政府主催主権回復記念日

先日、政府主催の主権回復記念日の式典が天皇陛下、皇后陛下のご臨席の元開催されました。

58f8eb9d.jpg
こちら首相官邸からの転載です。

主権回復・国際社会復帰を記念する式典 内閣総理大臣式辞
 本日、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、各界多数の方々のご参列を得て、主権回復・国際社会復帰を記念する式典が挙行されるに当たり、政府を代表して、式辞を申し述べます。
 61年前の本日は、日本が、自分たちの力によって、再び歩みを始めた日であります。サンフランシスコ講和条約の発効によって、主権を取り戻し、日本を、日本人自身のものとした日でありました。
 その日から、61年。本日をひとつの大切な節目とし、これまで私達がたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって、希望と、決意を新たにする日にしたいと思います。
 国、敗れ、まさしく山河だけが残ったのが、昭和20年夏、わが国の姿でありました。食うや、食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた、初めての、そして、最も深い断絶であり、試練でありました。
 そのころのことを、亡き昭和天皇は、このように歌にしておられます。
 「ふりつもるみ雪にたえていろかえぬ松ぞををしき人もかくあれ」
 雪は、静謐のなか、ただしんしんと降り積もる。松の枝は、雪の重みに、いましもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに、緑の色を留めている。わたしたちもまた、そのようでありたいものだという御製です。
 昭和21年の正月、日本国民の多くが、飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていた時に、詠まれたものでした。
 多くの国民において、心は同じだったでしょう。
 やがて迎えた、昭和27年、主権が戻ってきたとき、私達の祖父、祖母、父や、母たちは、何を思ったでしょうか。きょうはそのことを、国民ひとりひとり、深く考えてみる日なのだと思います。
 61年前の本日、国会は、衆参両院の、それぞれ本会議で、主権回復に臨み、四項目の決議を可決しております。
 一、日本は一貫して、世界平和の維持と、人類の福祉増進に貢献せんことを期し、国連加入の、一日もすみやかならんことをねがう。
 二、日本は、アジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって、世界平和の達成に、貢献せんことを期す。
 三、日本は、領土の、公正なる解決を促進し、機会均等、平等互恵の、国際経済関係の確立を図り、もって、経済の自立を期す。
 四、日本国民は、あくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに、国際社会の、有為にして、責任ある一員たらんことを期す。
 以上、このときの決議とは、しっかりと自立した国をつくり、国際社会から、敬意を集める国にしたいと、そういう決意を述べたのだといってよいでしょう。
 自分自身の力で立ち上がり、国際社会に再び参入しようとする日に、私達の先人が、自らに言い聞かせた誓いの精神が、そこには汲み取れます。
 主権回復の翌年、わが国が賠償の一環として当時のビルマに建てた発電所は、いまもミャンマーで、立派に電力をまかなっています。
 主権回復から6年後の昭和33年には、インドに対し、戦後の日本にとって第一号となる、対外円借款を供与しています。
 主権回復以来、わが国が、東京でオリンピックを開催するまで、費やした時間はわずかに12年です。自由世界第2の経済規模へ到達するまで、20年を要しませんでした。
 これら、すべての達成とは、わたくしどもの祖父、祖母、父や、母たちの、孜々たる努力の結晶にほかなりません。
 古来、私達日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣を祈ってきた豊かな伝統があります。
 その、麗しい発露があったからこそ、わが国は、灰燼の中から立ち上がり、わずかな期間に、長足の前進を遂げたのであります。
 しかしながら、国会決議が述べていたように、わが国は、主権こそ取り戻したものの、しばらく、国連に入れませんでした。国連加盟まで、すなわち、一人前の外交力を回復するまで、なお4年と8カ月ちかくを、待たなければなりませんでした。
 また、日本に主権が戻ってきたその日に、奄美、小笠原、沖縄の施政権は、日本から、切り離されてしまいました。
 とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が、最も長く、日本から離れたままだった事実であります。
 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」。佐藤栄作首相の言葉です。
 沖縄の、本土復帰は、昭和47年、5月15日です。日本全体の戦後が、初めて本当に終わるまで、主権回復から、なお20年という長い月日を要したのでありました。
 沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった、戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は、意味をなしません。わたくしは、若い世代の人々に特に呼びかけつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く、思いを寄せる努力をなすべきだということを、訴えようと思います。
 わが国は再びいま、東日本大震災からの復興という、重い課題を抱えました。しかし、同時に、日本を襲った悲劇に心を痛め、世界中から、たくさんの人が、救いの手を差し伸べてくれたことも、私達は知っています。
 戦後、日本人が、世界の人たちとともに歩んだ営みは、暖かい、善意の泉をはぐくんでいたのです。私達はそのことに、深く気づかされたのではなかったでしょうか。
 なかでも米軍は、そのトモダチ作戦によって、被災地の人々を助け、汗と、時として涙をともに流してくれました。かつて、熾烈に戦ったもの同士が、心の通い合うこうした関係になった例は、古来、稀であります。
 私達には、世界の行く末に対し、善をなし、徳を積む責務があります。
 なぜなら、61年前、先人たちは、日本を、まさしくそのような国にしたいと思い、心深く、誓いを立てたに違いないからです。
 ならばこそ、私達には、日本を強く、逞しくし、世界の人々に、頼ってもらえる国にしなくてはならない義務があるのだと思います。
 戦後の日本がそうであったように、わが国の行く手にも、容易な課題など、どこにもないかもしれません。
 しかし、いま61年を振り返り、汲むべきは、焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と、民主主義と、人権を重んじる国柄を育て、貧しい中で、次の世代の教育に意を注ぐことを忘れなかった、先人たちの決意であります。勇気であります。その、粘り強い営みであろうと思います。
 私達の世代はいま、どれほど難題が待ち構えていようとも、そこから目をそむけることなく、あの、み雪に耐えて色を変えない松のように、日本を、私達の大切な国を、もっとよい、美しい国にしていく責任を負っています。
 より良い世界を作るため、進んで貢献する、誇りある国にしていく責任が、私達にはあるのだと思います。
 本日の式典に、ご協力を頂いた関係者の皆さま、ご参加を下さいました皆さまに、衷心よりお礼を申し上げ、わたくしからの式辞とさせていただきます。
平成25年4月28日
内閣総理大臣 安倍 晋三


この日、わざわざ式典の生中継を見ようとテレビのある施設に行き今か今かと待ち望んでいましたが、
NHKは中継しませんでした。
公共放送たる資格を失っているNHKに対して何を望んでいたのでしょうか?
期待した私が馬鹿でした。

さて、天皇・皇后両陛下がご退席される時に天皇陛下万歳が唱和されました。
確かに予定にはなかったことではありますが、素晴らしいことではありませんか。
8e33f63b-s.jpg
写真ではほぼ全員の方が万歳しております。
この日を待ち望んでいた国会議員及び主権回復記念日国民集会の御三方にとってはこらえることが出来なかったのでしょう。
午後に開催された国民集会に参加された方のコメントでもそのように言われておりました。
しかし、自民党と連立を組んでいる某党はこのようなことを発表しています。
政府式典で予定外の「陛下万歳」唱和 公明代表が苦言
 政府の主権回復式典が終了して天皇、皇后両陛下が退席される際、出席者が「天皇陛下万歳」と発声し、国会議員や政府関係者が予定外の唱和をする場面があった。公明党の山口那津男代表は式典後、党本部で記者団に「憲法に国民主権がはっきりと規定されている中で日本の独立が認められた日だ。その意義を十分に踏まえた行動だったか問われる」と疑問を呈した。
こいつ何言っているのでしょうか?
天皇陛下は国民の象徴です。(良い言い方ではありませんがあえて憲法に乗っ取りこのように表現しています)
その天皇陛下へ万歳を行うことは全国民へ万歳しているも同じことです。
その意義をきちんと考えて行動している人間に対して彼は何を言いたいのでしょうか?
言いたいことがあれば自らの責任においてきちんと言えばいいと思います。
万歳は自然発生的になされものです。やりたくないというのであれば他の政党のように式典に欠席すればいいのではないでしょうか?

同類の韓国政府も28日のことに対して非難決議を採択したようです。
靖国参拝批判に首相「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」
 安倍晋三首相は24日の参院予算委員会で、安倍内閣の閣僚らの靖国神社参拝に中国や韓国が反発していることに関し「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している。当然だろう」と述べた。
 首相は韓国が反発していることに「靖国の抗議を始めたのは盧武鉉(政権)時代が顕著になったが、それ以前はほとんどない。なぜ急に態度が変わったかも調べる必要がある」と強調。
 中国に対しても「A級戦犯が合祀(ごうし)されたとき、時の首相の参拝に抗議せず、ある日突然抗議をしはじめた」と不快感を示した。
 また「歴史や伝統の上に立った私たちの誇りを守ることも私の仕事だ。それを削れば(中国や韓国との)関係がうまくいくとの考えは間違っている」とも語った。
 靖国神社を参拝した麻生太郎副総理は「世界中で、祖国のために尊い命を投げ出した人たちに対し、政府が最高の栄誉をもって敬することを禁じている国はない」と指摘。古屋圭司国家公安委員長は「国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは当然だ」と述べた。

伝統と創造の会の議員さんも参拝しております。
4月28日は主権回復の日。主権回復とは「国家」の回復
 四月二十八日は、昭和二十六年に調印されたサンフランシスコ講和条約が、翌二十七年に発効して六十一年を迎えます。これによって連合国軍による占領が終わり、わが国はようやく主権を回復することができました。「戦後レジーム」と呼ばれるものは、この占領時代に形成されました。
この時代には、法理を無視した事後法によって不公正な極東軍事裁判が行われた一方、占領軍の命令で、武道や道徳教育が禁じられました。歴史や地理の授業も許されない時期もありました。国旗も自由に掲揚できず、歌舞伎で忠臣蔵を演ずることも許されませんでした。日本の警察は、占領軍やその関係者の犯罪も取り締まることができませんでした。
占領軍に協力せず、意に添わない人々は公職から追放され、選挙の際の立候補も制限されていました。外交権も停止状態で、自主的な貿易も認められませんでした。占領軍は新聞やラジオを検閲していたばかりか、民間人の私信も開封し、検閲をしていました。
信じられないようなことですが、このような状況下で「日本国憲法」は成立しました。過酷な占領下で、日本国民は自由に議論を尽くして憲法を制定することができたのでしょうか。占領軍総司令部の素案に基づいて作成された「日本国憲法草案」が、占領軍の厳重な監視と時間的な制約の下、帝国議会で審議され、採択されました。異様な審議の様子や、成立の経緯と条規内容に落胆落涙した人々のこと、などが今も伝えられています。
長時間かけて制定した「大日本帝国憲法」に比べ、「日本国憲法」は極めて短時間に採択されたことに、疑問を禁じ得ません。それ以上に不思議なのは、主権が失われていた時代に、主権の行使と密接な憲法が制定されたことです。主権を失えば、憲法まで失うことになります。主権は国家にとって必須不可欠なもので、主権の回復は、国家の基本的な姿を取り戻したことにほかなりません。

こちらのブログにあるように主権回復の日と言っても本当に主権が回復されたのか?と言われればまだ回復していないものが多いと考えます。
真の主権回復、自主憲法制定が必要不可欠と考えます。
そのためにも参議院選はすぎやま先生の言われるように日本軍が勝利しなければなりません。
勝利して初めて主権回復の第一歩となるのではないでしょうか?
主権回復記念日の式典・集会はそのための式典・集会であったと考えられます。

皆で頑張りましょう。
(ブラッキー)


人気ブログランキングへ
スポンサーサイト
歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/05/02 06:00
コメント:

管理者のみに表示