人権問題について

先日、モナ男こと細野豪志がこのような発言を行いました。
細野豪志氏「最近、人権を言う政治家が減った」と呟く
 民主党の細野豪志幹事長(41)が、静岡県・御殿場市にある国立ハンセン病療養所の1つである国立駿河療養所を訪れた時のことをツイッターで報告している。
 ハンセン病は日本では「癩(らい)病」とも言われ、古くからある感染症の1つ。中世の時代には、発症した者は「非人」として扱われてきた歴史がある。世界でも見られる感染症で、1897年にベルリンで第1回ハンセン病国際会議が開かれ、ハンセン病が感染症であることから病状に応じて患者を相対的隔離することが決められた。
 一方、近代の日本ではハンセン病の増加に苦慮していたことから、「癩予防法」が作られ、強制隔離政策が行われた。1948年には優生保護法が制定され、遺伝疾患でないハンセン病も適用疾患とされ、ハンセン病患者に対する人工妊娠中絶が行われた。この時の胎児や新生児の遺体と見られる標本が国立駿河療養所をはじめとする全国の療養所で保存されているという。1996年に同法は廃止された。
 細野氏はその国立駿河療養所を訪れたことがあるとのことで、ホルマリン漬けの胎児と名前のない大量の位牌が並んでいるのを見たことがあるという。そして、「政治とは、これほどの人権蹂躙を行いうるものだということを知り慄然としました」とその時の心境を綴る。
 また「最近、人権を言う政治家が減ったような気がします。私は非力ですが、その役割を果たしたいと思っています」との思いを綴っている。

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やっと気がつきましたね。
人権問題は人権を軽視している人間が大いに訴えているという多いな矛盾を孕んでいます。
人権、人権と叫んでいる人はどのような人たちでしょうか?
戦時売春婦を湾曲して裁判まで起こした人権弁護士福島瑞穂やそのことが捏造を知っていながら世界に発表している朝日新聞、それに連動して世界に対して自分たちが有利になるように工作している朝鮮人(北朝鮮・大韓民国双方)など達です。
最近ではレイシストしばき隊という差別集団が取りざたされていますね。
彼らの中には民主党政権下で首相官邸に入っていた人たちも確認できています。
レイシストしばき隊
そのような状況下で人権人権という人間が正しいと国民が思っていると細野は考えているのでしょうか?

もう三年三か月前とはことなります。自分で考え自分で行動する国民がほとんどです。
そしてその国民は自分たちの判断で人権、人権と訴える人間たちが胡散臭いと考えるようになりました。そのため、国民の鏡である政治家も人権を訴えることを行わなくなりました。それが事実ではないでしょうか?
そのことを肌で感じることができている細野の感覚は正しいのではないでしょうか?
そのあとは別にして・・・

先日、イギリスの鉄の女ことサッチャー元首相が亡くなりました。
彼女はこの権利・権利の体質に公然と立ち向かい勝利した人物です。
その当時イギリスは英国病と呼ばれる病を患っていました。
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よく知られていることですが、サッチャー元首相は「労働に美徳」と主に「家族の重視」と、その「自助の精神」は、「脱・福祉国家」路線の前提であった。なぜなら、「脱・福祉国家」は、「国家から個人へ」「国家から家族へ」「国家への依存から、自らへ依存」なしではできないからである。人間の質的向上を決定づける「自助の精神」や、自由と道徳を育むかけがえのない温室と基盤は「家族」である。「福祉国家」こそは、“自助=人間の人格的向上”や、自由と道徳を破壊し消滅させるから、「人間の敵」「自由の敵」「道徳の敵」なのである。という考えの持ち主でした。
それに反抗しているのが労働組合です。
労働組合に対しては、「まず、労働組合の存在と活動が、勤労者の賃金を引き上げてきたとの神話を払い去ること。なぜなら、『労働組合の活動は、必然的にいたるところで労働の生産性を低下させ、そのために実質賃金の一般的水準をも低下させている』からだという。そして、賃金水準の上昇に労働組合がいっさい貢献していないとすれば、労働組合の活動は『経済的には非常に有害であり、政治的にはなはだ危険である』」とバッサリと切り捨てています。
そして「貧困対策の社会福祉が貧困の増大を招いている。」とも訴えており、古き良きイギリスを取り戻そうと活動していた方です。
また、家族制度についてシングルマザーについても否定的であり、金銭が貧困を救済するのではない、との人間の本性を正しく洞察しています。金銭がいかに国が与えても、貧困からの脱出に必要な自助の精神や自己責任感は育たない。また、人生の価値観を身につけることはできない。それらは、家族の生き方、父親の生き方を学ばせ、家族の中に伝わる慣習や習慣に浸らせるほかに、他の方法は何もないのである。と考えていたようです。
これは男である私には非常にわかりやすい考えです。
言葉で示すのではなく行動で示す、道筋で示していくという考えですね。

最後にサッチャー元首相はこのような言葉を残しています。
個人の男性と女性がいて、家族があるだけです。政府は人々を通じて以外は、何もできません。人々は、最初に自分自身の面倒をみなくてはなりません。私たちの義務です。そして、次に、私たちの隣人の面倒を見ることが義務となります。生活は、相互的なビジネスです。人々は、義務なしにあまりにも多くの権利を持っていると思い込んでいます。誰かが最初に義務を負わない限り、権利のようなものはありません。(雑誌『ウーマンズ・オウン』のインタビュー、1987年)
そのような考えの方と細野の考えは水と油のようなものです。
自分で考え自分で示していく、他の方に手は差し伸べるが決して頼らせないサッチャー元首相
他人にすがり、他人の考えに寄り添い、他人の力で他人を支えていく細野民主党幹事長
どちらがより好印象なのでしょうね。

私たちも自分の足で立っていきませんか?
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自分の力でたって歩いて行けばいつかは報われると信じております。



(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2013/04/23 06:00
コメント:
細野豪志って深みが全くない
>人権問題は人権を軽視している人間が大いに訴えているという多いなる矛盾を孕んでいます。

そうなんですね、矛盾と言うよりも偽善者です。
アグネスも日本人じゃないのにNHKなどに出演して日本の人権などを語っています。
それよりも自国と言うか自分の出身地の人権について日本国民に訴えればいいと思ってます。
江川詔子氏もそうですね、拉致被害者には見向きもしません。

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