頑張れ!中山恭子先生

中山恭子先生は元大蔵省のキャリアでしたが、歴史問題、拉致問題、公共事業の推進など、政策的にこれほど安心できる候補者ってめったにいません。
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まずは、7月4日の立候補演説になります。

維新の会はいかがなものかな?と言われている方が多いなか中山恭子先生は国士であります。

例えば誤った米国報告書への対応と日本人捕虜の誇りについてこのような答弁を行っています。

中山  私自信が1999年から3年間、大使として過ごしたウズベキスタン共和国での
    事例を紹介します。
    ウズベキスタンは大変な親日国です。日本人というだけで信頼され、尊敬されます。
    その元にあるのは何か。それは日本の文化です。
    敗戦後、シベリアに抑留された日本兵が中央アジアに移送され、重労働に従事させられ
    ましたが、ダムや水力発電所、運河、道路、劇場などの立派な建築物を建て、今もそれが
    しっかり残って使われているというのが現状でございます。
    日本の若者たちは帰国できるかどうかもわからない中、真面目に、誠実に、陰日向なく
    働いて、良いものを残し、感銘を与えました。
    ここで働いた人々は厚生部隊です。ということは当時の全ての若者たちがこのような文化を
    身に着けていた証左であると考えます。
    麻生大臣はウズベキスタンでタローアソウと呼ばれて大変尊敬されています。
    カザフスタンのナザルバエフ大統領にもお会いになっていらっしゃいますが、
    中央アジアの国々での日本人の動きについて、一言お話いただけませんでしょうか。

麻生  カリモフという大統領がおられるんですが、1997年だったと思いますが、
    日本の閣僚として始めてウズベキスタンに行きました。
    大統領に接見して(こう言われた)「子供の時、毎週末、日本人捕虜収容所に連れて行かれた」
    ご存知かと思いますが、45年から46年にかけてシベリアからウズベキスタンに
    2万5千人の捕虜が移送されています。その捕虜収容所に連れて行かれた。
    「母親が私に言った台詞は毎週末同じだった。『せがれご覧、あの日本人の兵隊さんを。
    ロシアの兵隊が見ていなくても働く。人が見なくても働く。お前も大きくなったら
    必ず人が見ていなくても働くような人間になれ』おかげで母親の言いつけを守って
    今日オレは大統領になれた。」
    捕虜が建てたのはナヴォイ劇場だが、ウズベキスタンの大地震の時にこの劇場だけが
    倒壊しないで残った。
    そこには「日本人捕虜」を「日本国民」と書き直し「日本国民に建ててもらった」
    と書かれている。
    ウズベキスタンという国において日本人が定着し、日本文化が広まって行った元は
    2万5千人の捕虜収容所に入れられた方々のご努力の結果だ。
    今日の日本-ウズベキスタン関係が出来上がった基礎はそこにあると思う。

中山  ありがとうございます。日本文化の素晴らしさをみんなでもう一度誇りをもって
    過ごして行きたいと思います。

この答弁を自民党の国壊議員たちに見てもらいたいです。
中山恭子先生のブログにはこのような政策が掲げられています。
拉致被害者全員の救出を目指します。
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みなさん、今回の選挙は日本の今後を占う選挙です。
国士を国会に送り込みましょう!
(ブラッキー)
中山恭子
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街宣 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2013/07/17 06:00
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No title
シェアさせて頂きます。(^_^)/

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