即位礼正殿の儀に架かる虹

先日の即位礼正殿の儀では陛下の即位宣言になると雨は止み、日が差し始め、皇居に虹がかかり富士山までが姿を見せる
本当に奇跡のようなことが起きました。
なにが起こったのか分かりませんが素晴らしいと思います。
即位礼正殿の儀の直前 雨上がり虹かかる
22日の都内は午前中、天気が崩れ、時折激しく雨が降りましたが「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」が行われる直前に雨は上がり、一時青空が見えました。
また、同じ頃スカイツリーにあるNHKのカメラは北の方角に虹がかかる映像をとらえました。
朝起きると雨が降り募り時々強くなっていましたのでどうなんだろうかな?と思っていましたが、
正午を超えると雨脚が緩くなり虹が架かったそうです。やはり天も陛下の御即位を歓迎しているのでしょうね。
そんな陛下の半年の歩みという記事がありました。
天皇、皇后両陛下、即位から半年の歩み 「国民の中に」ご交流積極的に
5月1日のご即位から約半年。天皇陛下は上皇さまから引き継いだ象徴としての公務を重ね、宮内庁側が上皇さまのご負担軽減のため取りやめたり、減らしたりしていた式典でのお言葉や宮中祭祀(さいし)も復活されている。病気療養中の皇后さまも主要行事すべてにご臨席。「国民の中に入り、国民に少しでも寄り添う」。陛下が平成31年2月の誕生日会見で語った言葉通り、国民との積極的なご交流の姿勢を示されている。
「楽しそうですね」「どれくらい練習されましたか」。6月2日、全国植樹祭臨席のため訪問された愛知県の医療福祉施設。両陛下は車いすダンスを披露する入所者に話しかけられた。宮内庁幹部が時間を気にする中、両陛下は見送りの施設関係者にも声をかけてご歓談。入所者には手を握って励まされ、出発時間は約20分遅れた。同様の場面は地方ご訪問が続いた9月、新潟県(国民文化祭)や茨城県(国民体育大会)でもみられた。
同月に全国豊かな海づくり大会臨席のため訪問された秋田県の県動物愛護センターでは、児童が両陛下用の椅子に座ってしまう場面があった。両陛下は「どうぞ、どうぞ」と席を譲り、順番に立って児童の輪の中に入られた。「多くの国民と自然な形で触れ合われようとする姿勢の表れ」。宮内庁幹部の一人はそう話す。
国民文化祭を除くこれらの3つの式典では21年以降、上皇さまの負担軽減からお言葉がなくなったが、陛下はいずれも復活された。8月15日に初めて臨席した全国戦没者追悼式では、上皇さまが用いられてきた「深い反省とともに」との言葉を「深い反省の上に立って」と変えられた。小さな変更の中に、戦後世代としての未来志向と、平和への覚悟をにじませられた。
21年以降は減らされていた宮中祭祀も平成当初の形に戻された。陛下は上皇さまが5月1日と10月1日のみ拝礼されていた皇居・宮中三殿での旬祭に毎月1日、臨まれている。
病気療養中の皇后さまは陛下の即位前、地方訪問そのものや、訪問先の一部行事への臨席を見送ることがあったが、この半年はほぼすべての行事にご同行。皇居や赤坂御所の清掃をするボランティア「勤労奉仕団」との面会は実現していないが、ご回復の傾向にあることがうかがえる。
上皇后さまから引き継いだ日本赤十字社の名誉総裁として、全国赤十字大会(5月)、フローレンス・ナイチンゲール記章授与式(8月)には単独でご臨席。来日したトランプ米大統領夫妻、マクロン仏大統領夫妻、「アフリカ開発会議(TICAD)」に出席したアフリカ首脳夫妻らを皇居に招いた際、出迎えや見送りで通訳を介さず、流暢(りゅうちょう)な英語やフランス語で会話される姿も話題となった。
一方、側近の一人は「国民からの励ましを大きな心の支えとされている。さまざまな工夫をした上で公務に臨まれているが、過度な期待は負担になりかねない」と話している。
天皇陛下
お名前は徳仁(なるひと)、称号は浩宮(ひろのみや)。昭和35年2月23日、上皇ご夫妻の長男として誕生された。59歳。皇室の長年の慣習だった乳人(めのと)ではなく、一般家庭と同じようにご夫妻のお手元で育てられた。
学習院初、中、高等科を経て、学習院大文学部史学科にご入学。中世の水上交通史を学ばれた。卒論は「中世瀬戸内海水運の一考察」だった。
卒業後は同大大学院へご進学。58年から約2年間、英国のオックスフォード大に留学し、中世の水運を研究された。英国では寮で1人暮らしも経験された。
皇后さまと出会われたのは61年10月、当時の東宮御所で開かれたスペイン王女の歓迎会の場だった。平成4年8月に再会され、同年10月に千葉県の宮内庁新浜鴨場でプロポーズ。5年6月にご結婚、13年12月に長女の敬宮(としのみや)愛子さまが誕生された。
皇太子時代は「七大行啓」と呼ばれる毎年の地方公務に臨んだほか、外交関係樹立の節目などで重ねられた外国訪問は約50カ国に上る。上皇さまのご病気や体調不良に際しては、国事行為の臨時代行や要人との面会などの名代を務めるなど、上皇さまを支えてこられた。
上皇さまの譲位により、令和元年5月1日、第126代天皇に即位なされた。
大学時代のご研究に端を発した「水」問題をライフワークとされる。趣味はジョギング、登山、ビオラご演奏、カメラなど幅広い。語学も堪能で、英語以外にスペイン語やフランス語も学ばれる。
皇后陛下
お名前は雅子(まさこ)。昭和38年12月9日、元外交官で国連大使も務めた小和田恒(ひさし)さんと妻の優美子さんの長女として誕生された。55歳。双子の妹2人がおられる。幼少期は恒さんの仕事の関係で、米国のニューヨークなどで過ごされた。小中学校は日本国内で通われ、高校生で再び米国へ。ソフトボール部などに所属し、活発な学生生活を送られた。
高校卒業後に進んだ米国のハーバード大では経済学をご専攻。フランス語やドイツ語も学ばれた。東京大学に学士入学し、62年4月、外務省に入省された。
平成5年に天皇陛下とご結婚。13年に長女の敬宮愛子さまを出産された。
15年12月から「ストレスによる心身の不調」で療養生活に入られる。その後「適応障害」との病名が公表された。現在も療養は続いているが、25年4~5月にオランダ国王の即位式出席のため同国を訪れ、11年ぶりの海外公式訪問を果たされた。30年11月の平成最後の秋の園遊会では療養前以来15年ぶりに全行程にご参加。このほかにも、近年は公務に臨まれる機会が増えている。
令和元年5月1日、陛下のご即位に伴い、皇后となられた。以降も全国植樹祭(愛知県)や全国豊かな海づくり大会(秋田県)など、地方訪問も着実になされている。
ご活動の中では、特に困難な状況にある人々に心を寄せ、貧困の根絶や教育の普及といった国連が掲げる「持続可能な開発目標(SDGs)」に高い関心を持たれている。
天皇陛下万歳と胸を張ってお祝いできますね。
さて、歴史的儀式が簡略化されると言うのはいささか寂しいものがあります。
少なくとも平安時代からの民族衣装を身にまとっているのですから当時そのままは出来ないでしょうけど儀礼などは変わっていません。それが簡略化となると寂しいものがあります。
「饗宴の儀」簡素化、ご負担軽減
22日に始まった一連の儀式のうち、天皇陛下が国内外の賓客から祝福を受け、飲食を共にされる国事行為「饗宴(きょうえん)の儀」は、皇族方のご負担軽減や儀式の簡素化のため、平成時より規模が縮小された。特に病気療養中の皇后さまのご体調を考慮した形となった。
饗宴の儀は22日を含め計4回開かれるが、2回目以降は25、29、31日に開催され、後半の2回は立食形式を採用した。前回の平成の代替わりでは4日連続で計7回催され、うち3日間は昼夜2回のスケジュールだったが、今回は1日1回で1~3日間の間隔をあけることになった。
また、即位礼正殿の儀では前回、宮殿の中庭に張り出す形で設置した一部参列者用の仮設ステージの設置を、今回は見送った。台風など荒天の場合、ステージの雨をしのげないことを踏まえたものだが、費用面では億単位の経費節減となった。
11月14、15日に行われる大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」と、16、18日の饗宴「大饗(だいきょう)の儀」は、それぞれ約700人を招待。前回は大嘗宮の儀に936人を招待したが、静謐(せいひつ)な環境が保たれなかったとして人数を絞る。参列する皇族の減少も踏まえ、大嘗宮は主要祭殿の規模は維持する一方、敷地面積は前回の約77%に抑制し、経費削減につながった。
陛下の負担軽減という事での簡略化という事だそうですが、寂しいですね。
豪華絢爛にとは言いませんが、一生に一回あるかないかも重要な儀礼です。
必要ないものは仕方ないとしても寂しいものがありますね。
令和の世に相応しい儀式になる一連の即位の儀式、しっかりとお祝いしていきましょう。
(ブラッキー)


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