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台湾旅行記その1~八田記念館~

八田技師のお墓

こちらは烏山頭ダムを建設した八田與一技師の銅像になります。
多くの花が手向けられており、其の後ろには夫妻のお墓があります。

以下、八田技師の功績の抜粋です。
100年前の嘉南平原は、不毛の地でした。干し上がった土地に伝染病が蔓延することもありました。劣悪な環境に、天災も多く、豪雨洪水でせっかくの稲も実らず農民の生活は貧窮そのものだったのです。1930年、烏山頭水庫と嘉南大が完成したとき、今までの田畑は豊饒の地へと生まれ変わり、農民は歓喜の叫びを上げました。今まで1年に1度の稲さえ実らなかった土地が、二期作、三期作さえ可能となり、白米以外にサトウキビや野菜も収穫できるようになりました。台湾最大の米どころとなった嘉南平原。この発展は、台湾近年の経済や文化の発展にも大きな影響を与えたのです。
烏山頭ダムと嘉南大の2つの建設は、八田技師自身の黄金期でもあったと言われています。八田與一技師は56歳でこの世を去りましたが、56年の生涯のうち、32年をこの烏山頭の仕事にささげたのです。東南アジアで最大、世界でも3番目と言われる「半水力填築式」を利用したこのダムは、当時熱血漢の技師がここにいたという証明でもあります。
日本統治時代、日本人は多くの建設の基礎を台湾に築きましたが、多くの場所で、日本人と台湾人の差別があったのも事実です。八田技師がこれほど台湾人に慕われ、尊敬される理由の一つとして、国籍云々に関わらず、皆と平等に接したということがあります。才能がある台湾人は、重要なポストにも抜擢したので、建設に携わるすべての者が一つの目標に向かって勇往邁進できました。大工事を何年もかけて行うには、それに関わる者たちが互いに協力し合うことによってこそ、良い結果が成し遂げられるのです。職員たちの住居以外に、公共の施設を整えたのもそのためだと言われています。
以上、
慰霊碑

こちらの慰霊塔には日本人、台湾人、分け隔てなく祀られておりました。
八田記念館

つい最近出来ました、八田技師記念館になります。
ちょうどNHKスペシャルのアジアの一等国が放送された後に作られたものです。

じっくりと見て居たかったのですが、竹北からきた観光客により占領されてしまいました。
町内会か何かでしょうか?、皆楽しそうに八田技師の功績の映像を見ていました。

烏山頭ダム


こちらからは烏山頭水庫ダムが一望できます。
日本統治時代の1930年(昭和5年)に水利技術者、八田與一によって計画設計されたこのダムは、粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリック・フィル工法(コンクリートをほとんど使用しない手法)によりダム内に土砂が溜まりにくくなっており、近年これと同時期に作られたダムが機能不全に陥っていく中で、しっかりと稼動していており、国宝級のダムといわれ、また現在でも世界三大水利工事プロジェクトの1つと称えられています。

私たちが到着したのが朝8時30分
まだ開園していないのにも関わらず、銅像には多くの花が手向けられており、其の人気が窺い知ることが出来ます。
八田技師

記念館には当時生活していた家を再現したものがあります。

八田技師は町を構築し、工員の生活の基盤を作りその中で生活していたそうです。(博打で工員が警察にしょっ引かれたときに身元引受人になったりしていたそうです。)


絆の桜

その八田技師のお住まいの近くには絆の桜がたたずんでいます。

日本の石川県に生まれ、台湾のために仕事を行い、フィリピンへの航路の途中で命を失った八田技師に対し慰霊の心を送ります。


(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(2) | トラックバック:(1) | 2012/06/19 07:00
コメント:
No title
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
ありがとうございます。
ありがとうございます。

日本人がどのようなことを行い、評価されているかを当の日本人があまり知らない、教えられてこないのが問題だとお思います。
少しでも広めて生きたいと思いますので宜しくお願いします。

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こちらは烏山頭ダムを建設した八田與一技師の銅像になります。 多くの花が手向けられており、其の後ろには夫妻のお墓があります。 以下、八田技師の功績の抜粋です。 100年前の嘉南平...