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日本を滅ぼす琉球史観からの脱却

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先月、ちょうど日本に戻った際に沖縄対策本部の仲村さんの講演会がありましたので参加してきました。

日本を滅ぼす琉球史観からの脱却

先日、戦勝国連合の人権委員会が6月から始まっております。
その場で日系ハワイ四世のロバートさんが意見発表を行いました。
https://www.sankei.com/world/news/190626/wor1906260005-n1.html
これは英語で行われておりまして、共同通信が報道していますが、全くの嘘
捏造記事であり、実際にはこのような発言を行っていたようです。
以下
琉球は記憶する限り沖縄になる前には独立国であり、1879年日本は琉球の人々の遺志とは裏腹に不正を行い併合を行いました。
日本はその後にも同じことを他の国に対しても行っており、例えば朝鮮、支那、フィリピンなどです。
第二次世界大戦の後には琉球を除いてこれらの国々は独立しました。
日本は沖縄線を利用して、琉球人達の大量虐殺をしました。
その間に日本の軍人達は意図的に何千人もの琉球の市民を殺害し、その他の何千人にも自殺するように強制しました。
全てを合わせると、その間の数か月で14万人の琉球人が殺され、これは人口の1/3~1/4に等しいのです。
日本が敵の中の一ヵ国から攻撃されれば、また琉球は全滅させられます。
琉球人は長く平和的な講義をしてこの尋常ではない数の軍隊を逆行させようとしています。
私達は国連人権理事会はこの問題に対して支援するように促します。
まさにこの国連の基盤が時代遅れになってはいけません。
したがって人権委員会は琉球を助けて琉球人が偏見、差別を受けていると言う事実を確かめるように主張します。
ご意見と御考慮に心より感謝します。ありがとうございます。
以上
共同通信の報道とは全く異なりますね。
フェイクニュースの典型です。
南京大虐殺の次は琉球大虐殺のプロパガンダを仕掛けてくるでしょう。
琉球人を虐殺したと言う事実はありません。しかし、中共は26万人の虐殺という捏造を世間にばらまいています。
その一貫としてこのような捏造が出てきているのです。
先日行われました辺野古埋め立て反対の県民投票、最初は6市町村が反対して県民投票がされませんでした。
しかし、県外からのファックス攻撃により県民投票反対のスクラムが崩れてしまいました。
決して県民のから多くの苦情が来たわけではなく県外から多数苦情により、県民投票が行われることになりました。
その県民投票、結果として5割しか投票しておらず、県民の3割5分しか賛成していないそうです。
しかも辺野古基地移設、拡大への賛成/反対の県民投票ではなく埋め立て賛成/反対の県民投票でした。
反日メディアの言う基地反対が7割というのはフェイクニュースであり、数字のごまかしにすぎません。

琉球の過去と現在
先日 平成29年6月5日に山田宏先生が政府における沖縄の立ち位置を正しました。
その前は明治政府前は日本に所属するかわからないと言う政府見解でしたが山田宏の答弁により明治時代前数百年前から日本に帰属すると言うのが日本政府の正式見解となりました。
明治政府の7世紀前からと言うのではありませんが、これも一つの成果ですね。
因みに一般的に琉球処分で琉球王朝は滅びましたが、琉球処分で亡くなった人は一人もいません。
薩摩藩廃止で亡くなった人はいましたか?西南戦争では数千人単位で亡くな割れた人がいましたよね。
廃藩置県における琉球で亡くなった人はいません。
因みに琉球王朝の尚氏は現代でも残っており、つい最近まで沖縄の財界では大きな力をもっていました。

薩摩藩の先見の明
一般的にペリーが1853年に平賀に来てから開国が始まったと言われておりますが、
実際には1844年にフランス軍艦が沖縄に到着したことから始まっております。
このニュースは狼煙台などの当時の情報伝達網で琉球から薩摩、江戸と伝わっていました。
この江戸幕府の情報網、海防政策は「先島諸島火番盛」と呼ばれており、全国各地にこのような外敵防衛のための設備が配備されていました。
そして薩摩藩主島津斉彬はフランス軍艦の来訪に対して富国強兵を推進し、集成館事業を手掛け、反射炉や高炉、機械工場、紡績所などを整備していき、
琉球防衛の為に琉球大砲船の建造、江戸幕府の大船建造禁止令を解禁させ「昇平丸」の就航に至りました。

フランス軍船来訪に対する薩摩・江戸の動き
直轄地である琉球に1844年4月28日にフランス:アルクメール号が来琉、乗員230名と共に来たそうです。
6月18日に薩摩藩 山川港に情報が到達、その後薩摩藩は江戸老中阿部正弘に内申したそうです。
それを受けて8月3日に訓示を家老に渡し、8月11日に警備兵派遣命令を出します。
その間に薩摩藩は飛船3隻、与力3名、足軽15名を琉球に派兵7月25日発、8月9,10日に到着
警備兵派遣命令を受けた薩摩藩は9月25日前之浜発、9月27日山川発にて10月20日に那覇港に到着したそうです。
当時の連絡網を考えると相当のスピード感で事が動いています。
しかもフランス軍艦が来琉したのちに、イギリス:スターリング号が1852年2月19日にはアメリカ:ロバート・バウン号が、1846年5月2日にはフランス:サビーヌ号、ビクトリューズ号、クレオパトール号が来琉しており、
薩摩藩への圧力は相当なものだったでしょう。
1844年8月には「琉球秘策」が執筆され、「琉球ノ処分ハ、絶ト和トノ二策ヲ主トスヘシ」つまり開国を拒否するか開国するかのどちらかであり、そして、決して「戦」を選択してはならないというものでした。
江戸幕府はこの秘策に基づいて琉球のみフランスに対して開港を許可しました。江戸幕府の開国もこの秘策の流れにあることが見えてきます。
琉球秘策とは開国思想のルーツであり、明治維新の始まりであることが見えてきます。結局、明治維新とは沖縄の危機に始まり、沖縄県の設置で中央集権国家が完成したといえます。
そして、もう一つ重要なのは、琉球処分という言葉が使われたのは、この時が最初であり、決してネガティブな意味で使われているのではなく、そのような危機対応をするかという意味で使われています。
以上、間違いがあるかもしれませんがこのような講演内容でした。
因みに最後の話は配布された資料に書いてあることを文章化したものですのであしからず

以上
いろいろな話がありましたが古来(大体7世紀)から沖縄は日本の領土であり、文化・伝統・言葉が同じなのです。
それを勝手に支那の支配下としている沖縄左翼、何を考えているのでしょうね。
領土侵略を夢見ている支那の習近平、中共軍によって沖縄が蹂躙されることになると先の大戦以上の被害となります。
なんせ秩序がない中共は台湾で様々な実績がありますからね。

仲村さんはその後戦勝国連合に行き、様々な沖縄県差別、沖縄に巣くう左翼による差別を訴え沖縄が日本であり、中共の領土侵略の手口であることを発表しています。

【国連派遣団レポート】国連先住民族勧告撤回派遣団サイドイベント(令和元年7月9日)
この報告にあるように沖縄県民を県民に無断で先住民として認定した戦勝国連合、それは日本から沖縄を切り離す工作活動にほかなりません。
それが判っていない金に目がくらんだ戦勝国連合の人々、役に立ちませんね。

さて、沖縄では共産党と組む知事が県政を捨て去って反日プロパガンダを行っています。
それを打開するには何が出来るのでしょうか?しっかりと考えていかないといけませんね。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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講演会 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2019/07/28 06:00
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