日本をダメにした敗戦利得者達

 4月28日、日比谷公会堂で「主権回復祈念日国民集会」が開かれました。多くの登壇者の方から、自主憲法の制定があって初めて主権回復であり、その上で誇りある強い国をつくるために、戦後レジームからの脱却が必要だとのお話がありました。

 戦後レジームのよりどころは、日本を悪とする自虐史観です。なぜ自分の国を悪とする勢力が社会的に増大し、3年前には政権まで取ってしまったのか、誠に不可解でしたが、渡部昇一先生が言われる「敗戦利得者」が作り出した構造を知ってから、日本が何故に何時までもおかしな状態にあるのかが理解できました。

 昭和21年、GHQの公職追放令によって20万人が公職から追放されました。後釜には左翼的な官僚、大学教授、社会活動家が入り込みました。特に大学教授の場合、教え子達に左翼自虐教育を行い、中央や地方自治体の官僚、法曹界、メディア、出版社に送り込みました。また折からの大学増設ブームにのって、弟子達を地方の大学に送り込みました。その弟子達は今度は自分の教え子に左翼自虐教育を行うと言うことで、自虐史観左翼日本人の拡大再生産を続けてきたと言うことです。

 挙げ句の果ては、政界では日本を貶める政権が登場し、教育界では相変わらず日教組による自虐教育が行われ、外務省は国益を主張しているか怪しげであるし、法務省は率先して反日左翼の主張を法制化しようとしています。戦後レジームからの脱却とは、この重層的な構造問題を突き崩さなければならないと言うことになります。容易ではありません。

 憲法記念日に当たり、日本をむしばむこの構造を先導した敗戦利得者達について、渡部昇一先生の著作から見てみたいと思います。
 (資料:http://ameblo.jp/hironk2005/entry-10990528078.htmlなど)

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●日本の独立に反対した南原繁東大総長
 南原総長の思想は何かといえば、共産主義びいきです。それは彼が日本の独立回復に反対したことからも明らかです。

 昭和26年、日本がサンフランシスコ講和条約を締結しようとしたとき、南原総長ら進歩的文化人は、世界のほとんどすべての国と結ぶ条約を「単独講和」と名づけ、そこにソ連、ポーランド、チェコというたった3つの社会主義国を加えたものを「全面講和」と呼んで、サンフランシスコ講和条約の締結に反対しました。彼らは自国が占領下に置かれたままでいてもかまわないという主張でした。それはスターリンの意向に沿ったことでした。

●〝戦後文化人″のひな型となった失内原忠雄東大総長
 この人は熱心なキリスト教徒としてきわめて有名な人ですが、シナ事変が始まった昭和12年、東京帝大の助教授だった彼は講演で「日本の理想を活かすために一先ず此の国を葬って下さい」と語って大学を追われました。戦前、日本の帝国主義を批判したわけですから、戦後は高く評価され、東大総長にまでのぼりつめました。典型的な「敗戦利得者」です。

 矢内原の専門は植民地政策で、『帝国主義下の台湾』を刊行し、台湾に対する日本の植民地政策を批判しました。台湾は、日清戦争に勝利した日本が割譲を受けた土地でが、併合後10年近くが経過したとき、ロンドン・タイムズは日本を褒めそやす記事を書いています。
「台湾という土地、イギリスもオランダも植民地にしようとすればできた土地であるが、そうはしなかった。それは台湾が伝染病や風土病が猖獗を極める土地であったからだ。しかし日本は、今見事に経営している。すばらしい手腕だ。」

 日本は莫大な金を投下し、わずか10年ばかりのあいだに人口を増やし、文明化してしまったのをロンドン・タイムズも驚き入ったのです。戦前の帝国主義時代、欧米の植民地政策と全く違い、日本はその土地の文化程度を日本と同じレベルに引き上げようとしたのでした。韓国でも、満州でも同じです。

 矢内原は思想がマルキストですから、日本の政策のあら探しは仕方がないとしても、キリスト教徒として日本の植民地政策批判をするなら、米、英、仏やオランダの植民地政策も批判すべきでした。ところが彼は、とにかく自分の国が嫌いなものだから日本のあら探しばかりした。戦後の左翼的文化人の祖国呪詛のメンタリティを先取りした人、それが矢内原忠雄という人でした。

 矢内原を信奉した東大法学部出身で官僚に成った人間は、日本の左傾化に今も貢献しているのです。

●大内兵衛法政大学総長の罪状
 昭和12年、コミンテルンの呼びかけに応えて日本国内に組織された「人民戦線」に連座しました。そのために東京帝大経済学部教授を辞めさせられています。戦後は左翼的な風潮に乗って東大に復職、東大退官後の昭和25年に法政大学の総長に就任しました。それだけでなく、日本の経済政策の中心に位置し、吉田首相から大蔵大臣への就任を打診されたこともあるほどですから、彼の息のかかった学者、官僚、マスコミ人は数えきれないほどいます。

 もっとも、この人の学問レベルはあまり高くありません。「20世紀後半、世界的な経済学者としてレーニン、スターリンの名が高まるであろう」というのですから笑わせてくれます。

●瀧川幸辰京都大学総長の罪状
 京都帝大法学部教授時代に「犯罪は国家生活のアンバランスから起る。それなのに国家が刑罰を科するのは矛盾である。犯罪はいわば国家の受ける刑罰である」などと発言したり、無政府主義的な刑法の本を書いたりして、昭和8年に文部省から大学を辞めさせられました。

 瀧川の説によれば、犯罪者が「善」になり、それを取り締まる側が「悪」になるわけですから、社会秩序など成り立つはずがありません。中西輝政氏は、「滝川刑法」を調べてみたところ「いやあ、もうほんとうにひどいもんです」と呆れ返っていました。

 近親者の証言によれば、瀧川教授は共産党員だったそうです。戦後は京都大学法学部へ凱旋将軍のごとく復帰し、法学部長、京大総長とのぼりつめました。

 戦前の滝川事件でいっしょに京都帝大を辞めた人たちも、戦後になるとアカデミズムの世界に復帰して、それぞれ“出世”しています。たとえば末川博は立命館大学学長になっています。
 
●都留重人一橋大学学長の罪状
 旧制高校時代から左翼だったため日本の大学に進学することができず、生家が資産家だったのでアメリカのハーバード大学に留学できました。そこで共産主義活動をしていたというキャリアの持ち主です。この人も一橋大学の学長に就任しています。

 彼もコミュニストであり、雑誌「世界」(1960/1)の座談会でこんな甘い見通しを語っています。
「資本主義社会が、だんだんみずからの範囲をせばめられていくにつれて、世界史的な圧力のもとに漸進的に社会主義に平和移行する可能性も強くなる。そういう形で、この20世紀の後半が進んでいくという見通しを私は持っている」

■こんな教授たちが日本の一流大学の主要ポストを占めるようになったのが戦後という時代なのです。彼らと意見が異なる人たちは大学に残れませんでした。他方、戦後日本の多くの大学、学術的な出版社、あるいはレベルの高いと思われていた新聞社などを支配した人たちは、以上のような"赤い教授″たちの弟子、ないしは弟子のそのまた弟子たちでした。

 こうした「敗戦利得者」構造が確立されることによって、自国を呪い、中国やソ連といった社会主義国におもねる戦後体制ができてしまったのが日本という国なのです。

●戦後日本を汚染した憲法学者宮沢俊義の「宮沢学説」
 こうした流れのなかで、日本国憲法はどう扱われ、どう教えられてきたのか、ということを見てみます。注目すべきはやはり戦後も日本を動かす高級官僚を世に送り出してきた東大法学部です。

 戦後の昭和21年に現行憲法が公布されましたが、東大法学部でいちばん有名な憲法学者は宮沢俊義でした。彼はGHQから現行憲法を押し付けられるまでずっと「明治憲法でいい」と言っていたそうですが、新憲法の制定が決まると一夜にして「明治憲法はダメだ」といい出したと言われています。

 宮沢は「革命憲法ができた」と言って次のような“トンデモ学説”を打ち立てました。
「昭和20年8月にわが国がポツダム宣言を受諾したのは、日本に“無血革命”が起こったのと同じことである。あの時、主権は天皇から国民に移った。したがって現行憲法は“革命憲法”と呼ぶべきである。」

 東大法学部の憲法学の権威がそう言えば、その見解は東大法学部の主流となります。法学部の学生たちは、あたかも催眠術にかかるかのように、それを押し戴き「敗戦利得者」の群れに加わったのです。

 困ったことは、東大法学部で成績のよかった人たちが高級官僚になり、大企業のトップに立ち、NHKや朝日新聞に入ってマスコミを牛耳るようになることです。学生時代に教わった宮沢学説を手放さずに憲法擁護論者になったことです。

■なお、憲法学者のなかにも骨のある人はいました。「新憲法はおかしい。明治憲法こそが正しいのだ」といって自殺した枢密院議長も務めた清水澄という法学者です。清水は昭和22年5月に新憲法が施行されると、その4か月後の9月、熱海の錦ヶ浦海岸で抗議の投身自殺をしました。「自決ノ辞」にはこうあります。
「我が国体を護持し、今上陛下の御在位を祈願せんと欲す。これ小生の自決する所以」と。

 こうした骨のある法学者もいましたが、残念ながらそれは少数派でした。戦後の憲法学者たちは憲法ではないものを「憲法だ」といいくるめてメシを食ってきた人が大多数です。したがって、たいていの大学の憲法学者の話は聞く必要はないでしょう。

●戦後日本を汚染した横田喜三郎最高裁長官
 横田喜三郎の専門は国際法です。昭和23年から東大法学部長を勤めました。横田は東京裁判のときパル判事の判決書の翻訳も担当しています。したがって、“パル判事の日本無罪論”については熟知していたはずですが、東京裁判の支持者でした。せっかくパル判事が「日本政府および日本軍による共同謀議は無い」と懇切丁寧に論証しているのです。いやしくも日本人であれば、それに耳を傾ける姿勢があってしかるべきなのに、なんと、「東京裁判は国際法の精神にのっとった裁判である」という趣旨の主張をしているのです。

 東京裁判というのは要するにマッカーサーが命じた“復讐裁判”であり、“リンチ”だったのです。横田はそんな裁判を「国際法の精神にのっとった裁判である」と言ったのです。

 その上さらに、『天皇制』(労働文化社)という本においては、「天皇制は封建的な遺制で、民主化が始まった日本とは相容れない。いずれ廃止すべきである」という趣旨の主張をしています。

 ところが、東大退官後の昭和35年に第三代最高裁判所長官に就任し、晩年には勲一等旭日大綬章、勲一等旭日桐花大綬章受章、さらには文化功労者となり、文化勲章も受章しています。勲章は天皇陛下からいただくわけですから、「天皇制を廃止すべきである」と書いた旧著『天皇制』はどうにもぐあいが悪い。そこで彼は弟子たちを動員して東京中の古本屋を回らせ、著書を買い集め、世に流通しないようにしたという話が残っています

●日中・日韓歴史共同研究を主導した東大教授たちの亡国ぶり
 「赤い教授」たちのDNAを引きずる最近の出来事としては、東大名誉教授および東大教授が座長を務めた日韓および日中共同の歴史研究があります。

・日韓歴史共同研究日本側座長、鳥海靖東大名誉教授
 この人がいかにダメであるかということは研究会に参加した筑波大学の古田博司教授が次のよう述べています。
「韓国側は歴史の共同研究を“政争の具”ないし“国益の具”としようとしているのに、日本側座長と代表幹事は身を低くして、“事を丸く収める”ことに終始した。彼らの歪曲史観と低い研究レベルでは共同研究にならないこは、もはや誰もが知っている。」

 鳥海座長は「日本は植民地支配を行った過去があるのだから、韓国の人たちの言うことを聞かなくてはいけない」という自虐史観にとらわれていたのでしょう。

・日中歴史共同研究日本側座長、東大大学院法学政治研究科北岡伸一教授
 この人も全部、向こう側の言い分に乗せられています。たとえば南京事件について「被害者は、日本側の研究では、20万人を上限として4万人、2万人という、さまざまな推計がなされている」などと、とんでもないことを言っています。南京において市民大虐殺などなかったという結論はすでに出ているのです。国益を損なう“国賊”と言っても過言ではありません。

●敗戦利得者の系譜
 敗戦利得者の意志を継いだ反日左翼自虐史観日本人が、重層的な構造のもとに拡大再生産され続けてきました。その最大の成果が民主党政権の誕生でした。民主党政権の反日極左の厚労大臣小宮山洋子は、憲法学者で東大紛争時の東大総長加藤一郎の娘です。法務大臣の平岡秀夫は、死刑廃止論者で、立命館大学総長の末川博の考えを引き継いだ発言をしています。

 この4月に産経新聞は、「日本を良くし強くする」主旨の「国民の憲法要綱」を発表しました。その解説の真っ先に1面トップで、「東大に巣くう軍事忌避」が先端技術開発の障害になっていると報じました。現憲法に国を守る規定がないからだとの解説でしたが、敗戦利得者の系譜が科学技術の分野にも及んでいると言うべきでしょう。

以上
(うまし太郎)

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未分類 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/05/03 10:24
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