、きっとカンボジアの人たちの未来がこもっているのだと思います。地雷をすべて除去するには長い長い年月がかかり、すごくはてしない作業ですが、この村の人たちは、みんな地雷がなくなる未来を願い、信じています」とその感動を語った。
なお去る5日には、同四村ショッパーズにおいて、高山さんが自ら店頭に立ってソラークマエを案内、試飲も行われ、IMCCD の活動も展示されてた。四国の今治市だけに、今後そうそう多くの方がつめかけるということはないだろうが、まだご存知なかった周辺地区の方はぜひ足を運んではいかがだろう。

場所:四村ショッパーズ店内 愛媛県今治市四村286-1
営業時間: 8時00分~21時00分
電話: 0898-22-7877

そもそも「ソラークマエ・赤バージョン」となぜ名乗るか…。実は、すでにホワイト・リカーや度数の高いバージョンも10年近く前から試作済。今回そのバランスの良さから、ついに日本輸入に至ったのが、このバージョン。すでにカンボジアの空港などでは、試飲セットの販売が始まっており、日本に安定供給されるかは、今後の生産状況次第になりそうだ。
カンボジアでの地雷撤去という作業を支援する…そう聞くと、一般人にはあまりにも高いハードル。しかし現地で作られた焼酎を呑んで、その支援になるというだけに愛飲家にとって極めて楽ちんな援助活動だ
また、ロット数が少ないだけに、幻の酒…に終わらないうちに、一度味わってみる価値はある。

カンボジアのPKOがつないだ縁ということでしょうね。
私も一本買ってみたいです。
皆さんもいかがでしょうか?

このような平和貢献もまた楽しいと思います。
(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2017/06/18 06:00
コメント:
カンボジア情報 ありがとう
PKO派遣の自衛隊隊員でカンボジアの女性と結婚した人もいました。
日本人って誠実ですし根本的には差別意識はあまり持ちません。天皇陛下を戴く国民のDNAなのでしょう。
当然、今も昔も馬鹿な国民がいることは否定しません。
大東亜戦争末期の激戦地パラオでも同じようなことが多く有りました。日本の敗戦で帰国を余儀なくされパラオの女性(妻)と別れてきた人もいたと聞きます。
平和になり妻(or彼女)のパラオ女性が彼を訪ねて訪日してきましたが、親や親せきに面会を断られたという悲劇もあったようです(敗戦国の日本人は残れなかったんです)。
現在、反日日本人(日本人じゃない?)の創作した慰安婦問題を思考する時、かの半島住民のベトナム・フィリッピンなどで多くのライダイハンなどという混血児の存在と比較してもその違い位は馬鹿でもなければ解ると思います。

焼酎の情報は偶然TVで放映されていました、おそらくテレ東だったのではないでしょうか。

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