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みずから日本に来た在日朝鮮人

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自分の国を誇りに思えない人は国際社会では信用されないのが当たり前です。
韓国で行われている国際観艦式に於いて旭日旗を掲げるなという日本への恫喝に屈することなく、そんなことするなら参加を拒否するという姿勢を見せた日本、当たり前のことを行っております。
何故、そのような事を韓国政府は行うのでしょうか?旭日旗を否定する言動が出てきたのは2012年からです。
その事実を知る人は馬鹿なことを言っていると韓国人を見下すでしょう。
思想の自由はあるでしょう、しかし人を侮辱することを平気で行う人に対して寛容になれと目の上から言う人がいてもそんなことを聞く必要はないと拒否されるだけです。

さて、日本が憎いと言って平気でヘイトスピーチをおこない、差別を作り出して飯の種にしている捏造新聞がこのような分析を出しています。
ネトウヨ像覆す8万人調査 浮かぶオンライン排外主義者
 「ネット右翼」はどのくらいいて、どのような人たちなのか。その実像に迫ろうと、8万人規模の過去に例のない大規模調査が行われた。ネット右翼と呼べる人たちは全体の1・7%だったほか、これまで語られてきたネット右翼像とは異なるタイプの「オンライン排外主義者」が3・0%存在することも浮かび上がった。
 ネット右翼とは一般的に、保守的・愛国的な政治志向を持ち、中国や韓国などの近隣アジア諸国に対して排外的な言動を行う人を指すことが多かった。規模は小さいとされるが、膨大な情報を生み出すことから、その影響力に注目が集まっている。一方で、ネット右翼の担い手がどんな人たちなのかについて実証的に検証したケースは少なく、多様なネット右翼像が流通しているのが現状だ。
 東北大の永吉希久子准教授(社会意識論)らのグループが東日本大震災以後の人々の社会活動の変化を調べようと、昨年12月に「市民の政治参加に関する世論調査」を実施。ネット調査会社を通じて20~79歳の東京都市圏に住む約7万7千人の男女にアンケートをした。その際、ネット右翼について調べるための質問も盛り込み、永吉さんが実証的な検証を試みた。

さて、この結果はよく知りませんが、犯罪者の仲間である朝日新聞に金を渡してまで情報が欲しいとは思いませんね。
どうせ、靖国神社を排他する排他的な記事を書いているだけでしょうね。
自分たちの為に戦った人々に感謝することは極々当たり前の事であり、なんも後ろめたいことはありません。
堂々と参拝しています。
それをネット右翼と言うなら勝手にどうぞ、どうせ温泉好きですしね。
そもそもネットワーク上だけで活躍している人々の事なのに街頭で朝日新聞などの嘘を暴いている人たちに対して差別しても良いと考える朝日新聞たちの方がよっぽど差別主義者である排他主義者であると私は思っています。

次のような記事は排他主義ではないのに排他主義と混同させる記事を書いて日本人を差別する勢力を援護する記事です。
よく考えてみましょう。
<高校無償化訴訟>「いじめそのもの」 卒業生ら落胆
◇高校無償化訴訟、大阪朝鮮学園側逆転敗訴
「子どもたちを司法が見捨てた」
 大阪高裁の判決後、そう書かれた垂れ幕を弁護士が掲げた。正門前に集まった数百人の保護者や卒業生からは落胆の声が上がり、チマ・チョゴリ姿の女子生徒らは抱き合って涙を流した。
 傍聴した卒業生の金明和(キム・ミョンファ)さん(46)は、ショックで裁判長の言葉が途中から耳に入らなかったという。「訴えが認められた1審では『日本社会に受け入れてもらえる』と喜んだのに」と肩を落とした。卒業生の60代女性も「より良い教育を子どもに受けさせたいという思いが、なぜ認められないのか」と憤った。
 「奪われ続けた声がある」「怒りが今また声となる」。朝鮮半島の統一旗をあしらったうちわを掲げた保護者らは、無償化運動のために作られた歌を合唱して抗議を続けた。
 判決後の記者会見では、大阪朝鮮学園の玄英昭(ヒョン・ヨンソ)理事長が「決して容認できない。在日朝鮮人への差別をあおる判決で、子どもたちへのいじめそのものだ」と批判。卒業生の申泰革(シン・テヒョク)さん(26)は在学中に無償化の審査が止まり、「政治に振り回され、無力だった」と振り返った。【戸上文恵、茶谷亮】

さて、そもそも朝鮮学校は日本の認可を受けた学校ではありません。自動車学校と同じ扱いの各種学校です。
何故、無償化させないといけないのでしょうか?教育を受けたいなら日本の公立高か私立に行けばよい話です。
自分たちが自由に教育したいと言って作った学校に補助金を出している事の方が法律違反です。
政府の公式見解は北朝鮮の影響を受けている朝鮮学校に補助金を出さない事になっているはずなのに各種暴力や脅迫などを受けた地方自治体が補助金を出してしまったことが問題なのです。
補助金を出す方が差別となる事を忘れてはいけません。
出してほしいなら日本の教育方針に従ってください。それが義務権利の関係です。

第一、日本に強制連行されたと嘘を言い続けている在日朝鮮人がいるから多くの人が迷惑を被っている事実を考えてほしいものです。
(38)主体思想研究の第一人者 朝鮮大学校元副学長の慟哭
 朝鮮大学校(東京都小平市)の副学長を23年にわたって務めた朴庸坤(パク・ヨンゴン)(90)が密航船に揺られ、“海峡を越えて”、朝鮮半島から日本へ渡って来たのは、戦後の昭和23(1948)年、6月18日のことである。
 北緯38度線を挟んで米ソ両国が進駐し、事実上、南北に分断された朝鮮半島は混乱状態が続いていた。民族の独立を目指し、南朝鮮労働党(後に北朝鮮・朝鮮労働党に統合)の活動家となった朴は、モスクワ留学も決まり、前途洋々に見えたが、ぬれぎぬのスパイ容疑をかけられ、故郷に居づらくなってしまう。
 20歳の朴はひそかに、日本へ渡ることを決心。小さな船に詰め込まれ、済州島を経て、瀬戸内海の広島・尾道に上陸した。「尾道は警戒が緩く、まったく怪しまれなかった」という。
 愛知県内の親類宅に身を寄せた朴は、20年10月に結成された在日朝鮮人団体「在日本朝鮮人連盟(朝連)」愛知県本部の仕事や朝連の民族学校の英語講師をして糊口(ここう)をしのぎ、愛知大に編入する。同大は上海にあった東亜同文書院の系譜を引き、外地から引き揚げた教員・学生の受け皿として戦後創設された学校で、優秀な人材がそろっていた。朴は、東京帝大出身のマルクス経済学者、林要(かなめ)らに師事。学部、研究科(大学院)を経て助手となり、11年にわたって同大に在籍し、研究に打ち込む。
 そのままいけば、同大の教授になるか、故郷(後に韓国)に帰って、経済学の研究者として穏やかな人生が待っていただろう。だが、ふとしたことで始まった朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)、そして北朝鮮との関わりが朴を激動の渦に巻き込み、「主体(チュチェ)思想」研究の日本における第一人者として、その学者人生をも大きく変えてゆく。

◆ない交ぜの在日社会
 朴の後半生をたどる前に、終戦後の在日社会について説明しておきたい。戦争が終わり、日本に200万人以上住んでいた朝鮮人のうち、約140万人が朝鮮半島に帰った。ところが、混乱と貧困によって再び日本へ舞い戻ったり、朴のように、新たに日本を目指したりした朝鮮人らが“ない交ぜ”になって形成されたのが後の「在日朝鮮・韓国人」という存在である。
 日本の行政機関も、混乱していたらしい。戦後にやってきた朴が後に外国人登録を行ったとき、「戦前から親類方に住んでいた」と申告すると、役所側は詳しく調べもせず、すんなり受理されたという。
 前述の「朝連」は在日の権利擁護、帰国支援を目的に結成された。故郷を目指しながら、朝鮮語ができない日本生まれの2世らのために国語講習所を各地に開設、その後身が現在、総連傘下となっている各種の朝鮮学校である。やがて、在日の志向は帰国→定住へ。団体は朝鮮半島の分断とともに韓国支持の在日本大韓民国民団(民団)と北朝鮮支持の総連に分かれ、政治的な性格を強めてゆく。

 ◆帰国事業参加から一転
 朴の人生を変えたのは、34年から始まり、約9万3千人の在日朝鮮人や日本人配偶者・子が北朝鮮へ渡った帰国事業である。
 朴には、交際中の日本人女性(現在の妻)がいたが、故郷に連れて帰ろうにも名家出身の父親が「日本人の嫁」を認めるはずがない。ならば一緒に帰国事業に参加して北朝鮮へ行き、社会主義国家建設に加わろう、と総連の窓口に申し込んだ。資本主義に対する「社会主義の優位」が信じられていた時代である。夫妻は、35年早々の帰国船に乗り込むはずだった。
 ところが、もう一度“賽(さい)の目”は転がる。
 4年前(31年)に東京朝鮮中高級学校(日本の中・高に相当)に間借りして開校した「朝鮮大学校」が34年6月から、東京都小平市の約2万坪の新キャンパスに移転しており、規模の拡大にともなって教員の増員に迫られていた。
 総連は急遽(きゅうきょ)、朴の帰国を取りやめさせ、幹部教育機関である中央学院へ送った上、新装なった朝大教員となることを命じる。思いもかけないことだったが、組織(総連)の決定に逆らうことなどできないし、朴自身も若い学生たちを教えることに魅力を感じた。
 まさに、運命の分かれ目であったろう。帰国事業参加者は資本主義の毒に染まった日本からの帰国者として差別を受けただけでなく、スパイ容疑などの冤罪(えんざい)を着せられ、政治犯収容所に送られた人も珍しくない。監視・密告が横行し、“地上の楽園”という宣伝文句とは全く逆のひどい暮らしに疲れ、多くがボロボロになって死んでいった。

 ◆朝大生の帰国を暴露
 朴は49(1974)年に初めて訪朝するまで、その実態を知らなかった。だから47年に北朝鮮の初代最高権力者、金日成(キム・イルソン)の還暦祝いとして、朝大生200人を北へ帰国させるよう指示が来たとき、逡巡(しゅんじゅん)する学生・保護者を説得して回り、背中を押したのである。
 女性映画監督、ヤン・ヨンヒ(53)の長兄(当時朝大1年)もこのとき帰国した。長兄は、後に心身を病み、60歳を前にして亡くなったという。「朝大生200人帰国」の事実は長く秘密とされた。
 朴が初めて訪朝したとき、ひそかに宿泊先まで会いに来た元朝大生は、恨み言ひとつ言わなかったという。朴はひとり慟哭(どうこく)する。取り返しのつかないことをしてしまった、と…。平成19年、テレビ番組で朴は、この事実を初めて公にする。そして北朝鮮からすべての称号などを剥奪された。「自責の念ですよ。いつか機会があれば、話すべきだとね。帰国事業は、総連最大の事業だった。ちゃんと総括すべきでした」=敬称略、土曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

いくつか重要なことが書いてありますね。
200万人もいた朝鮮人の内140万人は帰国したが再び日本に来た、戦後の混乱で在日朝鮮人という地位を得たという事です。
朝日新聞の記事ですとどう甘く見積もっても強制連行された人と言うのは245名しかおらず、それも本当にそうかは判っていません。ほとんどの人が自らの意思で朝鮮半島から日本に来た人々です。
そして密航してきた人が多数いるという事です。
そして、北朝鮮が地上の天国と言うのは嘘であり、地獄へと生徒を送ってしまった教授がいた、そしてそのことを告発すると二度と故郷の土を踏めなくなったという事実が残りました。

このような人々が自分の国に誇りを持てるのでしょうか?
そして他人に敬意を払えるのでしょうか?かわいそうと言えばかわいそうですね。
しかし、それも自分が行動を起こさなければならない事だったのかもしれません。

自分の生まれに誇りが持てない人はいないと思います。よっぽどひねくれていない限り何とかしていこうと思うものです。
住めば都という諺がありますが、これはよりよくしていこうという考えを持つ人の事だと私は思っています。
私達も自分の故郷、国に誇りをもって海外へ行きませんか?
それが世界で通用する人材ってものです。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2018/10/12 06:00
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