fc2ブログ

拉致事件解決するには何をすべきかを考えましょう。

kanarrazu.jpg
北朝鮮と言う犯罪組織によって行われた国際犯罪、拉致事件
この問題に対して真っ向から戦ってきました横田滋さんがお亡くなりになられました。
多くの日本人に騙され、犯罪組織と手を組もうとした外務省とも戦い、社会問題としての拉致事件、人権侵害としての拉致事件と向き合い続けた横田さん
いまだ北朝鮮は拉致被害者を家族の元に返そうとしていません。
経済がボロボロになろうと、先代の功績を無に帰すことは出来ないとでも思っているのか?それとも拉致被害者が北朝鮮の機密を握っているのかわかりませんが、いい加減取り戻さないといけません。
それを阻む憲法、憲法改正を阻むマスゴミに腐れ野党、いい加減日本人の手に取り戻さなくてはなりません。

横田滋さんの行動に対して産経新聞がこのような記事を寄贈しています。
めぐみさん、お父さんは精魂尽くしました 元産経新聞記者・阿部雅美
 北朝鮮による日本人拉致事件を発掘し、横田めぐみさん拉致疑惑を初報した元産経新聞記者、阿部雅美氏がめぐみさんの父親、滋さんの訃報に接し、本紙に寄稿した。
 新潟の町から忽然(こつぜん)と消えた13歳の愛娘(まなむすめ)捜しは、手がかりなく20年目を迎えていた。1997(平成9)年1月21日。定年退職後、自適の日々を送る滋さんに電話の相手は告げた。
 「お宅のお嬢さんが北朝鮮で生きているという情報が入りました」
 北朝鮮、拉致-そんなことがあるのだろうか。にわかには信じ難かった。頭が混乱したと妻、早紀江さんも述懐している。同様の情報を得た記者(私)は横田家を訪ねた。真偽定かではなかったが、闇に差した一条の光に、その夜の滋さんは積年の思いが堰(せき)を切ったように饒舌(じょうぜつ)だった。
 「一日として忘れたことはありません」
 黄ばんだ新潟日報紙、人捜しの手配書をテーブルに広げ、現場周辺の地図を描きながら、直前まで少女失踪の事実さえ知らなかった私に「あの日」を分刻みで再現した。
 「記事になるんですか」。そう問われた。裏付け取材次第だった。私には古傷があった。遡(さかのぼ)ること17年-新米記者だった1980(昭和55)年に北朝鮮による男女4組の拉致疑惑・拉致未遂事件を大々的に初報したが、産経の荒唐無稽な虚報、捏造(ねつぞう)として葬られた。以来、この非道な犯罪は事実上、日本社会に存在しなかった。そこへ今度は、まさかの女子中学生。情報確認に慎重を期し、紙面掲載した。
 少女Aではなく、横田めぐみ、と実名で報じた。名前公表による影響を危惧した家族の中で滋さんだけが実名派だった。危険なことはあるかもしれないが、本名を公開して世論に訴えるほうがいい-後に聞いた言葉に救われた。
 程なく被害者家族会の代表に就いた滋さんを間近に見てきた。街頭署名活動、全国1400カ所への講演行脚、被害者家族の結束を図りながらのメディア対応…。めぐみさんの「死亡」宣告、孫の出現、被害者5人の帰国と続いた激変の中、人前で父親の心情を吐露することの少なかった滋さんがもらした一言が忘れられない。
 「なんで助けてくれないの、といつもめぐみに責められているような気がしましてね」
 小泉訪朝の2002(平成14)年9月17日、北朝鮮側の説明をうのみにした政府から「死亡」を告げられた滋さんは記者会見の席で言葉を詰まらせた。代わった早紀江さんは「めぐみは濃厚な足跡を残した」と気丈に話したが、滋さんの足跡もまた、濃く、厚かった。
 最後の入院直前の一昨年春、ご自宅で久しぶりにお会いした。2時間余、早紀江さんの傍らで一語も発しなかったが、目には力が宿り、すがすがしい笑みさえ見せた。満足いく結果が得られなかった無念さはあるが、親にできることは全てやり尽くした、そんな充足感ゆえではないだろうか。重い荷を負って妻と実直に歩んだ過酷な、そして見事な生涯だった。天国に召された今、改めてそう思う。
 めぐみさんに伝えたい。お父さんは、あなたと拉致被害者全員を助けようと身を削り精魂尽くしました。お母さん、弟の拓也さん、哲也さんが遺志を継いでくれますよ。合掌。


拉致解決は私たちが継ぐ 横田滋さん、内外動かした行動と決断
 昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんは、行動と決断で、政府に拉致問題解決を迫ってきた。愛娘(まなむすめ)の救出に生涯をささげた滋さんの生き方は、重大な国家主権、人権の侵害でありながら問題視されることもなかった北朝鮮の拉致問題に国際社会の目を向けさせる一方、日本には国の在り方を問いかけてきた。

仲間勇気づけ、時には体を張り
 平成9年3月、家族会代表に就いた滋さんは会の結成理由をこう語った。「共通認識を持った家族が一つになることで、少しでも事態が前進すればと考えた」
 世間の関心が拉致問題に向いた時流を逃さず、組織的な運動に打って出るという滋さんの判断はやがて、世論を大きく動かす。
 「家族は皆、滋さんに勇気づけられてきた」。家族会結成当初から参加した市川修一さん(65)=同(23)=の兄、健一さん(75)も、修一さん失踪後、つらい日々を過ごしていた。「滋さんはわれわれの先頭に立ち、誰も関心がなかった拉致事件を全身全霊で日本全国に知らしめた」(市川さん)。
 ときの首相ら政治家にも救出運動の後押しを求めつつ、体を張る行動もいとわなかった。17年、北朝鮮側の不誠実さに交渉の手掛かりを欠く日本政府に対し、滋さんは「対北経済制裁発動」を求め座り込みに出る。「拉致被害者全員を取り戻すという国家意思を示すこと。躊躇(ちゅうちょ)していると拉致問題を重視していないという大変危険なメッセージになりかねない」。滋さんは高齢を押し、身をもって政府に毅然(きぜん)とした姿勢を求めたのだ。

米国を動かし、国際社会に浸透
 滋さんの言動は海外にも影響した。家族会は米政権に協力を求めるためしばしば米国へ渡った。訪米時の滋さんの言動は北朝鮮の人権侵害状況の深刻さを国際社会が理解するきっかけを与えてきた。
 アーミテージ国務副長官は15年、拉致解決の後押しを約束。「北朝鮮をテロ支援国家に指定している理由に日本人拉致問題も含まれる」とまで明言した。
 訪米に同行した支援組織「救う会」の島田洋一副会長は「深刻な拉致を伝える中で凜(りん)としながらも優しいほほえみを絶やさない。柔和な人柄は米国に深刻な問題を伝え、共感させる原動力になった」と振り返る。

涙とともに励ましあうやさしさ
 滋さんにはまた、思いをともにするほかの家族と、泣きながら励ましあうやさしさもあった。
 帰国拉致被害者の曽我ひとみさん(61)も滋さんに支えられた一人だ。一緒に拉致された母のミヨシさん(88)=同(46)=は行方不明。14年に帰国後、自ら救出運動に加わった。北朝鮮でめぐみさんと共同生活したこともあるひとみさんに会うたび滋さんは「一緒にいてくれてありがとう」とほほえみ、常に励ましたという。
 14年に5人が帰国して以降から拉致問題は進展がない。日本政府は「最重要、最優先課題」に位置付け、安倍晋三首相は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と無条件で会談する意向を表明したが、道筋は描けていない。
 政府が認定する未帰国拉致被害者12人の親世代で存命なのは滋さんの妻、早紀江さんと、有本恵子さん(60)=同(23)=の父、明弘さん(91)の2人だけになった。滋さんが生涯をかけて闘い続けた拉致解決への思いは政府のみならず、多くの国民が受け継いでいかなければならない。(拉致問題取材班)

800名を超す拉致被害者がいるとも言われております。
どれだけの人が不幸になっているか、それを北朝鮮は理解していただきたいものですね。
何のために?技術を得るために?日本語の教師が欲しいから?金日成への貢献度としての拉致事件?
北朝鮮にも様々な理由はあるのでしょうが、日本にとっては強引に引き裂かれた家族を取り戻すだけの話です。
家族のような国を作りたい、これが日本の建国の理念です。それを果たすために憲法改正は絶対に不可欠です。

横田滋さんの訃報に対してアメリカからメッセージが届いています。
横田滋さん逝去に米国からメッセージ
「我々は、横田滋氏の逝去の報に接し、深い悲しみに包まれています。彼はこよなく家族を愛しました。娘であるめぐみさんを取り戻したいという彼の揺るぎなき献身は、我々の映画の源でした。妻である横田早紀江さん、二人の息子である拓也さん、哲也さんおよび御親族に対し、謹んで哀悼の意を表します。愛と真実を求める彼の輝ける生き様が受け継がれていくよう望んでいます」
(英語原文)
"We were deeply saddened to hear of the passing of Shigeru Yokota. He loved his family dearly and his unwavering devotion to finding his daughter, Megumi, was the inspiration for our film. Our hearts go out to his wife, Sakie Yokota, and his two sons, Tetsuya and Takuya, as well as his extended family. We hope that his shining example of love and desire for truth will be carried forward."


いの一番に最前線で共に行動した安倍総理も声明を出しています。
横田滋氏の逝去についての会見
 令和2年6月5日、安倍総理は、都内で会見を行いました。
 総理は、横田滋氏の逝去について、次のように述べました。
「本当に、残念です。横田滋さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、早紀江さん始め、御遺族の皆様に、心からお悔やみを申し上げたいと思います。
 滋さんとは本当に長い間、めぐみさん始め、拉致被害者の方々の帰国を実現するために、共に戦ってまいりました。
 2002年の10月の15日、5人の拉致被害者の方々が、帰国を果たされた。羽田空港に、当時私は官房副長官として、お出迎えに伺ったわけでありますが、横田滋さんも早紀江さんと共に、家族会の代表として来ておられました。
 そして、代表としての責任感から、その場を記録にとどめるために、カメラのシャッターを切っておられました。帰国された拉致被害者の方々は、御家族の皆さんと抱き合って喜びをかみしめておられた。その場を、写真に撮っておられた、滋さんの目から本当に涙が流れていたことを、今でも思い出します。あの場に、めぐみさんがおられないということ、どんなにか残念で悔しい思いだったかと、その時、本当にそう思いました。
 滋さんが早紀江さんと共に、その手でめぐみさんを抱きしめることができる日が来るようにという思いで、今日まで全力を尽くしてまいりましたが、そのことを総理大臣としても、未だに実現できなかったこと、断腸の思いでありますし、本当に申し訳ない思いで一杯であります。何とか、めぐみさん始め、拉致被害者の方々の、故郷(ふるさと)への帰還、帰国を実現するために、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動していかなければならないという思いを新たにいたしております。
 改めまして、滋さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。」
「25年以上、滋さん始め、家族会の皆さんと、何とか拉致被害者の方々が帰国できるように、まだ世の中が十分に認識をしていなかった時代から、滋さん、本当に暑い日も寒い日も署名活動に頑張っておられました。その姿をずっと拝見してきただけに、痛恨の極みであります。
 様々な困難があるわけでありますが、何としても、被害者の方々が実現する、そのために政府として、日本国として、様々な動き、見逃すことなく、チャンスを捕らえて果断に行動して、実現していきたいと思っています。」

今回の件で様々な言葉を安倍総理や家族会の人に投げかける人がいます。
安倍総理に対しては何もしない、人気取りだ、出来もしない事を言うななど、様々な事由に対していちゃもんばかり付けています。
確かに政治家は結果責任があり、拉致被害者を取りこどせていないというのは受けるべき事実だと思います。
しかし、私達国民はそれを実現する為に何をしていますか?何もしていません。出来ていません。一部の人しかできていないのです。
巷では日本国憲法が違憲だとかいう人もいますし、無効論を掲げる現実を見ない人も多くいます。
自分たちの主張のみを掲げ、他をすべて排除するなんて簡単な事です。
でも、それでいいと思っているのでしょうか?様々な手を尽くしながら結果を出せていない人は多くいるのです。
それを簡単に否定することは私には出来ません。

安倍総理が真剣に動いていたことは家族会の発表を見てもわかると思います。
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2020.06.05-2)
■横田滋家族会前代表がご逝去
 拉致被害者横田めぐみさんの父、横田滋家族会前代表が、令和2年6月5日午後2時57分、老衰により87歳でご逝去されました。謹んでお知らせ申し上げます。めぐみさんに再会できずに亡くなられたことは、共に戦ってきた者として痛
恨の極みです。
 静かに見送りたいとのご遺族の意向により、葬儀に係る一連の行事は、近親者のみで執り行われます。また、供花や香典、弔電は固くご辞退したいとのご意向です。葬儀等終了後に、まだ日時未定ですが、決まり次第ご遺族の記者会見を開催させて頂きます。

■横田家からのメッセージ
 先日から入院していた夫の横田滋が本日(令和2年6月5日)午後2時57分、老衰のため息を引き取りました。
 これまで安倍総理大臣をはじめ多くの方々に励ましやご支援をいただきながら、北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために、主人と二人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です。
 報道関係者の皆様におかれましては、主人との最後の時間を大切に過ごし、心安らかに見送ることができますよう自宅及びその周辺・葬儀会場及びその周辺における取材や写真撮影はご遠慮いただきますようお願い申し上げます。お電話で
の取材もご遠慮願います。
 葬儀等終了後に、改めてご報告の機会を設けたいと存じますので、それまでは何卒、私共の心情をお察しいただき、御配慮のほど宜しくお願い申し上げます。

令和2年6月5日
                          横田早紀江
                         横田拓也、哲也

(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



| コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2020/06/11 06:00
コメント:

管理者のみに表示