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沖縄祖国復帰闘争碑

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昭和47年5月15日は沖縄返還の日です。
大東亜戦争に負け、沖縄の主権をアメリカに渡してしまっていた当時、沖縄の日本復帰は島民の願いでもありました。
日本に戻ろう、という運動が戦後沖縄県各地で繰り広げられていたそうです。
沖縄復帰記念式典にて初代知事はこのように語っております。
  沖縄百万県民の長年にわたる祖国復帰の願望が遂に実現し、本日ここに内閣主催による沖縄復帰記念式典が挙行されるにあたり、沖縄県民を代表してごあいさつ申し上げることができますことを生涯の光栄に思います。
私は、いま、沖縄がこれまで歩んできた歴史の一齣一齣をひもとき、殊に終戦以来復帰をひたすらに願い、これが必ず実現することを信じ、そしてそのことを大前提としてその路線に沿う基礎布石、基盤づくりに専念してきた者として県民とともにいい知れぬ感激とひとしおの感慨を覚えるものであります。
私は、復帰への鉄石の厚い壁を乗り越え、けわしい山をよじ登り、茨の障害をふみ分けて遂に復帰に辿りついてここに至った県民の終始変わらぬ熱願、主張、運動、そこから引き出された全国民の世論の盛り上がり、これにこたえた佐藤総理大臣をはじめ関係ご当局のご熱意とご努力、さらには米国政府のご理解などを顧みて深く敬意を表し、心から感謝を申し上げるものであります。
それと同時に、きょうの日を迎えるにあたり、たとえ国土防衛のためとはいえ、さる大戦で尊い生命を散らした多くの戦没者の方々のことに思いを馳せるとき、ただただ心が痛むばかりであります。
ここに、謹んで沖縄の祖国復帰が実現いたしましたことをみ霊にご報告申しあげますとともに、私ども沖縄県民は、皆さまのご意志を決して無にすることなく、これを沖縄県の再建に生かし、そして、世界の恒久平和の達成に一段と努力することを誓うものであります。
さて、沖縄の復帰の日は、疑いもなくここに到来しました。しかし、沖縄県民のこれまでの要望と心情に照らして復帰の内容をみますと、必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとはいえないことも事実であります。そこには、米軍基地の態様の問題をはじめ、内蔵するいろいろな問題があり、これらを持ち込んで復帰したわけであります。したがって、私どもにとって、これからもなおきびしさは続き、新しい困難に直面するかもしれません。
しかし、沖縄県民にとって、復帰は強い願望であり、正しい要求でありました。また、復帰とは、沖縄県民にとってみずからの運命を開拓し、歴史を創造する世紀の大事業でもあります。
その意味におきまして、私ども自体が先ず自主主体性を堅持してこれらの問題の解決に対処し、一方においては、沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除して県民福祉の確立を至上の目的とし、平和で、いまより豊かでより安定した、希望のもてる新しい県づくりに全力をあげる決意であります。
しかしながら、沖縄に内包する問題はなお複雑なものがあります。幸い、私ども沖縄県民は名実とも日本国民としての地位を回復いたしましたし、政府ならびに全国民の皆さまにおかれては、沖縄問題を新しい立場から共通の課題として止揚していただき、その完全・全面的解決のためこれまで以上のご関心とご協力を賜わりますよう念願するものであります。
沖縄は、長く、苦しかった試練を乗り越え、いまここにその夜明けを迎えました。復帰は、まさしく沖縄という新しい生命の誕生でありますし、私ども県民は、これまでの基地の島という暗いイメージを払拭し、新たな自覚にたって県民自治を基調とする「平和で、明るい、豊かな県づくり」に邁進するとともに、文化豊かな社会の建設に真剣に取り組み、国家繁栄のために貢献する決意であります。
沖縄の戦後はまさに茨の道でありましたが、県民の体験はまた貴重なものであります。私どもは、きのうのきょうではなく、歴史上銘記さるべきこの日を転機としてとり残されてきた歴史に終止符を打ち、体験を生かし、国民の皆様のご協力も得て復帰の意義と価値を高め、その正しい位置づけに十分努力するつもりであります。
本日の式典にさいし、私どものためにいろいろと、おはげましを賜わりました皆さまのご好意に対し厚くお礼を申しあげ、皆さまと国のこの上ないご繁栄を祈念してごあいさつといたします。
昭和47年5月15日 沖縄県知事 屋良朝苗

沖縄復帰運動の成果がここに出たと言う事でしょう。
日本に帰りたいという気持ちの表れでもあるのでしょう。

沖縄復帰運動、その闘争碑が沖縄本島の北端 辺戸岬にあります。
復帰前にはここから日本最南端与論島を見ていたとの事、国境線に一番近い場所です。
約22km離れた祖国、祖国復帰を願い人々は辺戸岬の広場で集会を開き、夜には篝火を焚いて、同じように沖縄の日本復帰を願う篝火を焚く与論島の人々と呼応し合ったそうです。
その最北端にある沖縄祖国復帰闘争碑、それにはこのように刻まれていました。
全国のそして世界の友人に贈る。 吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなしとげた大衆の乾杯だ。 打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間開放を闘う大衆の叫びだ。 鉄の暴風やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、一九五二年四月二十八日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。 米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。 祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声はむなしく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬せられた。 しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯あることを信じ、全国民に呼びかけて、全世界の人々に訴えた。 見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、二十七度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。 今踏まれている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚き火の大地なのだ。 一九七二年五月十五日、沖縄の祖国復帰は実現した。 しかし県民の平和の願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。 しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのではなく、まして勝利を記念するためにあるのでもない。 闘いを振り返り、大衆を信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、 人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。
戦争が無ければそれはそれで素晴らしいのですが、実際問題中共の軍艦が尖閣諸島に攻め込んできており、日本海軍で押し返そうとしているのが現状です。
なかなか苦しい戦いを強いられています。

屋良知事の精神を忘れないで行きましょう。
昭和28年にはこのような発言を国会で行っています。

沖縄の子供に日本人としての教育を施したい。という思いが込められています。

沖縄が本土復帰を果たして50年にもうすぐ到達します。
現在、中共が沖縄を侵略しようとしており予断を許さない状況になっています。
しっかりと本土復帰の意義を、日本人である喜びを感じていきましょう。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2020/05/15 06:00
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