尖閣諸島 実効支配漁業演習 感想その2

尖閣諸島


尖閣後半です。お目汚しですが・・・。

早朝の石垣
 同室の方が帰ってきたことも知らずに眠り続け、朝は四時に目が醒めてしまいました。
 起こさないように気をつけて、支度をし、散歩に出ることにします。
 東京よりもはるかに西ですので、まだまだ深夜のように真っ暗です。
 近くの漁港に出ると、出漁の漁船はまだ帰ってこないのでしょうか、静まりかえっています。
 防波堤の突端まで行ってみると、二人の釣り人がいました。
 挨拶をしてしばらく見ていると、程なく釣り上げました。
 なかなか見事な形です。なんという魚か聞きましたが、覚えられませんでした。
 以前に大物を釣ったが、もう少しと言うところで逃げられた。そのリベンジを狙っている・・・と言います。かなりの執念ですが、それだけに釣り師の腕も高いように見受けました。
 空が白んで来たので、街を歩いてみます。
 図書館のような建物と、小さな公園がありました。
 公園には、反核平和宣言都市 との碑が麗々しく飾ってあります。
 反核とか平和とか、美辞麗句の真の意味は、外国が日本に強制したい事であると、なぜ気がつかないのか?
 そろそろ大浴場が開く時刻だと思い出して、ホテルに帰ります。
 部屋には帰らずに、そのまま入浴します。
 この時間にも先客が居ましたが、体を洗っている間に出て行きました。
 温泉ではないのですが、大きなお風呂は気持ちがよいです。
 殆ど貸し切り状態で、湯に浸かって手足を伸ばしていると、体の隅々まで血流が行き渡るようです。
 そうしてのんびり体が休んでいる間にも、頭にはいろいろな思いが錯綜します。
 昨日の遠征は全く漁業が出来なかったし、支那に対するアッピールも殆ど無かったばかりか、日本人は、慌てて逃げ帰ったという印象まで与えてしまったのではないか?
 海保は本当に領海を護る強い意志があるのだろうか?
 事なかれ主義で、支那と上手く共同管理をとでも考えているのでは?
 自国漁船団の漁業を妨害しただけでなく、敵が来たら漁船団を追い払い、敵の公船団を迎え入れているようにも見える。
 海保の保安官が一生懸命やっていることは判る。宮里丸と支那公船の間に割って入ったことなど、きっとあの乗組員は体当たりも覚悟したに違いない。
 しかし、海保の巡視船の動きは、見ていても統制がとれていないようだった。
 公船が近付いているとの知らせがあったときに、すぐにその方向へ行動を起こした船が何隻あったのだろう?
 我々の周りの海保は、相変わらず我々の周りをウロウロするばかりだったし、支那公船を迎え撃つように行動を起こした船も見あたらなかった。
 帰港命令(勧告?)のあとは、漁船一隻に海保一隻の護衛(監視)付きで石垣へ向かったとき、こっちはもう良いよ・・・戻って支那公船と戦え・・・と思ったほどだった。
 漁船が本当に危険なら、それこそ“船団を組め、船団から離れるな・・・”と命令し、1~2隻の巡視船で護衛すれば充分だったはず。
 実際にはただ全速力で石垣へ帰れというだけで、みんなはてんでに走っていたのです。
 自船からは右手に1隻、後方に2隻、それぞれ1~2海里先に見えるだけで、他は見えない・・・そんなにも各自離れていたのです。
 それぞれに海保が随伴していました。
 海保には確固たる命令系統があるようにも見えず、上層部からの“問題を起こすな”と言うような曖昧な指示があっただけではないか?
 あるいはもっと穿った見方では、支那と密約でもあったのか?
 支那が今度は漁船に対しさほど強硬な手段を取らなかったことも疑問を持つ要素かもしれない。
 併走された宮里丸も、船長がどうやって離れようかと緊張したとは話したが、臨検や進路妨害のことは何も話は出なかった。 
 宮里丸も、我々とそれほど遅れて帰路についたわけではなさそうだし、最初は、支那公船とは気がつかなかったと言っている。
 すると支那公船はそのとき既に領海に侵入していたと思われ、なぜそんなに易々と侵入してきたのか?
 宮里丸は最初左手に海保の巡視船が併走しているのを知っていたし、海保と自船の間に支那公船が割り込んできたという。
 さらに別の海保が支那公船と宮里丸の間に割り込んできた。
 もしかしたらはじめ併走していた海保も支那公船を認識していなかったのでは無いか?との疑問が湧く。
 なぜなら、その海保は何の警戒も伝えず、支那公船の割り込みを妨害することもしていない。
 後の海保が汽笛を吹鳴し、高速で割り込んでガードしたことと対照的だ。
 支那公船に接近されたのは宮里丸だけではなく他にも2隻ほど追いかけられた船があったらしいが、それも大事には至らなかったという。
 概観してみると、支那公船が(勝手にとはいえ支那は尖閣領有を主張している)パトロールに来て日本漁船を追い散らかした・・・。
 日本海保が早手回しに支那の手先をした・・・、という構図が見える。
 事実支那ではそのような記事が出ているという。
 我々は惨めに追い払われた・・・それも自国の海保によって・・・。
 次は、支那が漁船を公船が護衛してやってくるかもしれない。
 これを海保が撃退できるのか?
 今のままではやはりスピーカや電光掲示板で呼びかけるだけだろうし、あるいは放水などで撃退しようとすれば、支那公船が動画をとって世界に宣伝するかも知れない。
 日本政府がはっきりした領海を護る姿勢を打ち出し、声明を発し、海保に命令しなくてはならない。
 そのためにこそ、我々の惨めな敗退を全ての日本人が共有し、支那の横暴な侵略意図を挫く決意を持たなければならない・・・。
 経緯を顧みれば、日本の領土領海である尖閣海域に於いて、全て日本國の主権に基づいて行ってきたことであって、国有化が支那を怒らせただの、挑発をするなだの、支那に阿ったサヨクの言い分は、支那第五列であることを自ら白状しているようなものである。
 等々を思いながら、些かのぼせて風呂から上がりました。
 部屋に戻るとカードキーが何度やっても無効で、部屋に入れません。
 フロントに電話するとボーイがやってきて試してみるのですが矢っ張りダメです。
 すぐに新しいカードを持ってきます・・・と言って帰って行きました。
 最初から新しいカードを持ってくればいいじゃないか・・・声には出さずに悪態を吐いて待って居ると、やがてやってきて、すぐにドアは開きました。

西表の活動
 同室のKさんは既に起きていました。
 挨拶を交わして朝飯を食べに行きます。
 ホテルの朝食は色々あって、ついつい沢山取りすぎます。
 残すのはマナー違反ですから、持ってきたものは全て食べます。
 お腹いっぱいになって、それでも朝のコーヒーは三杯しっかりのみました。
 今日の予定は、西表島でのゴミ拾いと調査並びに浦内川の遡上ピクニックに参加することにしました。
 葛城さんが主宰する“やおよろずの森”と“頑張れ日本全国行動委員会”の共催とのこと。
 フェリーボートは、昨年乗った船よりはずっと古く小さいようでした。
 キャビンよりオープンデッキのほうが気持ちよいだろうと思いました。
 しかし、後部デッキは窓のガラスを全て撤去したオープンデッキですが真下はエンジンルームです。
 熱気と騒音の中、ガイドのスピーカも聞き取れないほどで、冷房の効いたキャビンにすれば良かったと少し後悔しました。
 出航して、防波堤を躱すと猛然と航り始めます。
 昨日の漁船よりはかなり速く、しかし昨年の船にはほど遠い20~25ノット位でしょうか、速さを楽しむよりは騒音に耐えることに一生懸命でした。
 およそ40~50分で西表島に着きます。
 レンタカーに分乗し村の公会堂らしき建物に着きます。
 大きくて洒落た建物で、敷地も広く、立派なものですが、ドアはしっかり閉まっており、あまり使われているようにはみえません。
 あちこち破損したり、塗装が剥げていたり、政府の助成金で建てたがランニングコストが充分賄えないのではないかと推測します。
 ここで弁当とお茶が配られ、思い思いに芝生や、階段に座ってランチタイムです。
 地元のボランティアで、漂着ゴミの掃除や調査を続けて居るMさんから、この活動の 目的や意義と訴え、そして漂着ゴミ収拾についての注意などを伺います。
 この建物のすぐ裏手が海岸への入り口になっていて、その脇の小さな空き地に、小型トラックと、収納袋、軍手や箒、熊手などが用意されています。
 細い道を下っていくとそこはもう砂浜、目の前は大海原です。
 しかし、砂浜はすさまじい程の荒廃を見せて居ます。
 特に潮の上限あたりには、様々なゴミが散乱しています。
 4月とはいえ、亜熱帯の西表では、湘南の真夏直前の暑さです。
 ただ、湿気が低く、爽やかで、日陰にはいればスッと汗が引くほどです。
 帽子、長袖、サングラス、軍手、水分補給のペットボトルの完全武装で作業を始めます。
 ペットボトル、漁網用浮き、発泡スチロール類、電球、薬品容器や注射針などをそれぞれ専門に集めるグループに分かれます。
 漁網用の浮きは発砲スチロールに青や茶で塗装したものですが、支那製は特に鉛の含有率が高く、環境汚染の原因になるのだそうです。
 永く漂流してくると、その鉛が溶け出し、ゴミは却って鉛が少ない事もあると言います。
 何が入っているか判らない薬品容器や注射針は特に危険が高く、素手では触らないように注意がありました。
 私は、ペットボトルのグループに入りました。
 大きな袋を持って移動するもの、トングを使ってゴミを掴み上げる者、それぞれが自発的に協力します。
 あっという間に袋は一杯になります。
 さっきの基地に運び、新しい袋を持っていこうとするのですが既に袋は全て出払っています。
 とりあえずトラックのそばにあけて、浜に戻ります。
 これを数回繰り返しますと、柔らかい砂に足をとられ、結構疲れます。
 それぞれの班が拾ったあとは、確かにきれいになりましたが、それでも拾いきれない細かいゴミが残っています。
 これは砂毎掘り出して篩にかけるほか手がありません。
 全身汗が噴き出しますが、片端から乾いていきますから、意外に不快感はありません。
 作業終了の合図があって、やれやれと腰を伸ばします。
 みると対象区間とその他では明らかにちがいます。
 予定時刻で終了しましたが、予定の約八割が完了したのみだったそうです。
 全てのゴミを基地に運び、ここでペットボトルのみその発生国を調べます。
 ペットボトルにはバーコードが書いてあり、それには数字が記されています。
 その数字の頭三桁が国を表しています。
 バーコードが書いてあるラベルが付いて居るものと既に剥がれてしまっているものがあります。
 そこで、まずラベルの無いもの、国別に分別して袋に入れます。
 袋に入れる前にキャップを外して別に集めます。
 ペットボトルは島内の処理施設に持ち込み、分解して燃料として使えるそうです。
 その燃料は何かで島に大変役に立っていると聞きましたが詳しくは忘れました。
 僅か二時間ほどの作業でしたが、なにか達成感と、このままではいけないという気がかりと、複雑な思いでした。
 この結果、およそ800本余りでラベルのないものとあるものが半々、そして国別では支那、が圧倒的でおよそ半分を占めます。
 韓国が意外に少ないのですが、海流を考えると宜なるかなです。
 ラベルが無いということは、それだけ永く漂流してきたと考えられるので、やはり海流を考えると、支那が圧倒的と推測されるとのことでした。

浦内川
 浦内川遡上ピクニックへ、レンタカーに分乗して船着き場に向かいます。
 ここで聞かされたのは、行きの船は上流の船着き場に着くとすぐ折り返し、次の帰りの船は二時間近く後になる・・・そうすると石垣に帰る予定のフェリーの時刻に間に合わず、石垣帰島が遅くなってしまうというのです。
 それで、船で往復するだけで、浦内川添いの遡上ピクニックは断念することになりました。
 少し残念ですが、疲れてこれ以上歩きたくない思いもありましたのでこれ幸いという気持ちでした。
 船は、かなり大きく、しかも底が浅い作りの箱みたいな構造です。
 お世辞にも格好良いとは言えません。
 二つの船外エンジンで、爆音高く走ります。
 浦内川というものの、細長い入り江です。
 水は、汽水のようですが、マグローブの根をみると、潮の干満があることを示しています。
 川幅はかなりあるのですが、川底が浅く、船は底を擦りそうな場所は極端に徐行します。
 船頭さんは、何を見て減速したりコースを選ぶのでしょうか?
 私には全く同じに見えるのですが、船は、急に速度を落とし、また突然速度を上げます。
 対抗船がやってきました。するとすれ違えないと考えたらしく、後退していきます。
 ずいぶん永く後退しましたが、こちらの船頭さんは一向に譲る気もなく押し出すように進みます。
 やがて深いところが見つかったのでしょう、川幅方向に船を横にしてコースを開けます。
 こちらの船頭はすぐさま速度を上げて進みます。
 徐行しているときには、時にゴツンと当たったり、ジョリジョリと砂を擦るような音がします。
 もし、見えない岩があってそれに乗り上げたら、船底が切り裂かれるのではないかと心配になりますが、船頭はそのスリルも料金の内とでも思って居るようです。
 船着き場を出発以来、くねくねと曲がる川を、遡上する間中、人工的なものは一切見えません。目に入るもの全て天然自然のものばかりです。
 途中で鶴とおぼしき白い大型の鳥を見つけました。
 首が長いので鶴だと思うのですが、エンジンの音がうるさく、誰かに聞くこともできません。
 やがて前方に小さなコンクリートのかたまりが見えます。
 同時に、殆ど水流が判らない瀞の連続だった川が、そこから岩だらけの急流になっているのが見えます。
 舳先を岸壁に押しつけるように停まり、船頭が舫いを持って支える間に、何人かの観光客が下りて、待って居た客が乗ります。
 ホンの2~3分で、折り返します。
 細い道が上流へ向かって続いているようですが、下流へは道がないそうです。
 我々はフェリーに乗るために乗船したまま折り返します。
 復路も同じような展開で、それなりに楽しんでいましたが、特にお話しするような出来事もなく、元の船着き場に帰着します。
 まだオフシーズンだと思うのですが、観光客は結構集まっていました。
 さて、レンタカーを降りたところまで歩きます。
 早く帰りすぎたので、レンタカーを運転してくれる桜のスタッフは、迎えに来てくれているでしょうか?
 いずれにしても一度に乗れませんので、私は二度目を待つことにして、すぐそばの小さな岸壁を下りてみます。
 引き潮で、底まで干上がった船着き場は、階段を下りて海底へ立ち入ることが出来ます。
 小指ほどもない小さな蟹が人の気配に一斉に穴へ潜ります。
 よく見ると、干潟は様々な生物が居ることが判ります。
 私はこの方面も全く無知で、何という魚、何という虫、全く判りませんが、彼らは見慣れぬ闖入者にパニックを起こしたように右往左往しています。
 それが面白くてしばらく見ているうちに、“車が来たよー”の声に急いで階段を上ります。
 車に乗って10分も掛からずに港に着きます。
 土産物店を色々物色して居る間に、ダイビング班(伊藤佑靖さんのコーチでダイビングにトライする班)も帰ってきました。
 みんな真っ赤に日焼けして、それでも元気に、楽しかった!気持ちよかった!と口々に話しています。
 やがてやってきたフェリーは、来るときの船よりは大きく、いくらか若い船齢で、期待が持てそうです。
 出港のときには、港にいた島の人が総出で見送ってくれます。思い思いに手を振って・・・。
 これがきっと“また来たい・・・”気持ちを起こさせるのではないでしょうか?
 防波堤を躱すと、途端にスピードが上がります。
 浅瀬を迂回して、岬を回ると、更に速度があがります。
 船端から水面が近いので、更に早く感じます。きっと30ノット位は出ているのではないでしょうか?
 昔、李承晩ラインや、ロシア船に悩まされていた我が国の漁師達は、何とかならないかと悩んでいました。
 そこへ、新潟鉄工という会社がナピアという過給器を提供したのです。
 漁船は、政府の規制によって、船倉の大きさで4.9トン級とか9.9トン級とかに別れています。
 搭載するエンジンも必然的に大きさが決まってきます。
 もちろん金にあかせて高出力のエンジンを積めば高速は出せますが、既成の船がエンジンを積み替えるなんてとてもできるものではありません。
 そこで考えたのが、過給器です。 今自動車のエンジンでスーパーチャージャーとかターボチャージャーというあれです。
 エンジンに高圧の空気を吸い込ませると、同じ大きさのシリンダーに何倍もの空気を吸い込ませることができ、それに燃料を噴射すれば、少なくとも30~50%も出力が増えるし、最大トルクも高回転域で発生します。
 船のエンジンに取り付けると、小さな過給器の他はそれまでのエンジンがそのまま使えて、ペイロードを減らすことなく、高速で走ることが出来るようになります。
 そして、ナピアは漁船の標準になったばかりか、漁船そのものの高速化をもたらしました。
 昔浜辺で沖を行く漁船が、のんびり走っていたのを見た思い出があります。
 今は、漁船といえども、20ノットを超える船も珍しくはありません。
 海岸で漁船を何気なく見ていると、意外に早いので驚きます。 
 但し、高速をだせば出すほど、速度の二乗に比例して燃料を消費するという問題もついて回ります。
 石垣の漁船にどんなエンジンが載せられているのか知りませんが、過給器を付けることで、支那公船の追跡を振り切るなども考えても良いのではないでしょうか?
 フェリーはまさに滑るように海上を突っ走ります。
 石垣港で、案内に聞きました。“今あの船で着いたところだけど、とても早いのに感心した。アレは何ノットで走るのですか?
 わざわざどこかへ聞きに行きます。かえって申し訳ない気がしましたが島の人はとても親切なのです。何気ない質問にも真剣に答えようとしてくれます。
 “あの船も30ノットだそうです。”
 わざわざ済みませんでした、有り難うと礼を言ってみんなの後を追います。
 普通の船で30ノットと言うのはとんでもなく早いのです。
 水中翼船でも40~50ノットですし、空母と駆逐艦が30ノット超ぐらいですから。
 支那の空母は19ノットしか出せなくて、だから着艦離艦のデモを腕こきのパイロットにたった一回、それもタッチアンドゴーをやっただけでしたね。
 どなたかの情報で、ロシアの戦闘機をコピーしたことでロシアが怒っている。そのため正規設計のタービンエンジンの供給を断られた。やむを得ず駆逐艦か何かのディーゼルエンジンを載せて漸く19ノット出すことに成功した。だから、遼寧は決して実戦配備出来ない・・・そうな!

懇談会
 三々五々、ホテルに帰ってきます。
 風呂に入ってさっぱりして、懇談会場へ向かいます。
 会場は石垣の歌舞伎町と言われる歓楽街にあります。
 水島幹事長は、今朝早く政府高官との打ち合わせとチャンネル桜、倒論討論闘論の収録があるため帰京しました。
 ご本人は呑み会が大好きで、参加できないことをとても残念に思っていると仰っていました。
 沖縄の人は、歌と踊りが大好きで、誰もが普通に三線を奏で、歌を歌い、踊り回るのです。
 ここでも店の主自ら三線を弾き、女将さんが太鼓を叩き、威勢良くみんなに嗾けます。
 お客様は、なぜかはにかみやさん・・・最初はみんな乗りません。
 やがて、お酒が入り、徐々にほどけていきます。
 私はお酒が全くダメですし、音痴で不器用、だから鑑賞専門。

船長の話と日台漁業協定
 そこへ、船長さんが三人参加してきてくれました。
 支那公船に併走された宮里丸の船長は、その時の気持ちをみんな話してくれました。
 また丁度その日、日台漁業協定が締結されたとのニュースが飛び込んできました。
 船長さんにとってはこの日台漁業協定も大変なダメージなのだそうです。
 協定が無い今までも、台湾漁船は、相当数入り込んでいる。
 石垣の両市は、誰もが延縄を何度も切られた。
 それでも、協定が無く、彼らは違法操業であることを知っているので、我々が近付くと逃げていくし、直接の被害が無い状況では、黙認状態でそれなりに均衡を保っていた。
 しかし、協定が結ばれ、彼らに歯止めが無くなると、どうなることか心配だ。
 彼らは好き勝手に乱獲するだろうし、底引き網でごっそり獲っていく・・・。
 彼らの船は大型で、乗り組みも10~20人で、輻輳すると我々は仕事にならない。
 我々の延縄は、30km~50kmもあり、その上を通過されれば延縄はたちまち切られ、漁獲だけでなく延縄も失う事になる。
 縷々述べて居ました。 
 水島さんがきっと、政府の然るべき方々に良く話してくれるでしょう・・・。と慰めていました。
 私たちは、単純に、日台漁業協定によって、台湾との連係を強め、支那を牽制する意味ばかり考えていました。
 地元の当事者の話を聞かなければ、なかなか実情はわからないものです。
 宴もたけなわ、ある方が“海ゆかば”をリクエストしました。
 些か場違いかなと頭の隅で思いながら、それでも一緒に歌うと、海や空や山に散った英霊が思い起こされます。
 二時間ほどで、葛城さんから、一次会のお開きが宣せられます。
 そのまま、希望者は二次会に延長する事も出来るのですが、老体には些か堪えたので、ホテルに引き揚げることにしました。
 実は、この後こそ、船長さん達の白真の話が聞けたと後から聞きました。
 迂闊でした。残念でした。ですからこの話も多少は間接的なものです。

島との別れ
 全ての行事が終わり、もう帰るだけとなりました。
 出発は遅く、支度をしてロビーに集まり、すでに顔見知りになった方々と、様々な意見や情報交換をします。
 今朝は雨が降ったようで、道路が濡れていました。
 それがロビーに集まる頃には沛然とスコールになりました。
 寒くはありませんが、ホテルの車寄せまでは大型バスは入れません。
 ホンのすこし小やみになった瞬間を狙って、飛び出します。
 床下の荷物室に荷物を放り込むように預けて、乗車しますが、それだけでずぶ濡れになってしまうほどです。
 これでは、今日のフライトはかなり揺れるな・・・と嫌な予感がします。
 飛行機の揺れは楽しいと言う人が居ます。
 私は、揺れそのものは大して苦になりませんが、ぐーっと降下するときがイヤなのです。
 特にノーズアップで上昇中に大きくぐーっと落下するときがあります。
 力が抜けるようで、頼りなく、いやですねぇ。
 再び三度那覇空港で乗り換え、これで那覇空港へは何度来たのだろう?
 たった一回でも那覇の街に出たことがありません。
 ここで、関空行きの方々とはお別れです。
 ぼやきながら、今度は777に乗り換え、羽田を目指します。
 あの四列シートの真ん中、あれはイヤですねぇ・・・。
 ひたすら時間が過ぎるのを待つだけ、馴れた人は眠っている間に着いてしまうという幸せな人もいるのに、肘掛けを手が白くなるほど握りしめ、寝ようと目を瞑れば、ぐっと不規則な落下が余計気になって、結局眠ることも出来ず・・・。
 羽田に着いたら、桜の方々が迎えに来てくれていました。
 嬉しかったですね。
 プライベートでは送られることも迎えられたことも覚えがないですから・・・。
 同室だった愛知のTさんは、品川から新幹線だそうですので、京急で蒲田まで一緒です。
 短い間でしたが、お世話になりました。
 いずれまたシナは何らかの攻勢にでてくるに違いありません。
 護れよ尖閣!頼むぞ海保!オオタは更迭、連立解消!
(ごまめのはぎしり)

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未分類 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/05/22 06:00
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