報われない柳井さん

支那やベトナムなどで格安の労働力を使って簡易的な服を作っては日本の様に単価の高い国で販売することで成長したユニクロ
格安ではしまむらに勝てず、かといって品質はユニーレベルとあってあまり売れているイメージはありません。
しかし、使い捨てにするには十分なお値段でありシーズンごとに買い替えるのであれば上等な部類と言えるでしょう。
使い捨て文化、消費と購入で売り上げを伸ばしてきたユニクロ、私はその品質の悪さから購入することはないでしょうね。
さて、そんな薄利多売で格差を増やしてきたユニクロですが、自分たちが進めてきた方針を否定しているそうです。
脱「ブラック企業」を掲げるユニクロ柳井正さんが喝破した「最悪な日本」とは
「このままでは日本は滅びる」とハッパ
先日も、突然日経ビジネスに柳井さんが出てきて、何を言い出すかと思えば「このままでは日本は滅びる」と題して日本人にハッパをかけています。日本で稼げる人がいなくなったとか、議員も官僚も半分にしろと素敵な放言を次々と繰り出して、好業績を笠に着て詳しくない世間一般のことを大上段から切り下ろそうとする柳井さんの素敵な姿に感心します。私、大好きですこういうの。
以前にも、ヒューマンライツ・ナウやSACOMとかいう面倒が服着て歩いているようなNGOの人たちに中国にあるユニクロの下請工場での潜入取材をされて、そのブラックぶりが晒されていました。そこから柳井正さんもかなり改善していると思うので、一概にこれをもって批判するのもどうかと感じますけれども「あっ、ユニクロの服を買うならクロは避けようかな」と私なんかは感じちゃいます。
日本経済が長きの低迷に陥ってきたのも事実です
で、柳井正さんのお話ももっともなんですよ。確かに中国や新興国の世界市場は成長をして、日本が伸び悩んでいるうちに、かつてのような最先端の経済大国の座から滑り落ちてしまった、というのはアジアの経済成長と共に歩んできた柳井正さんのおっしゃる通りであります。
いまでこそ、テレビや書籍で「日本はスゴイ」というような自己憐憫の情報が乱舞してそれを喜ぶ日本人が一定数いるというのは嘆かわしいことなんですけれども、バブル崩壊以降、日本経済が長きの低迷に陥ってきたのも事実です。デフレ状態から脱しようというタイミングで大規模なグローバル経済の進展と少子高齢化という社会構造の大変化に対応できないまま、戦後の右肩上がりの制度を引きずってしまって制度疲労を起こしました。その点では、柳井さんの発言は単に「いま景気のいいグローバル企業の経営者の寝言」と割り切れない、価値のある何かがそこにあると思うんですよ。
あれを読んで「なんだと柳井」と怒る人ほど、柳井さんの発言を聞いて自らの行いや考えを冷静に反省しても損はないと思いますし、柳井さんが喝破する「日本には稼げる人はいない」という強弁に対して、「それを言い始めたら村田製作所やファナックは、ユニクロよりよほど効率よく稼いでますよね」とか「単に人件費の安いところでモノを作ってきて土地を借りて季節商品を売りさばいているだけで日本の国富や輸出にはたいして貢献していないので、ユニクロよりも東レやトヨタ、キーエンス、日本電産など素材や自動車、部品などのほうが日本にとっては稼げる重要産業なのでは」などという業界の違いを無視した素朴な疑問を柳井さんに絶対に投げてはならないと投資家としても思います。絶対にだ。
公共財と言っていいぐらいの存在にまで
ユニクロの良さはやはり手ごろな値段でそこそこ良いファッションを日常的に楽しめるという、服に興味のない一般ピープルのシビアなコスト感覚にジャストフィットした、安かろう悪かろうを超えた絶妙な線の良い品質を提供しているところにあります。やっぱ季節がくるごと寄るよね、ユニクロ。
それでいて「ユニクロでいいや」と思いつつ、ユニクロのロゴやユニクロっぽさが前面に出たコーディネートで道を歩く気にはなれないという意味で「服には興味ないけど、安物の服を着まわしていると思われたくない俺たち私たちの心情を代弁してくれるユニクロ」の凄さであります。すべては前澤友作さんが勇退したZOZOが早々に「おまかせ定期便」をやめちゃったのが悪い。
何を隠そう、この私もユニクロで買った上下で街中をうろうろしたりしていますが、保育園のお迎えでまったく同じ緑のチェックの半そでシャツを着たパパとすれ違って「おっ、ユニクロだな」「お前もユニクロだな」というアイコンタクトが成立するぐらい一般的な存在になったのですよ、ユニクロは。凄いことですよ、これは。もはや国民服の提供母体であり、公共財と言っていいぐらいの存在にまでもっていった柳井さんの経営手腕というのは素晴らしいと思うのです。
ほんとお茶目ですよね。大好きです
翻って、そんな柳井正さんは過去にあろうことか我が慶應義塾OB(塾員)である玉塚元一さんを後継者に指名してしまい、まあいろいろ微妙なことになって玉塚さんを放逐するという「気の迷い」を見せてくれたというのは等身大の柳井正さんの懐の深さでしょう。たぶん、スポーツマンだし爽やかなのでいいかなと思っちゃったのかもしれませんが、なんだかんだで3年ぐらいで喧嘩したのか玉塚さんは辞めてってしまいました。
「日本は最悪です。稼げる人がいない」とか豪語しておきながら、後継指名にトチって社長に返り咲きとか、柳井正さんほんとお茶目ですよね。大好きです。
その玉塚さんと言えば、どういうわけか流れ着いたローソンの経営者に抜擢されたかと思えば、その後「石油輸入で5兆円借り入れ」とかいうダイナミックなM資金に引っかかった報道が週刊新潮で大問題となり、これが理由かは知りませんがローソンを放逐されてしまうとかいう事件を起こしていました。一体何をしているんでしょう、この人は。
もしも玉塚さんがその後もユニクロの社長に君臨していたら、いまごろ私はファッションセンターしまむらの服を着ていたことでしょう。企業人事とは恐ろしいことです。もちろん、新潮に玉塚さんの話を流したのは私ではありません。
まあ、賞賛する人はいるそうですが、ユニクロファッションを好んで切る社会人は少ないのではないでしょうか?
まあ、安さは魅力的なのでしょうけど品質が悪すぎます。複数年着ることはあきらめれば悪くはないのかもしれませんね。
こんな評価をしている人も中にはいるようです。
ユニクロが売れる理由 「おしゃれ嫌い」がトレンドに
カジュアルで、低価格。老若男女問わず手軽に着られるウエアとしてポピュラーなファッションブランド、ユニクロ。現代で「ユニクロの服を着たことのない人」を探すのは、かなり難しいのではないだろうか。
価格が安いアイテムなら他にも同類のブランドが数多くあるのに、それらとは一線を画して、ユニクロがこれほどまでに浸透したのはなぜだろう。本書『おしゃれ嫌い』は1980年代から2019年までの日本のファッショントレンドを通して、その理由を探っている。著者の米澤泉氏は甲南女子人間科学部文化社会学科教授で、女子学(ファッション文化論、化粧文化論)を専門としている。
■ユニバレは恥ずかしい?
副題は「私たちがユニクロを選ぶ本当の理由」だ。著者は、ユニクロの特徴として、ベーシックなデザインと豊富なカラーバリエーションを挙げている。ユーザーはニットやパンツ、シャツなど単体のアイテムを「部品」として組み合わせ、着用することができる。ユニクロの商品はコーディネートのしやすさが「売り」だ。
そして何といってもユニクロを印象づけるのは「機能性」だ。ヒートテック、ウルトラダウン、エアリズムなど防寒・涼感の機能をもつ素材が開発・製造され、大ヒットした。だが、こうした「完成された部品」に徹したため、ユニクロはファッション性の弱さという欠点も抱えている、と著者は指摘している。
平成初期、まだ人はファッションに競争や「特別感」を求めていた。ゆえにTVCMや新聞折り込みでよく目にする大衆的で個性のないユニクロを着ているとバレる「ユニバレ」を嫌がる風潮があった。しかし2011年、社会の意識は大きく変化する。東日本大震災を契機に、他者と競って流行を追うのではなく、倫理的な正しさを志す「エシカル」やエコに向かったのだ。人はフェアトレードの服を身にまとい、オーガニックな野菜を摂取するなど「ていねいなくらし」と、それを実践する企業を支持し始める。「服はむしろ少ない方がおしゃれ」という思想も高まっていった。
■「インスタ映え」時代のファッション観
震災以降、ユニクロは大々的な戦略「ユニクロイノベーションプロジェクト」を発表。先進的な素材と高い技術を生かしながら、国内外の実力派デザイナーのもと、普遍的なデザインを創出していく。そして、着る人それぞれのライフスタイルに調和するためのブランドづくりへと挑戦し始めた。
「インスタ映え」がトレンドとなった平成後半は、互いに繋がり、共感を得たい欲求が人の心をかき立てた。服は人を差異化させるためのアイテムではなく、周囲と共感して同調されるためのものとなった。
「服にお金や時間をかけず、暮らしを大切にすることで倫理的に正しくありたい」。「ファッションは特別なものではない。誰もが買えて着られ、皆が共感するものだ」。こうした新たな価値観は、ユニクロのビジョンそのものだった。「ユニバレ」は恥ではなく、「ユニクロが良い」の時代が訪れたのだ。
遊び心から個性豊かなファッションを楽しむ「しゃれ」の時代は終わりを迎えた。つまり今のおしゃれは、以前のおしゃれとは性質が異なる。むしろ「おしゃれ嫌い」と呼ぶべきものかもしれない、と著者は語る。今後、わたしたちの感覚は「おしゃれ嫌い」のままなのだろうか。新たなトレンドが到来する次のステージで、ユニクロが何を仕掛けるか見届けたい。
ようは適度に申し訳ない程度のものであればなんだって良いと言う事でしょうね。
こだわりがないと言う事はどんなものでもよいとなりますし、でもはずれを引かないようにしたいと言う事でしょう。
まあ、ユニクロって事でしょうね。同じ系列店にもっと安いのがあるらしいですし、低きに流れるのはある意味仕方がないと思います。
日本では安さを売りに販売していますが、海外では比較的ブランドイメージがあるユニクロ
しかしながら韓国では日本ブランドと言う事で時々バッシングを受けているそうです。
慰安婦嘲笑議論のユニクロに重い一発食らわせた韓国の大学生
光州(クァンジュ)所在の大学に通う学生が慰安婦戯画化議論に包まれた日本のアパレルブランド「ユニクロ」の広告をパロディにした映像を強制徴用被害者とともに制作し目を引いている。
全南(チョンナム)大学史学科4年生のユン・ドンヒョンさん(25)は19日午前、ソーシャルメディアに「ユニクロ広告パロディ」というタイトルの動画を上げた。
掲示された映像は3本で、韓国語・英語・日本語の字幕バージョンだ。映像には日帝時代の労働挺身隊強制徴用被害者ヤン・クムドクさん(89)とユンさんがともに出演した。
映像は議論となっているユニクロの広告と似たコンセプトで撮影された。この映像でヤンさんは日本語で「忘れられない」と書かれたプラカードを持って登場する。韓国語版の字幕には「ユニクロフリース25周年」の代わりに「解放74周年」という文言が書かれている。
ユンさんが「私の年頃にどれくらい大変でしたか」と尋ねるとヤンさんは「それほど残酷な苦しみは永遠に忘れられない!」と叫ぶ。
ユニクロの広告で「私の年齢の時は、どんな格好をしてたの?」という質問にファッションコレクターと紹介された98歳の女性が「80年も前のことを覚えているかって?」と答えた場面をパロディにして批判したものだ。
ユンさんは最近議論が起きたユニクロの広告を見てこうしたパロディ映像制作を企画した。撮影はこの日ヤンさんの自宅の近所で行われ、ユンさんの突然の提案にもヤンさんは快く応じたという。
ユンさんは通信社ニューシスとの電話通話で「ユニクロが広告を通じて過去史を省察しないで被害者をばかにするような態度を取った。韓日両国間の対立を助長するために作った映像ではない。加害国である日本が被害当事者の痛みを立場を変えて考えてくれればという思いで制作したもの」と説明した。
ユニクロは最近「ユニクロフリース:LOVE&FLEECE編」を放送している。15秒間のこの広告では90代のおばあさんと10代の少女が出てきて英語で対話をする。
英語バージョンと違い意訳された韓国語の字幕は「まさか、80年も前のことを覚えているかって?」に変わった。80年前である1930年代後半は強制徴用と慰安婦動員がなされた時期という点から日帝戦犯被害者をばかにしたのではないかという解釈が出てきた。
因みに強制徴用と言う言葉はおかしいですし、慰安婦の動員も存在しません。
すべて募集で働きに来た人たちの事です。
それに80年前に来ていた服を覚えていないと言う事はユニクロもその程度の存在と自ら認めているのでしょう。
特別なものではなく日常的に変化していくものの一つと捉えていると言う事です。
他の物も来ているから覚えていないと言う事でしょうね。
で、それを韓国人がパロディー化し他と言うだけの話です。
一瞬の話題になっただけと言う事でしょうね。
難にしてもユニクロってそんなに発展しているのでしょうか?
私には理解できないセンスですね。
(ブラッキー)


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