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東条英機の実像を語る

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先日芦屋会館にて行われました講演会に参加してきました。
題名は東条英機の実像を語る
講師の方は東条英利さん、東条英機の曾孫さんになります。
なかなか色々な話を伺いました。
以下が講演会のメモになります。

東条先生の家系図の説明
長男のみ英が引き継がれている。
英教:陸軍大学一期生・中将
英機:第40代内閣総理大臣
英俊:能楽師南部学士
東条家は元々能楽師の家系でした。

英機は「私の弁解はするな!」と家族に言い残したという
『一切語るなかれ』
すべての責任は我にあり、ただし、日本は国際法上無罪である!

戦後の東条英機は大極悪人、
戦前の東条英機は理想の軍人
との認識があります。

東条英機の人物像は陸軍少将那須さんの証言では
スターリンのような冷徹で権力過ぎではない色眼鏡で見た一面である
その人格を言えば生真面目、正直、人情家そして様々な評判を気にせずに忠実自己の責任において断行する実行力を持っている。
アニメでは磯野波平に似ている。因みに東条英機とサザエさんの作者の家は近かった。

東条英機の実像
その1
努力家
人間は動議道徳があるからこそ万物の霊長として言われる

その2
几帳面
東条英機の異名の一つは「メモ魔」というものがある。
秘書に頼らず自分で管理
陸軍の法規、規則も丸暗記
ドイツに渡航する前から3年分の行動予定表を組んでいたという。

その3
公平性・公正性
宝探しやミニ運動会を主催
地域のゴミ捨て場を自ら確認→国民の真の生活を知りたいがため
しかし、戦後のマスコミは東条英機が市民社会を監視しているという記事に捏造しています。
兵食の特別扱い禁止→自分だけ特別扱いを禁止にした。
体罰は禁止

その4
子供への愛情
子供を見ると「良い子になりなさい」と頭をなでる
ゴムを入手するとまずはゴムまりを生産し、子供たちに配給
世界で唯一日本独自の児童疎開法を制定
孫を、英勝を溺愛→英勝はどうしているか?が口癖になっていたそうです。九官鳥までもが「英勝」とよぶくらい日々孫を心配していたそうです。

その5
東條家のお金の使い方
質素な佇まい→800坪に対して建物は15坪 一国の首相としてあまりにも質素すぎるので爆撃の際に爆撃されずにお隣さんの家(鈴木さん邸)が爆撃された。
困窮した子供達の同級生をこっそりと支援
困っている人には即座に支援→困っている人がいれば即支援していたので常に貧乏であった。

生きた金と死んだ金
当時の日本人観:こうした金銭感覚は決して英樹に限った話ではない。
個人の損得の問題じゃない、日本全体のエネルギーの問題であり、無駄なエネルギー
英樹の人間性は戦前の日本人の標準であった。→お国のためとの感覚が普通であった。
明治生まれの人は立派な人間と言う規範がある。
英樹は理想的な日本人像であった。

歴史の真相 その1
自殺未遂
開戦責任者として法廷で反論する考えであった。
1.日本には大義があった
2.自身が戦争の責任があった。
3.公正な判断を望む
その為英樹は自宅で出頭命令を待っていた。
しかしGHQが自宅を包囲して英機は自決決断。

重光首相は英機の自決の報を聞いて怒ったそうです。
逮捕者氏名の通告はするが連行は日本の官憲が行く
との取り決めを一方的にGHQが破棄したて犯罪者として連行しようとしました。
その為、英機は自決を行った。

瀕死の状態の英機に対して暴虐武人な対応をGHQが行っていた。
記者は速報を奪い合う中、生死を掛けて賭け事を行っていた。
カメラマンが到着すると記念撮影を行っていた。
人間扱いされていない公平、公正さが全くなかった。
上から目線でやりたい放題であった。

失敗の要因を軍医が証言している。
1.英機の心臓の一が普通の人とは少し異なっていた。
2.英機は左利きだった。
3.使用した拳銃は自分のものではなかった。
何故、英機は次女の旦那さん(古賀さん)の拳銃を使った
何故、古賀秀正さんの拳銃を使ったのか?
宮城事件の責任を取って玉音放送終了直後に拳銃で自害した古賀さんへの英機自身の覚悟であった。

その3
戦後の東條家
7月半ばより、英機暗殺一家逮捕のデマが流れ始める。
7月22日 東條内閣総辞職
7月26日 ポツダム宣言が発せられる。
8月9日 英機は長男の英隆に遺髪を郵送する。
8月14日にポツダム宣言が受託される。
8月15日 宮城事件→玉音放送が流れる→日本国降伏
古賀さんの自決の一報が入る。東條家への脅迫が続いていた。家族は伊東の友人宅に疎開していた。
8月18日 次男の輝雄が松本の工場から用賀の実家に帰京する。
これからの東條家の事を話す。
東条英機の最大の親友である鈴木さん(お隣さん)から家族全員分の青酸カリをもらっている。
9月2日 ポツダム宣言後に降伏調印
9月3日 長男英隆にも遺書を郵送
9月11日 東条英機自殺未遂事件

長男一家の受難は苛烈を極めた。
1.終戦時8か月で4回引越しした。
2.「国民の敵」「悪の元凶」とされ、長男を雇う者はいない。
3.東條家に物を売らない→庭を開墾して自給自足を行い人里離れた場所に物資の買い出しを行っていた。
4.遺族会に入れずに遺族年金もなかなかもらえない。
5.子供だろうと容赦なく差別される。
東條家は全国民より敵視されていた。
おばあちゃん(幸子さん)はこのように言い続けます。
誇りを持ちなさい!
おじいさまは立派な方ですよ。おじいさまの顔に泥を塗らないように、また後ろ指をさされないようにしましょう。
東條家に生まれてよかったという誇りをもって生きていきましょうね。
一番厳しい反省を強いられたのが孫の英勝であった。
英勝は幼ながら約束を守ろうとしていた。
しかし、その英勝を世間は許さなかった。

学校すべての教員から担任を拒否された。→しばらくは校庭のポールによじ登り窓から授業を受けていた。
しばらくすると長沢先生と言う恩師が現れ、復学する。
このことで英機は獄中で大いに感謝して遺書の中に歌を残したそうで鵜s。

親の目の敵、血だらけになるまでいじめられる日々
祖母かつ子からは「人から何言われても決してお返ししてはいけません」と言われていた。
そんな私に対して一度だけ号泣したことがあり、それは幼少期に自殺未遂をしたことを告げるものであった。

極貧の生活
用賀の実家に手自給自足の生活をしていた。
国民による集団リンチを受けていた。
幼少期に一番父に優しかったのは在日の人々であった。

叔母が表舞台で話している時に英勝が離さないのは
語れないのでなく語れなかった!
誰よりも東條家の誇りをもって世間と戦ってきた。

改めて思うのですが、
昔は生まれてよかったのか?と考えたことはありました。
仙曽我あらゆる辛苦に耐え忍んだ結果、今の生が圧ことを悟りました。

台湾の海南島には東条英機の土下座像があり、何とかならないか?と訴えたこともあります。
http://j.people.com.cn/2004/01/10/jp20040110_35732.html
でも私有地なんで改善出来ないと言われてしまいました。

私はアメリカで夏のしめ縄づくりなどもやっています。
英霊の皆様が何を残してきたのかを改めて考えていきたいと思います。
東条英機は失われた戦後の日本の象徴ではないでしょうか?

以上が講演内容になります。
なかなか難しい話ですね。戦争に負けて手のひらを返した状況が今を作り上げていると言う事なのでしょう。
プライド 運命の瞬間と言う映画がありますね。https://eiga.com/movie/77054/
中名k難しいです。
でも、今回の講演を聞いていろいろと考えさせられました。

以上、宜しくお願いします。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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講演会 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2021/07/21 06:00
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