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悠久にわたる我が国の歴史

出雲大社 拝殿
こちら我が国の歴史の一ページに記されている出雲大社です。
何年前か忘れましたが参拝してきました。
出雲大社をめぐるお話は出雲風土記や古事記などに記されておりますね。
近くにある資料館にはその事が展示されています。
2600年以上の歴史を誇る我が国の歴史、科学的にうんぬんかんぬんとかいうやつもいますが、そう信じられているとう事実が重要なのです。国民の総意思と言うべきでしょうね。
2月12日が紀元節であるように我が国の歴史は2671年を数えているってことです。

さて、その歴史に関してこのような記事がありました。
【「日本書紀」から現代へ 歴史と改革】令和の日本にも連なる、天皇中心の国体を守る2000年以上の「改革の歴史」
 大学で戦後政治史を教えていると、学生からこんな質問を受けることがある。
 「何で、『保守』勢力の自民党が憲法改正を主張して、『革新』勢力の社民党・共産党が憲法を守れって言うんですか?」
 教科書だけで勉強していると、「保守」といえば頑迷固陋(ころう)な守旧派、「革新」といえば気鋭の改革派というイメージをもってしまうのであろうか。
 実際は読者諸賢もご承知のように、戦前までの国体=国のかたちを守ろう(回復しよう)というのが「保守」で、それを改め(否定し)ようというのが「革新」である。これはほぼ思想の違いを問わぬ共通認識で、ただ戦前の歴史についての評価の違いがあるのみだろう。
 ここで「戦前」と限定せず「戦前まで」と書いたのが、実はポイントである。いわゆる国家神道や軍国主義などを強調して戦前日本を特徴づける論者たちにとっては、明治維新から昭和戦前期までの日本が、それまでの伝統から突出した歴史上特異な状態と映るかもしれない。
 しかし筆者は、この戦前日本をも建国以来の連続性の中に見る。そして、この連続性は、戦後そして令和の日本にも連なっている。それは天皇を中心とする国体とそれに対する確信であり、それを守るためにこそ改革してきた2000年以上の歴史があるのだ。
 わが国史上、最初の顕著な改革として描かれているのが、いわゆる大化の改新である。これは第35代皇極天皇4(645)年、当時専横を極めた蘇我氏が中大兄皇子(=のち第38代天智天皇)・中臣鎌足らにより粛清された変に端を発する。
 本年で編纂(へんさん)から1300年を迎えた『日本書紀』によると、翌大化2年の正月、第36代孝徳天皇により、(1)公地公民制(2)「京師」(首都)「畿内」の制定と国司・郡司などの設置(3)班田収授の法(4)租庸調など統一的な税制-を定めた「改新之詔」が宣布された。
 もちろん天皇中心の政治確立を目指したこの改革には前段階があり、同じく『日本書紀』で、聖徳太子が第33代推古天皇のもとで行ったとされる諸政策である。
 蘇我馬子による第32代崇峻天皇弑逆(592年)を受けた、権勢を誇る豪族でも天皇の臣下であることを示した冠位十二階(603年)や、承詔必謹を定めた十七条憲法(604年)の制定、対外的には天皇が中国皇帝の臣下でないことを認めさせた遣隋使派遣(607年~)。
 これらの志向を妨げ続けた蘇我氏(=『日本書紀』がそのように意味づけている)が排除されたのが、改革の端緒としての「乙巳(いっし)の変」(645年)だったことになる。
 この改革は、天智天皇やその弟である第40代天武天皇による継承を経て、大宝元(701)年の大宝律令制定により完成したとされる。その過程で他ならぬ『日本書紀』が編纂(へんさん)されたのも、国体を守る(伝える)ための重要な成果であったといえよう。

日本書紀が古代日本の正式な歴史書であり、古事記は物語性の高いものと言う事はご存知でしょうか?
その日本書紀から始まる歴史から今の歴史までがすべて繋がっていると言う事です。
時々、大東亜戦争に負けて日本の歴史は途絶えたとか言っている馬鹿な人がいますけどそれは間違いです。
昭和天皇も明治憲法から昭和憲法に引き継がれたことを認めているのですから断絶なんてありえませんね。

そんな長きに和tらり育まれた日本の歴史におきまして最近文化賞を取られたお二人を紹介します。
紫綬褒章・漫画家の高橋留美子さん 漫画界の「生ける伝説」
 優れた功績をたたえる秋の褒章の受章者が決まった。漫画家の高橋留美子さん(63)は喜びを胸に、さらなる高みを目指す。
 40年以上にわたり常に漫画界の第一線で活躍し続ける「生ける伝説」である。受章にあたり、「身に余る褒章をいただき驚きもありましたが、しみじみと喜びを感じております」とコメントを寄せた。
 新潟県出身。昭和53年のデビュー以降、ほぼ一貫して少年漫画誌で活躍。魅力的なヒロインを描いたラブコメに定評があり、アニメ化もされた「うる星(せい)やつら」「めぞん一刻(いっこく)」は大ヒットした。その後も「らんま1/2」「犬夜叉(いぬやしゃ)」「境界のRINNE(りんね)」など人気作を連発。漫画・アニメ業界に絶大な影響を与え続けた。
 平成29年、全世界の累計発行部数が2億冊を突破。30年に米アイズナー賞、31年には仏アングレーム国際漫画祭グランプリをそれぞれ受賞するなど国際的評価も高い。現在も週刊少年サンデーで「MAO(マオ)」を連載中。独特の世界観「るーみっくわーるど」は健在だ。
 「これを励みに今後ますます努力を重ね、読者の皆様が気楽に楽しめる漫画をお届けし続けたいと思っております」 (本間英士)

漫画も日本文化の一つですね。麻生さんがその漫画を保護しようとして政策を立案しましたが、なんでも反対の民主党や漫画を格安で使用できなくなるマスゴミ達のレッテルで潰えましたね。
非常に残念な事です。漫画家の社会的地位を押し上げる法案を否決するマスゴミ、しっかりと保護していきましょう。

保守界隈で有名であり、ドラゴンクエストの主題歌などを手掛け、赤池先生の支援者の一人であるすぎやまこういち先生も文化功労章を頂いたそうです。
「無冠の帝王」返上 文化功労者のすぎやまこういちさん
 恒例の家族旅行に出発する直前に選出の連絡が入ったという作曲家のすぎやまこういちさん(89)。「『無冠の帝王』っていう負け惜しみ的な自称を返上できる」と笑いつつ喜びを語る。
 人気ゲームソフト「ドラゴンクエスト」の音楽を長年担当、ゲーム音楽の先駆者として知られる。すぎやまさんにとってゲーム音楽とは「バレエにおける音楽と同様、大きな柱」。すぎやまさんはこの他、「亜麻色の髪の乙女」や「恋のフーガ」など、すぐにメロディーが口ずさめる歌謡曲も多く手掛けてきた。
 7日死去した作曲家の筒美京平さんからは「師匠」と慕われた。「彼は出会った当初から完成されていて、弟子ではなく仕事仲間。悲しい」と語るが、「命ある限り音楽家としてやっていきたい」と前を向き続ける。


有名な人なのになぜか無冠だったすぎやまさん、赤池先生の講演会などで様々な言葉を頂きました。
裏話もしていただいてユーモアセンスのあるかたです(笑)
おめでとうございます。

さて、歴史と言うのは様々な評価に分かれるもんです。
その中でも評価が一番分かれるのは織田信長でしょうね。
先に紹介した日本書紀の記事を書いた方は織田信長をこのように評しています。
【「日本書紀」から現代へ 歴史と改革】国体を守ろうとした織田信長と豊臣秀吉 「江戸時代の三大改革」の普遍的価値
 前回は、鎌倉時代以降の武家政治が建国以来の国体=国のかたちを危うくした側面を指摘したが、室町時代、第103代後土御門天皇の御代に生起した応仁の乱(1467~77年)も、そういう意味で大きな危機であった。
 目下教科書から一般歴史書まで、応仁の乱によって「室町幕府/将軍の権威が失墜」とばかり記すが、皇室の権威が失墜しかけたことの方が危機の本質であろう。
 後土御門天皇が崩御したのは明応9(1500)年で、応仁の乱が一応の終結を見てから20年以上経っていたが、財政難により43日間葬儀が行われないほどであった。御所は荒廃し、第41代持統天皇4(690)年以来、ほぼ20年に一度行われてきた伊勢の神宮式年遷宮が123年、皇位継承のため不可欠な大嘗祭(だいじょうさい)に至っては、天皇9代221年にわたって中断している。
 しかし、室町幕府は、国体を守るための改革を自ら行うことができなかった。そうした改革-御所修築や神宮式年遷宮再開、そして朝儀・寺社の復興に手をつけた人物が織田信長であり、継承したのが豊臣秀吉である。
 戦後、「信長が天皇に取って代わろうとした」といった根拠なき主張が半ば通説になっていたが、近年見直しが進んでいる。
 さて江戸時代に入ると、幕府の政策もあって仏教全盛となる。ややもすれば神道が軽んぜられる世情に危機感を抱く向きから、国学(と後に呼ばれる学統)が興った。「江戸時代の三大改革」と呼ばれるものも、その学統、そして『日本書紀』が伝える日本古来の精神から大いに影響を受けたものであった。
 「享保の改革」と違い、失敗に終わったと評される「寛政の改革」(1787~93年)と、「天保の改革」(1841~43年)では、細かい違いはあれど江戸からの帰村などによる農村復興や、米の備蓄など飢饉(ききん)対策、学問奨励や風紀粛正、平和ボケの風潮の中で海防策(沿岸防備強化/一元化)が共通して志向された。
 これらは、それぞれ先立つ、老中・田沼意次が実権を握っていた田沼時代(1767~86年)と第11代将軍徳川家斉の大御所時代(狭義には1837~41年)における風紀紊乱(びんらん)や、貨幣経済偏重が一因となった政治腐敗を受けてのものである。
 寛政、天保両改革の(現在でも必要な)普遍的価値をもつ政策は、残念ながら「せっかく出てきた便利な江戸から帰りたくない」「国防のためでも領地替えはイヤ」といった類の情念から生じた激しい抵抗に遭い、ことごとく頓挫した。近代以降の改革への抵抗勢力の出現を予感させる展開ではないか。
 附言すると、田沼意次の経済政策を近代資本主義の先駆けであるように好意的に評価するのも、戦後日本の歴史観の産物である。大正9(1920)年に、寛政の改革を主導した松平定信を御祭神として南湖神社が創建される際、もっとも篤く支援した人物こそ「日本資本主義の父」と言われる渋沢栄一であった。

ちょっと最後は違いますが、皇統をつなげるうえで重要な事を信長が復活させたという話になります。
日本書紀に記されている話が現代の日本では引き継がれているというのは歴史の連続性を示す重要な証拠になることでしょう。

歴史の連続性、国民の習慣に入り込んでいる宗教性もありますが、暮らしに欠かせないものと言う認識は間違っていませんね。
生活に溶け込んでいる日本の歴史、大切にしていきましょう。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2020/11/11 06:00
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