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日本のどこにでもある捏造 大久野島

捏造毒ガス写真

 8月6日 広島原爆の日に開催された“広島平和ミーティング”に参加してきました。
 青山繁晴参議院議員の熱誠溢れる演説には強く感銘を受けました。
 私は、三項加憲は無条件ではなく、現憲法が無効であることを理解した上で、緊急避難として加憲もありか・・・と考えて居ますが、いずれは帝國憲法に立ち返り、帝國憲法を改正することが日本を取り戻す最低限のステップだと思うからです。
 ある方の現実論で、もし北にせよ支那にせよ日本に手を出せば、直ちに憲法停止、超法規的措置で叩きつぶすから、むしろ改正などしない方が良いとする意見もあって、改正論は中々統一行動が取れません。
 青山さんの迫力で、“前項の規定は自衛権の発動を妨げない・・・”加憲を説かれるととても賛同したくなります。
 こうして憲法論議が深まることは良いことだと思うのですが、それが狭い範囲に限定されて、国民的議論に発展しないことが問題だと思います。
 このままでは、国民投票までに、反日・護憲マスコミのネガティブキャンペーンに多くの国民は操られてしまう・・・そうなっては終わりの始まりではないかと怖れます。

 憲法問題はいずれ議論が高まってくることを期待していますが、もう一つ看過し得ないことがあって、そのことをお知らせしつつ、またご教示いただきたいと願うものです。

 広島県竹原市に大久野島という島があります。
 忠海(ただのうみ)港からフェリーで15分の沖合に浮かぶ小さな島です。
 700羽のうさぎが居て、すぐ近くで可愛がることが出来て、家族連れや外人観光客に人気の島です。
 島のもう一つの観光資源?として帝国陸軍の化学兵器製造施設の遺跡があります。
 そして“毒ガス資料館”というのがあって、外国人観光客や家族連れが訪れますが、彼らに見せる展示は、化学兵器製造の犯罪性と現在も行われている支那での化学兵器無毒化事業の正当化宣伝です。

 まず、展示品の上部壁に年表が表示されています。
 各国が競って毒ガス兵器を作り、戦闘に使われた結果、悲惨な被害が兵隊だけでなく住民にも及んだことと、何度も交わされた“毒ガス兵器禁止条約”とその確認が行われたことが時系列で書かれています。
 その続きに、我が国が毒ガス兵器の組織的製造を始めたことが列記されています。
 毒ガス禁止が謳われ、合意した後に我が国が毒ガス製造を始めたのだ・・・としか見えません。
 毒ガスは既に広く普及拡散しており、禁止しても完全な破棄は望むべきもない状態だった。禁止条約を有効化するには、抑止力が必要だったこと、その為の製造と保持が認められていた・・・事は一言も記されていないのです。

 次に目についたのは、陸軍参謀総長の“毒ガス使用命令”とキャプションのある写真です。
 参謀総長載仁親王と署名がありますが、印鑑はありません。文面は“指示”と表題がついていて・・・使用することを得・・・とありますから、許可ではあっても命令ではありません。
 敢えて命令とキャプションを付けてあることに違和感を覚えました。
 これは本物なのか? これに基づき実際に戦闘に使用したことはあるのか?その記録はなぜ展示されていないのか?
 参謀総長が“煙に混ぜろ”とか“証拠を残すな”とか公式の文書に書くものなのか?
 疑問が膨らみます。
 添付写真をご覧になってご教示頂ければ幸いです。
 次に、“毒ガス攻撃”とキャプションのついた写真です。
 兵士がガスマスクも被らず、山腹から野焼きのような煙が立ち上っている写真です。
 毒ガスは殆どが無色透明の気体ですし、比重が重いので立ち上る筈はありません。
 立ち上っては殺傷効果は出ませんし・・・。
 激しく皮膚が爛れて苦しんでいる人々の写真や死体が展示されています。
 子供達はこれを見てどんなショックを受けるのでしょうか?
 最後に、毒ガス兵器が支那各地で発見された分布図と、漏れた毒ガスによる被害者の写真があって、その責任は挙げて日本にあると印象づけるコーナーもありました。
 日本軍は、停戦命令に粛々と従い、武装解除しました。
 その時生物化学兵器を含めて、目録を添えて戦線の敵 蒋介石軍やソ連軍に引き渡したことが判っています。数年前の正論に詳しい報告があったことを思い出しました。
 生物化学兵器はその管理者に解毒の責任があります。
 日本軍が目録を添えて敵に引き渡したので、その時管理責任は支那、ソ連に移っています。
 そのことも一切表示がありませんでしたし、その解毒解体事業は我が国に責任はないにも拘わらず我が国が莫大な予算で今も続けられていることも触れられていません。
 大勢の外国人観光客、子供達にこのような欺瞞が日常的に刷り込まれて居ます。
 毒ガス資料館を見学中にも、多くの外国人観光客や子供連れの家族がひっきりなしに入っています。
 彼らが“日本は酷い国だったと刷り込まれる”のを見て堪らずに話しかけました。
 英語が出来ないので日本人の家族連れにです。
 二人の小学生を連れた若いお父さんとお母さんでした。
 年表に禁止条約が何度も締結されたり確認されたこと、その後で日本軍が本格的に毒ガス製造を始めたことについて説明しました。
 毒ガスは、相手が使ったらこちらも使う抑止力として製造、保有は認められていたことなどをです。 子供達に本当のことを教えてくださいと言いました。
 このままでは子供達は間違った歴史を覚えてしまう・・・日本の父祖を軽蔑するようになってしまう・・・と。
 初めは迷惑そうでしたが、“毒ガス攻撃”のキャプションにある写真についてこれがフェイクであることを具体的に説明したときからすこし考え込むようになりました。
 広島平和ミーティングから千葉のK.Sさん(男性)と東京のT.Tさん(女性)と一緒でした。
 皆で自転車を借り、島内一周しようかとしたとき、持ち合わせが不足しそうだったのでふと思い出し一人で“毒ガス資料館”を見てみようと思い立ったのです。
 見学中に、これはお二人にも是非見てもらいたいと思いました。電話して帰り道に寄って欲しいと伝えましたら、程なくやってきました。
 皆でもう一度詳しく見ようと回り始めたとき、もう一組二人の子供とご夫婦がやってきました。
 同じように話しかけました。
 このご主人はすぐに反発しました。
 私が間違って居る点を指摘すると、昔のことになぜそんなに拘るのか日本が毒ガスを作ったのは事実ではないか・・・と言うのです。
 今更、戦争を美化するべきではない・・・などとも言っていました。
 子供達に間違った歴史を教えれば、子供達は日本を嫌いになるだろう・・・。
 “毒ガス攻撃”の写真について説明しようとしたとき、会話が険しくなったのでしょう、T.Tさんがとても心配して“このくらいで止めましょう”と間に入ってきました。
 サヨクでは無いかも知れない、常識的なひとの様に見受けられる人でした。
 日本の学校教育、日本のマスコミを主な情報源としてきた人と、短時間で話し合うことは中々難しい・・・と思いました。

 今までも、これからも、こうして反日サヨクは拡大再生産されていく・・・と思うと居たたまれない思いでした。
(ごまめのはぎしり)
”ブルーリボン拡散運動”

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街宣 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2018/08/18 06:00
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