大東亜会議

 8月10日、チャンネル桜は元陸軍軍人2人を招いて、大東亜戦争をどう考えるかについて、水島さんとの鼎談を放映していました。そのうちの一人、堀江正夫氏は、大正4年生まれ、昭和12年陸軍士官学校卒、3年間、中隊長として中国各地を転進、昭和18年陸軍大学校卒、直ちに第18軍参謀、陸軍少佐として東部ニューギニアに出征したとのことです。
 
 ニューギニア戦線は誠に過酷であったそうです。17年夏から終戦まで3年間、15万人投入、そのうち生きて内地に帰還した人は1万人、身体がぼろぼろになっていましたから、帰還後5年間で5千名が亡くなったそうです。しかし、食料・弾薬の補給がほとんどない中、マッカーサーの主力を2年にわたって食い止めてきたのでした。最後に司令官は、部下の帰還を前に、多くの部下を死なせたことへの責任と部下の黙々とした任務遂行に感謝して自決して果てました。

 その堀江氏は、大東亜戦争をどう見ているかと問われて、次のように答えました。
「大東亜戦争は、疑う事なき自衛の戦争であった。アメリカは日露戦争後、日本のアジアにおける覇権は絶対に認めないという方針の下に、日英同盟を破棄させ、シナ事変では、日本政府の早期戦争終結方針に対して、蒋介石を支援し長期戦を強いてきた。
 大東亜戦争は、やむにやまれず立ち上がった戦争で、結果として負けたが、「大東亜共栄圏の思想」は達成された。アフリカから太平洋までの西洋白人植民地の独立をうながした人類史上、世界史上特筆すべき大きな意義を保つものであった。」

 そして加えます。
「東京裁判史観からの脱却、自主憲法の制定なくしては戦後は終わらない。もう一つ付け加えれば、英霊に対する慰霊と遺骨の収集を全うしなければ、戦後は終わらない。」

 西尾幹二先生は「GHQ焚書図書開封」で、焚書された図書7千数百タイトルについて紹介されていますが、その中には、西洋白人による植民地支配、人種差別などに怒った大部の図書が多数あったことが分かります。オーストラリアの人種差別と原住民絶滅に関しては、「豪州聯邦」、「豪州侵略史」、「動く豪州」、インドについては「印度史の分析」などがありました。日本人は沸々と怒っていたのです。

 それが焚書により記憶もろとも抹殺されました。代わりにGHQにより摺り込まれたのが「日本は侵略戦争をした。悪いことをした。」との自虐史観です。「大東亜共栄圏の思想」などは忘却の彼方に去りました。

 「大東亜共栄圏の思想」を戦争政策として実現を図ったのが、昭和18年11月に東京で開催された大東亜会議です。日本が主催した世界最初のサミットで、かつ史上初めての有色人種が一堂に会した国際会議でした。

130815大東亜会議

 会議には7カ国の代表が、移動手段の困難な中で集まりました。中華民国(汪兆銘政権)、満州国、フィリピン、ビルマ、タイ、自由インドそして日本です。ビルマもベトナムもカンボジャもインドネシアもいません。皆イギリス、フランス、オランダの植民地だったからです。
 
 会議では、「大東亜共栄圏」の思想とも言うべき「大東亜宣言」が採択されました。同宣言では次の6箇条を謳い上げました。
1.東亜史諸国は、協同して東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設する。
2.東亜諸国は、相互に自主独立を尊重し、互いに助け合い、東亜諸国の親睦を確立する。
3.東亜諸国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、東亜諸国それぞれの文化を高め合う。
4.東亜諸国は、互いに緊密に連携することで、それぞれの国家の経済の発展を遂げると共に、東亜諸国の繁栄を推進する。
5.東亜諸国は、世界各国との交流を深め、人種差別を撤廃し、互いによく文化を交流し、進んで資源を開放し、世界の発展に貢献する。

 (NHKは、戦時録音資料として「大東亜共同宣言」のアーカイブスを公開しています。下記をご覧下さい。
  http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001400314_00000)

 現代の価値観では、きれい事を並べただけと取られがちですが、白人による植民地支配、経済的搾取、人種差別が世界の常識であった時代にあって、高らかに人種差別撤廃、各民族の伝統と自主独立の尊重、共存共栄を謳い上げたのでした。

 戦争は政治の一環であり、政治に政治目的があるように、戦争には戦争目的がなければなりません。日本は少なくとも大東亜宣言という形で戦争目的を明確化し、少なくとも東亜各国とそれを共有しました。

 堀江正夫氏は、直接大東亜宣言には触れていませんでしたが、「大東亜共栄圏の思想」として、当時の軍人、堀江氏で言えば将校クラスになりますが、「大東亜宣言」で述べられた戦争目的を明確に持っていたと思われます。

 終戦から10年目の昭和30年(1955年)、アジア・アフリカ29カ国によるバンドン会議が開催されました。日本は招待されましたが、あまり気が進まない参加でした。ところが大歓迎を受けたのでした。
「よく来てくれた」、
「今あるのは日本のお陰だ」、
「日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々は今もイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった」、
「大東亜宣言がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。」、
「アジアの諸民族のために日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜宣言は歴史に輝く。」

 戦争目的は、多くの場合は戦争に勝つことによって達成されます。しかし戦争は政治の一つの手段にすぎませんから、必ずしも勝ったからと言って政治目的が達成されたとは限らず、また負けたからと言って目的が達せられなかったとは決まってはいません。

 確かに日本は戦争に負けました。しかし白人帝国主義の秩序に対してとことんまで戦った結果として、戦後白人帝国主義に虐げられてきた世界中の柀圧迫民族が独立を果たしました。日本は負けはしましたが戦争目的は達成したのです。

以上
(うまし太郎) 
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未分類 | コメント:(3) | トラックバック:(0) | 2013/08/15 10:46
コメント:
No title
 うまし太郎さんのこのコメントは、諸兄諸姉と私の思いを代弁してくださったと思います。
 感謝いたします。
 昨日はほぼ一日靖国神社で過ごしました。
 同じ思いの方々がご参集あるあの空間は、英霊に対する尊崇と共に、日本の未来への希望が横溢していました。
 この簡潔に纏められたコメントを、お許し頂ければ、私のお客先に配信しているメールニュースに転載させていただきたいのですが・・・?
 なお堀江正夫氏は大正14年生まれとありますが明治の誤りではないでしょうか?
No title
ごまめさん

 ご利用頂けるとは光栄です。よろしくお願いいたします。日本人は白人帝国主義に怒っていた→日本は戦争目的を明確にした→戦後バンドン会議で日本は感謝された→結果として戦争目的は達成された、この巨視的な論理の流れは、是非多くの国民の共有するところとなって欲しいものです。

 堀江正夫氏は、大正4年生まれでした。ご指摘有り難うございます。

 明日からの再再度の尖閣活動、武運長久(~_~)
をお祈りいたします。 
No title
 有り難うございます。
 私も馬鹿でした。大正14年生まれが明治の間違いかなんて・・・。明治14年生まれなら今133歳ですものね。そうか大正4年生まれか・・・。
 ますますお元気で戦争の正しい知識を後進に全てお伝え頂きたいものです。

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