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第65回 知覧特攻基地戦没者慰霊祭

知覧特攻基地
今日は一般的には憲法記念日なのですが、私にとっては知覧特攻基地戦没者慰霊祭の日となります。
もう、何年続けて伺っているのでしょうか?
何時になっても忘れることはありません。

今年も仲間と共に鹿児島県南九州市の知覧町へ行き参列してきます。
慰霊祭の式場の横には知覧特攻平和会館があります。
そこにはこのような案内板がありました。
 この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
 私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
 特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。
 この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。

いまは桜の散る季節ですね。
平成27年にこのような記事があります。
【動画】若き特攻隊員の姿重ね 知覧平和公園(鹿児島)
 「特攻の町」と呼ばれる鹿児島県・知覧。第二次世界大戦末期、若い飛行兵たちが陸軍特別攻撃隊として、爆弾を装着した戦闘機で敵艦に体当たりするため、この町の飛行場から沖縄に向けて飛び立った。
 あれから70年。基地の跡地は陸上競技場やサッカー場などもある約23ヘクタールの「平和公園」として整備された。今、ソメイヨシノやヤマザクラが見頃となり、家族連れらのにぎやかな声に包まれている。
 公園内の「知覧特攻平和会館」の資料によると、この作戦で亡くなった特攻隊員は1036人、その半数近い439人が知覧から飛び立ち、帰らなかった。
 当時、基地近くで食堂を営み、隊員を見送り続けて「特攻の母」と呼ばれた鳥濱(とりはま)トメさん=平成4(1992)年死去=が戦後、各地から来る遺族たちのために始めた富屋旅館の3代目女将、鳥濱初代さん(55)は「隊員の洗濯や食事の世話などをした女学生たちは出撃する隊員の顔は見られず、桜の枝を振って見送ったそうです」と教えてくれた。
 基地の桜は戦後、すべて焼かれたという。今ある約600本は後に植樹されたものだ。それでもここを訪れた人は、散りゆく花びらに、若き特攻隊員の姿を重ね合わせるのだろう。
 桜にはさまざまな思いが込められる。戦時、人は愛するもののため桜のように命を散らせ、散った命を弔うために植樹した。戦後70年、そんな桜をめぐる。


戦争が出来る国にしようとしていると一部の人が言います。
ですが、戦わない時に戦えないのでは人は守れません。守る覚悟がないのに守れると無責任な話をしないでもらえますか?
よく言いますよね。撃たれる覚悟のある人だけが撃つことが出来る。
後ろで騒いでいるだけで表に出てこない人間に何が出来るのでしょうか?4列目の男たちが何を言うのでしょうね。

世界は日本の豊かな資源を狙っています。それに対抗するためにも日本は強くあらねばなりません。
いざという時、戦う覚悟を守る覚悟を忘れない様にしましょう。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2019/05/03 06:00
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