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震災から10年が経ちました。

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大震災から10年が経過しましたね。
この10年で様々な復興がなされました。原子力発電所から粛々と核燃料は取り出されており、無害なトリチウムを含む処理水の処理方法ももうすぐ決定することでしょう。
前を向いて進んでいる人がどんどん進んでいます。後ろしか見ていない人にかまっている暇はないのです。
三陸線も全線開通しましたし、明るい話題ばかりですね。
前を向いて歩いていきましょう。

さて震災から10年、アメリカ軍が非常事態へとの対応した作戦である『トモダチ作戦』それを讃える石碑が出来たそうです。
宮城・気仙沼の大島に「トモダチ作戦」への感謝をこめた記念碑が完成
東日本大震災の発生直後、支援に駆けつけたアメリカ軍の海兵隊に7日、感謝を込めた記念碑が宮城県気仙沼市の大島に設置されました。
アメリカ軍は震災直後の2011年4月、「トモダチ作戦」の名のもと孤立した気仙鹿沼大島でがれきの撤去や物資の支援などを行い被災者の支えとなりました。
震災から10年を前に感謝の気持ちを形にしようと大島の海を見下ろす公園に記念碑が設置され、当時活動した海兵隊員も参加して記念碑の完成を祝いました。
記念碑は御影石で作られた本の形をしていて、英文と日本語で感謝の言葉が記されています。

アメリカ海兵隊ケイリブ・イームス少佐は「大島がんばって気仙沼がんばって一緒に力を合わせてより強い東北にしましょう」などと話していました。
記念碑が設置された公園は島の商業施設に隣接し、主催者は訪れた人たちにも「トモダチ作戦」を知ってもらいたいと話しています。

皆の気持ちが一つになる事、この素晴らしさが判っていない人がいるそうですが、その人は不幸な人ですね。
一人一人はちっぽけな力しか発揮できません。でもその小さい力を集めれば大きなことでもなすことが出来ます。
その事を知らない人は今現社会ではびこっている個人主義の愚かさが判っていないのでしょうね。

トモダチ作戦の当事者の話がありました。
「トモダチ作戦」日米当事者が振り返る意義と教訓は
 11日で発生から10年を迎える東日本大震災では、米軍が最大時で約1万6千人、艦船15隻、航空機140機を投入した支援活動「トモダチ作戦」を実施し、被災地の復旧・復興に貢献した。震災当時、陸上自衛隊トップの陸上幕僚長だった火箱芳文氏と、在沖縄海兵隊基地外交政策部次長だったロバート・エルドリッヂ氏にトモダチ作戦の意義や教訓を聞いた。

 ■リスク共有が最も大事…同盟の強さ示せた
 【元陸上幕僚長 火箱芳文氏】
 東日本大震災発生から約30分、私は電話をかけ続けて部隊の出動や待機を指示しました。(陸上自衛隊トップの)陸上幕僚長に部隊運用の権限はなく、防衛相や統合幕僚長には事後報告になる。越権行為で処分されることも覚悟しました。

やらなければならないときに決断できるというのは素晴らしい事だと思います。
それを支えることが出来たことも素晴らしい事ですね。
当時、暗黒の民主党政権でした。様々な人が不幸になる状況でしたね。
そんな中で日本とアメリカとが手を取り合って支えていけているというのが素晴らしい事だと私は思います。

そんな中、何もやらないで他人の批判しかできないものたちが解散することになったそうです。
脱原発の金曜デモ、資金難で休止 国会前で最後の訴
 東日本大震災後、東京・永田町の首相官邸前で毎週金曜夜に脱原発を訴えてきた市民団体「首都圏反原発連合」が、3月末で休止する。金曜デモを397回行ってきたが、参加者が減少し、資金難になったことが主な理由という。7日には、団体が主催する休止前最後の国会前での集会があり、参加者が「原発はいらない」「再稼働反対」などと訴えた。
 集会は、11日に東日本大震災から10年となるのを前に開催し、数百人が集まった。新型コロナウイルス感染防止のため、参加者の検温などの対策をとった。
 仙台市出身の高橋智彦さん(29)は、東京電力福島第一原発事故から約10年が経過し、記憶の風化が心配という。「事故はまだ終わっていない、という思いを政治に届けたかった」
 東京都大田区の伊藤あき子さん(67)は9年前から金曜デモに参加。コロナ禍でいまは行っていないが、休止と聞き、この日の集会に参加した。「金曜デモを通じて、おかしいと感じたら、政府に怒っていいんだと気づかせてもらった」

デモをやるのに何のお金が必要なのでしょうか?
道路使用許可の費用でしょうか?そんなもんカンパで賄えるでしょうね。
何にお金がかかるのか判りません、参加者は自由参加ですよね。一人一人がお金を出し合って行っているであろう街頭行動
で、こいつら平日の昼間っから何やってんでしょうね。
そんな下らない人々はほっときましょう。

東日本大震災の際にいの一番に支援の声を上げ、200億円もの義援金を届けてくれた台湾に対して感謝の声を届けるメッセージが出来ました。
「大好き台湾」 駅の壁面に東北1200人のメッセージ 震災時の感謝伝える
(台北中央社)東日本大震災発生から11日で10年を迎えるのを前に、当時の台湾からの支援に改めて感謝を示そうと、東北の人々から台湾に向けて「ありがとう台湾」「大好き台湾」のメッセージを伝える壁面ラッピングが3日、台北メトロ(MRT)中山駅の改札前に登場した。台湾への思いを書いたメッセージを掲げる東北の人約1200人の写真が壁一面に敷き詰められた。目を引くラッピングに、足を止めて一人ひとりの写真を眺める人やカメラを向ける人の姿もあった。
企画したのは、台湾で青森や岩手、宮城などのインバウンドを支援する向井純さん。掲示料金約300万円を自腹で出した。「行き来ができない今だからこそ、感謝の思いや台湾を好きな気持ちを純粋に伝えられれば」と壁面ラッピングに込めた思いを語る。
壁面ラッピングの大きさは縦2.5メートル、横18メートル。向井さんの呼び掛けに応じた1209人の写真が並べられている。向井さんがフェイスブックで写真の募集を始めたのは1月下旬。当初は「最低100人」と見込んでいたが、締め切りまでの約2週間で予想を大きく上回る人数の応募があった。参加者の内訳は東北6県が1152人、JR関係者が54人。年齢は赤ちゃんから高齢者までと幅広い。一般の人や自治体関係者のほか、三村申吾青森県知事や村井嘉浩宮城県知事も企画に参加した。参加者が持つボードには中国語で「東北で待っています」「一緒に頑張りましょう」「小籠包が恋しいです」など台湾への思いがつづられた。
向井さんは東京生まれ、台湾育ち。父親の仕事の関係で、生後まもなく台湾に移り住んだ。東北にはゆかりがなかったが、約20年前に日系の広告代理店から独立し、旅行コンサルティング会社、向日遊顧問を立ち上げる際に、当時付き合いのあった航空会社からの紹介で東北のホテルをまとめる団体と接触したのをきっかけに東北との縁が生まれた。これを機に東北との関係は深まり、青森県や岩手県のインバウンド支援をするようになった。
東日本大震災からまもなく10年。訪台した日本人が何かにつけて台湾の人々に「ありがとう」と言うことに対し、日台交流を現場レベルで見ている立場として、台湾の人が「もういいよ」と思っていることを感じていたという向井さん。だがそれでも、10周年の節目の年では「あえて(ありがとうを)言うべき」だと考えた。それに加え、新型コロナウイルスの影響で海外旅行が難しい状況が続く中で台湾を恋しく思う日本人の気持ちを何かの形にしようと企画を立ち上げた。「台湾を思う気持ちの大きさはみな同じ」との考え方から、知事も一般の人も、写真の掲載サイズは一様にした。
掲示費用は安くはないが、向井さんは「かけたお金よりも大きなものを感じられた」と話す。台湾に来られない人が写真を寄せてくれたことを嬉しさを感じ、その写真を見るだけで楽しく、満足感を得たという。
来月2日まで掲示される。一部の写真は今月13、14日に台北市の華山1914文化創意産業園区で開かれる日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会主催のイベントでも展示されるという。

ありがとうの気持ちを表すことが大切ですね。
感謝の押し売りは必要ありませんが、このような行為は好意的ですね。

大震災から10年たちました。
悪夢の民主党政権下で発生した人災に加えて発生した天災、日本に大きな被害をもたらせた大震災でした。
でも心の交流により豊かになった面もありましたね。
被害は甚大でしたがまだ立ち直れると私は日本を信じています。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2021/03/12 06:00
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