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何事もなく終わった安倍元総理への国葬

安倍総理国葬
混乱もなく終了した安倍元総理への国葬
マスゴミたちや野党たちは必死に安倍元総理を貶めようとしていましたが、多くの国民の意志によりそれが失敗したことが証明されました。
献花に訪れた人はそれこそ数え切れないくらいの人々で道路を埋め尽くしました。
しかし、左翼が願ったような混乱は一切なく、国民の意志を安倍元総理へ伝え、その模様は全世界中に報道されました。
国民の6割が反対したというマスコミの言う国葬、ふたを開けると賛成している人が圧倒的多数であったことが見て取れます。
私も抜けれる仕事内容であれば駆け付けたのですが、あいにく重要な会議がありましたので参加出来ず( ノД`)シクシク…
まあ、サラリーマンなんで調整が難しいこともあるでしょうね。

前日の午後に安倍元総理の遺骨が夫人の手により会場に入られたそうです。
安倍氏の遺骨、国葬会場に到着
参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の遺骨が27日午後、国葬(国葬儀)の会場となる東京・北の丸公園の日本武道館正面玄関に到着した。到着と同時に儀仗(ぎじょう)隊が19発の弔砲を発射し、敬礼で遺骨を出迎えた。
昭恵夫人にとって国葬はどのような意味になるのかは本人しかわかりません。
ですが本日までに寄せられた誹謗中傷に耐えられたことは想像できます。ほんと左翼って人の心がありませんでしたね。

そして27日の午後から国葬が開始されました。
国葬始まる 式壇に遺骨とブルーリボン安置
参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の国葬(国葬儀)が27日午後、東京・北の丸公園の日本武道館で始まった。式壇には、安倍氏が愛した富士山をかたどり、左右に広く伸びた裾野と雪化粧が施された頂が表現された。また、式壇には安倍氏の遺骨とともに議員バッジ、生前に心血を注いだ北朝鮮による拉致被害者救出を誓うブルーリボンバッジも安置された。
式壇の生花は、安倍氏が「常に闘う政治家でありたい」という信念のもと、国家・国民のためであれば、いかなる批判も恐れず行動してきた政治家としての軌跡を表現したという。
また、安倍氏の遺骨が会場に到着すると同時に自衛隊が19発の弔砲を発射。儀仗(ぎじょう)隊の敬礼で出迎えた。儀仗隊の先導により、葬儀委員長を務める岸田文雄首相、遺骨を抱いた喪主の昭恵夫人が入場した。
会場では新型コロナウイルス対策のため、参列者にマスクの着用が求められ、会話も控えるよう呼びかけられた。水分補給のためペットボトルが配られ、気分が悪くなった参列者のために救護所も設けられた。
国葬では葬儀副委員長を務める松野博一官房長官による「開式の辞」の後、陸自中央音楽隊、海自東京音楽隊、空自中央音楽隊が国歌を演奏。参列者は1分間の黙禱をささげる。

拉致問題に力を注いだ安倍元総理、解決には至りませんでしたが、その意思は国民が受け継ぎ、そしてそれを受け継ぐ議員を支持していくことでしょう。

岸田さんの挨拶です。
岸田首相「盟友としてあなたの内閣に、一生の誇り」…葬儀委員長弔辞
 従一位、大勲位菊花章頸飾、安倍晋三・元内閣総理大臣の、国葬儀が執り行われるに当たり、ここに、政府を代表し、謹んで、追悼のことばを捧げます。
 7月8日、選挙戦が最終盤を迎える中、安倍さん、あなたは、いつもの通り、この国の進むべき道を、聴衆の前で熱く語りかけておられた。
 そして、突然、それは、暴力によってさえぎられた。あってはならないことが起きてしまいました。
 いったい誰が、こんな日が来ることを、寸毫なりとも予知することができたでしょうか。安倍さん、あなたは、まだまだ、長く、生きていてもらわなければならない人でした。
 日本と世界の行く末を示す羅針盤として、この先も、10年、いや20年、力を尽くしてくださるものと、わたくしは、確信しておりました。
 わたくしばかりでは、ありません。本日、ここに、日本の各界各層から、世界中の国と地域から、あなたを惜しむ方々が、参列してくださいました。みな、同じ思いをもって、あなたのお姿に、まなざしを注いでいるはずです。
 しかしそれは、もはや、叶うことはない。残念でなりません。痛恨の極みであります。
 29年前、第40回衆議院議員総選挙に、あなたと、わたくしは、初めて当選し、ともに、政治の世界へ飛び込みました。
 わたくしは、同期の一人として、安全保障、外交について、さらには経済、社会保障に関しても、勉強と、 研鑽けんさん に、たゆみなかったあなたの姿を、つぶさに見てまいりました。
 なによりも、北朝鮮が日本国民を連れ去った拉致事件について、あなたは、まだ議会に席を得るはるか前から、強い憤りをもち、並々ならぬ正義感をもって、関心を深めておられた姿を、わたくしは知っています。
 被害者の方々を、ついに連れ戻すことができなかったことは、さぞかし無念であったでしょう。わたくしはあなたの遺志を継ぎ、一日千秋の思いで待つご家族のもとに、拉致被害者が帰ってくることができるよう、全力を尽くす所存です。
 平成18年、あなたは、52歳で、内閣総理大臣になりました。戦後に生を受けた人として、初めての例でした。
 わたしたち世代の旗手として、当時あなたが、戦後置き去りにされた、国家の根幹的な課題に、次々とチャレンジされるのを、期待と、興奮をもって眺めたことを、今、思い起こしております。
 わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ。まだまだ大いなる可能性を秘めている。
 それを引き出すのは、わたしたちの勇気と、英知と、努力である。日本人であることを誇りに思い、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか。
 戦後最も若い総理大臣が発した、国民へのメッセージは、シンプルで明快でした。
 戦後レジームからの脱却――。防衛庁を、独自の予算編成ができる防衛省に昇格させ、国民投票法を制定して、憲法改正に向けた、大きな橋を架けられました。
 教育基本法を、約六十年ぶりに改めて、新しい、日本のアイデンティティの種を蒔きました。
 インドの国会に立ったあなたは、「二つの海の交わり」を説いて、「インド太平洋」という概念を、初めて打ち出しました。
 これらはすべて、今日につらなる、礎です。
 そのころあなたは国会で、「総理大臣とはどういうものか」との質問をうけ、溶けた鉄を鋳型に流し込めばそれでできる鋳造品ではない、と答えています。
 叩かれて、叩かれて、やっと形をなす鍛造品。それが総理というものだ、と、そう言っています。鉄鋼マンとして世に出た人らしいたとえです。

 そんなあなたにとって、わずか一年で総理の職務に自ら終止符を打たねばならなかったことくらい、つらい事はなかったでありましょう。しかしわたしたちはもう、よく承知しています。
 平成24年の暮れ、もう一度総理の座につくまでに、あなたは、みずからを、いっそう強い鍛造品として鍛えていたのです。
 「二つの海の交わり」を説いたあなたは、さらに考えを深め、「自由で開かれたインド太平洋」という、たくさんの国、多くの人々を包摂する枠組みへと育てました。
 米国との関係を格段に強化し、日米の抑止力を飛躍的に強くしたうえに、年来の主張にもとづき、インド、オーストラリアとの連携を充実させて、「クアッド」の枠組みをつくりました。
 あなたの重層的な外交は、世界のどの地域とも良好な関係を築かれた。
 欧州との経済連携協定と戦略的パートナーシップ協定の締結、そして、アジア地域、ユーラシア地域、中東、アフリカ、中南米地域と、これまでにない果断で率直な外交を展開され、次々と深い協力関係を築かれていった。
 平和安全法制、特定秘密保護法など、苦しい経過を乗り切って、あなたは成就させ、ために、わが国の安全は、より一層保てるようになりました。
 日本と、地域、さらには世界の安全を支える頼もしい屋根をかけ、自由、民主主義、人権と法の支配を重んじる開かれた国際秩序の維持増進に、世界のだれより力を尽くしたのは、安倍晋三その人でした。
 わたくしは、外務大臣として、その同じ時代を生きてきた盟友としてあなたの内閣に加わり、日本外交の地平を広げる仕事に、一意専心取り組むことができたことを、一生の誇りとすることでしょう。
 国内にあっては、あなたは若い人々を、とりわけ女性を励ましました。子育ての負担を、少しでもやわらげることで、希望出生率をかなえようと、努力をされた。
 消費税を上げるかわりに、増える歳入を、保育費や学費を下げる途に用いる決断をしたのは、その途の先に、自信を取り戻した日本の若者が、新しい何かを生み出して、日本を前に進めてくれるに違いないと、信じていたからです。
 あなたはわが国憲政史上最も長く政権にありましたが、歴史は、その長さよりも、達成した事績によって、あなたを記憶することでしょう。
 「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」、という新渡戸稲造の言葉を、あなたはいちど、防衛大学校の卒業式で使っています。
 Courage is doing what is right.
 安倍さん。あなたこそ、勇気の人でありました。
 一途な誠の人、熱い情けの人であって、友人をこよなく大切にし、昭恵夫人を深く愛したよき夫でもあったあなたのことを、わたくしは、いつまでも、懐かしく思い出すだろうと思います。
 そして、日本の、世界中の多くの人たちが、「安倍総理の頃」、「安倍総理の時代」、などと、あなたを懐かしむに違いありません。
 あなたが敷いた土台のうえに、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓いとしてここに述べ、追悼の辞といたします。
 安倍さん、安倍総理。
 お疲れさまでした。そして、本当にありがとうございました。どうか、安らかにおやすみください。
 令和4年9月27日 日本国内閣総理大臣 岸田文雄

( ノД`)シクシク…

菅前総理の友人の言葉です。
【安倍元首相国葬】菅義偉前首相「真のリーダーでした」
7月の8日でした。
信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい。同じ空間で同じ空気を共にしたい。その一心で現地に向かい、そしてあなたならではの温かなほほ笑みに、最後の一瞬、接することができました。
あの運命の日から、80日がたってしまいました。
あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情でも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。
天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、生命(いのち)を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。
口惜しくてなりません。悲しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。
しかし、安倍総理とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。
20代、30代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは今日よりも明日の方がよくなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ。これがあなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちが、こんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上にうれしいことはありません。報われた思いであります。
平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれればうれしい」と、そういうお話でした。
信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。
そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。
最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。3時間後にはようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを「菅義偉、生涯最大の達成」として、いつまでも誇らしく思うであろうと思います。
総理が官邸にいるときは欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。今でも、ふと一人になると、そうした日々の様子がまざまざとと蘇ってまいります。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。
一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。
安倍総理。日本国はあなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など難しかった法案を、すべて成立をさせることができました。どの一つを欠いても、わが国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものであります。
国難を突破し、強い日本を創る。そして真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。私だけではなく、すべてのスタッフたちがあの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたはわが国、日本にとっての真のリーダーでした。
衆議院第1会館1212号室の、あなたの机には読みかけの本が1冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだという最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで、線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。
総理、今、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
深い悲しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。
令和4年9月27日 前内閣総理大臣 菅義偉

(´;ω;`)ウゥゥ
言葉がありません。

さて、反対していた人々はどこに行ったのでしょうね。
私はその存在を確認したことがありません。テレビの中だけの妄想だと思っています。

もはや手の届かなくなったところに行かれた安倍総理
お疲れさまでした。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2022/09/30 06:00
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