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多くの人に惜しまれた安倍総理

留魂碑参拝
先日、大和西大寺の献花台のお手伝いをおこなった帰りに留魂碑へと参拝してきました。
当日、お経を捧げていた時から雨が降り出し、私たちが留魂碑へ誠を捧げたら雨がやんだという不思議な経験をしました。
安倍総理が天から私たちを見ていたのでしょうか?そうだとよいのですけどね。

安倍総理は他人の意見を大切にしてきました。
昭恵夫人「LGBTの友人に会って議論重ねた」
安倍晋三元首相が参院選の応援演説中に銃撃されて死去してから1年を迎えた8日、東京都内で行われた「安倍晋三元首相の志を継承する集い」での昭恵夫人のあいさつの全文は次の通り。

本日は一周忌にあたり、呼びかけ人の皆さまに、このような素晴らしい会を開いていただき本当にありがとうございます。世界に咲き誇れ日本、安倍晋三元総理の志を継承する集い。全国各地から大勢の皆さまにご出席をいただき、そしてこの会を開いていただくにあたり、多くの皆さまにご尽力いただき、この会場のどこかでおそらく主人も喜んで、皆さんに感謝していることと思います。
一周忌にあたり今日は増上寺で法要が行われ、大勢の皆さまに参列をいただきました。
去年の今日のことを思い出すと、本当に朝から涙が止まらなくなって、申し訳ございません。朝、普通に食事を一緒にして、「行ってきます」と出かけて行って、そのあと11時半頃に秘書の人から撃たれたという電話が入り、本当に驚きましたけれども、そのあと、まさか亡くなると思ってなかったので、主人の下着や私の着替えなどを急いで支度をして奈良に向かいました。
奈良は遠かったので、ちょっと準備の時間などもあって、結局着いたのが(午後)5時少し前でした。先生方のお話を伺って、ああ、これはもうダメなんだなというふうに思いましたけど、最後、主人の手を握ると、気のせいかもしれないですけど、握り返してくれたような気がしました。そして、主人のその時の顔は本当に安らかで笑顔でした。
それ以来、たくさんの方々にお話を伺ったり、本や雑誌を読ませていただいたり、今日のお話を伺っても、主人がいかにこの国を愛し、そして多くの方にお支えを頂きながら日本の国のために一生懸命頑張ってきたか、改めて知ることになり、私は素晴らしい人と結婚していたんだなと本当に誇りに思っているところです。
2012(平成24)年に再び(自民党)総裁選挙に出馬をするという時、最初、主人は随分、悩んでいました。私がどうするのと聞くと、どうしようか悩んでいるんだと。
周りからは今回の総裁選挙に出馬をしても、当選しないかもしれない。元総理が総裁選挙に落選するようでは、その後の政治家としての人生が終わってしまうので、今回は見合わせた方がいいんじゃないかということも言われていると。でもその時、もう主人は出馬の覚悟をしていたようで、自分は出たいと。
もし落選したらどうするのと聞いたところ、今回もし、一生懸命頑張ってだめだったら、命を奪われるわけではないので、また次再チャレンジすると、その次ダメでもまた再チャレンジすればいい。自分の経験を生かし何度でも挑戦して、この国のために働きたいということを言ったので、私はそれなら私も一生懸命応援します、その代わり命がけでこの国のために働いてくださいねということを言いました。
主人は命をかけてこの国のために本当に働いて、そして今、魂となって、その魂もまた、この国のためにこれからも皆さんと共に働き続けると思います。
私は数字の中に色々なメッセージをいつも受け取るんですけど、主人は(義)父と同じ67歳で亡くなりました。去年の初めに、今年でオヤジの年を超えられるなと言っていましたが、超えることなく同じ歳で亡くなってしまいました。(義)父は志半ば、本当に総理大臣目前でしたけど、主人は長い間、総理大臣をすることができた。同じ67年でも、主人の67年は本当に豊かなものであったというふうに思っています。
そして主人の後を継いだ吉田真次さん(衆院議員)は38歳、主人が初当選した時も同じ38歳でした。主人の初当選は平成5年、今年は令和5年。そして主人が出馬表明をしたのが、父が亡くなった平成3年の7月8日でした。色々なことが重なって、もちろん色々な感情はありますけど、主人が戻ってくるわけではないので、私はなんとかこの主人の死に意味を持たせたいといろいろと考えているところです。
先日、出雲大社にある方の結婚式で伺いましたけど、その6月14日、母の誕生日だったんですけども、神職の方が9年前の6月14日10時半。ちょうどその結婚式が行われていた時間ですけど、安倍総理が参拝されましたよとおっしゃいました。
去年も奈良を6月に訪問いたしましたけど、今年も6月末に奈良に行かせていただき、橿原神宮に参拝をさせていただきました。そしてその時も橿原神宮の宮司から、総理が来られた時に「真実一路」という書を書いていただきましたといってコピーを頂いたのが6月10日。私の誕生日でした。色々なところで主人はこうしてメッセージをくれてるんだなというふうに思っているところです。
以前、森(喜朗)総理は神の国、日本は神の国と言って問題になりましたけど、私は間違いなく日本は神の国だという風に思っています。
脈々と続いたこの素晴らしい歴史ある日本、本当に主人はこの日本を誇りある国にするために頑張って参りましたので、私もこれから主人の魂と共にこの国のために尽くしていきたいと思っているところですので、みなさんどうぞよろしくお願いをいたします。
そして先ほどお話しもいただきましたように、本当に主人は陰で努力をする人でした。どんな時でも原稿は自分書いて、そしてそれを何度も何度も練習をしておりました。
先ほどお話をいただいて高市(早苗)先生には、お風呂のところまで追いかけてくるという話をいただきましたけど、私はもう何度も聞くと飽きてしまうので、途中で聞かないこともありましたが、今、思えばもっと熱心に聞いてあげればよかったなというふうにも思っていますが、私の話は本当によく聞いてくれる夫でもありました。
皆さんにとりましても優しい主人の思い出がたくさんおありかと思いますけど、最後に私が主人に頼んだのがLGBTの友人に会ってくれということでした。(LGBT理解増進)法案のことで私はLGBTの友人がたくさんいるのでいろいろと批判の声がありました。
主人にそれを伝えて直接話を聞いてもらえないかといったところ、主人はいいよと言って一緒に食事をしてくれました。食事をしながら、飲みながら、彼らの話を熱心に聞いて、一つ一つの課題に対して、法律にしなくても、これはこういう解決方法があるんだと。日本は昔から差別をするような国ではないんだと、議論を重ねて彼らは大変、喜んで納得をしていました。
どんな人ともきちんと話をして、そして解決を見いだしていくという主人の姿に、私は本当に感謝をし、また尊敬をしていました。これから皆さま方、どうか主人がいなくなって悲しいという思いは持たれていると思います。私も本当に悲しいですけども、怒りの感情を持つのではなく、恨みの感情を持つのではなく、どうか主人が亡くなったことで奮起をしていただき、この日本の国のために皆さんの力を合わせていただくことが主人に対する供養だと思いますし、語り継いで頂ければと思いますのでよろしくお願いいたします。本日は本当にありがとうございます。

本当に惜しい人を失くしました。
安倍総理という背骨が亡くなり、右往左往する自民党、国民へ増税という足かせを課して嬉しそうにしているのはどこのドイツでしょうね。

安倍総理は本当に多くの種を撒いております。それにこたえるのがそれを受けた私たちなのでしょう。
元首相暗殺1年 安倍氏の「遺言」に応えよ
安倍晋三元首相がテロリストの凶弾に倒れてから1年となった。
日本と国民のため多くの治績をあげた安倍氏を改めて追悼する。
暴力で命を奪い、言論を封じるテロは民主主義への挑戦だ。最大限の言葉で糾弾する。断じて容認できない。
岸田文雄首相は本紙インタビューで「改めて失ったものは大きい」と語った。首相は特に外交・安全保障分野で、安倍氏が敷いた路線を発展させてきた。
たとえば、反撃能力保有を決めたことは高く評価できる。この安保政策の大転換は、安倍氏が退陣直前の令和2年9月に出した談話に応えたものだ。談話は北朝鮮ミサイルの脅威を前に「迎撃能力を向上させるだけで本当に国民の命と平和な暮らしを守り抜くことができるのか」と提起した。
安倍氏が専制主義中国の台頭を念頭に「自由で開かれたインド太平洋」を唱え、欧米各国を糾合した功績も大きい。首相もこれを推進している。
ただ、安倍氏の「遺言」をしっかりと受け止めきれているかといえば疑問がある。
安倍氏が晩年訴えたのは「台湾有事は日本有事」という危機認識と、米国の核兵器を共同運用する「核共有」の議論だ。後者の問題提起は顧みられておらず、国民を守るのに不可欠な核抑止態勢は不安が残ったままだ。岸田首相は理想としての核軍縮を説くのと同時に、今このときに国民を守る核抑止の充実強化にも動くべきだ。
「自由で開かれたインド太平洋」という新しい戦略概念を自由民主主義諸国に共有させたり、トランプ前米大統領に直言できる関係を築くなど、安倍氏は各国首脳から一目置かれる存在だった。
6月のロシアの民間軍事会社ワグネルの反乱では世界に緊張が走った。首相が安倍氏であれば、欧米の首脳と直接連絡を取り合うなど平和を守るために行動したのではないか。ワグネル反乱をめぐって、岸田首相が率先して動いた形跡はなかった。世界のリーダーと目されるよう努めてほしい。
安倍氏は保守を自任していた。自民党もそうであるべきだが、首相が推進したLGBT法は女性の安全への悪影響が懸念された。国と社会を安定的に発展させる役割を担っていると首相や自民党議員が自覚していれば同法の軽率な成立はなかったはずだ。

安倍総理と岸田への信頼感は段違いであり、人の意見をよく聞きに行っていた安倍総理に比べて調整能力のない岸田は密室政治を行っていると揶揄されるくらいです。
そのような中、私たちが出来る事は何か?それを考えていきたいものです。

日本を守るための防波堤でもあった安倍総理
醜い政治の世界で輝いていた安倍総理の人格をこのように語る人がいます。
日本の防波堤だった一政治家の労苦 阿比留瑠比
安倍晋三元首相は平成十八年九月二十六日に第一次政権を発足させるが、それに先立つ同年八月一日のことである。私は当時、社命で産経新聞の「イザ!」というサイトで記者ブログを書いていて、おそらく自民党総裁選に勝利して誕生するであろう安倍内閣の閣僚人事や党三役人事を予想してみたことがある。
週刊誌「サンデー毎日」と「読売ウイークリー」が同様の予想をしていたので目を通したところ、双方とも安倍氏の盟友である中川昭一元農水相の名前を全く挙げていなかった。それはないよ、中川氏は党政調会長だろうとこう書いたのである。
「安倍氏と中川氏は思想的に同志であり、絶対に起用されると思います」
果たして九月二十五日に党執行部人事が発表されると、やはり政調会長は中川氏だった。ささやかな自慢だが、逆に言えばそれだけまだ安倍氏の人脈も考え方も広く知られていなかったといえる。
この日の朝日新聞朝刊は「政調会長に柳沢(伯夫)氏浮上」と報じていて、共同通信も同日未明配信の記事で「政調会長には柳沢氏の名前も挙がっている」と書いていた。中川氏の閣僚起用をほのめかす社はあったが、発表当日になっても、どの社も中川政調会長を予想していなかった。
拉致問題や慰安婦問題その他での安倍、中川両氏の連携関係をどう見ていたのかと不思議に思うぐらいだった。繰り返すが、安倍氏が何を重視し、何をやりたいのかが分かっていなかったのだろう。
ともあれこの日夜には、安倍氏に一、二週間ぶりに電話をした。一国の首相というこれ以上はない多忙な重職に就くのだから、これまでみたいに気軽に電話をするわけにはいかない。そう考え、少し遠慮していたのだが、さすがに明日の組閣情報ぐらい取材しないと記者失格だと思い直し、携帯を手に取った。
「あ、阿比留さん。中川さんは阿比留さんの薦めもあったから、政調会長にしたからね」
いつもの明るい声が、すぐに返ってきた。私の薦め云々は言葉通りには受け取れないが、国のトップになろうとそれまでと全く変わらないフランクさだった。
後の民主党政権下では、権力を握ったとたんにそれまで敬語で接していた年長の記者にため口を利いたり、威張り散らしたりする議員が見られた。だが、そんな様子は安倍氏には全くなく、「ああ、これが安倍さんだ」と感じた。
そして、閣僚人事についてはあっさりと中身を教えてくれた。もっとも、これについては、自民党記者クラブキャップに報告したものの、その少し前に同期の石橋文登記者から同様の連絡があったとのことで、あまり会社の役には立たなかったが―。

政治の世界は醜い世界
もうじき安倍氏が非業の死を遂げて一年になる。記憶は放っておくと風化していくものだが、安倍氏を取材し続けた二十四年弱にあった出来事、特に安倍氏と会話した場面は今も生々しくよみがえってくる。
第一次安倍政権は結局、社会保険庁の年金記録未統合と紛失、いわゆる「消えた年金」問題で、安倍政権の失策ではないのに強い批判を受けて平成十九年七月の参院選で大敗し、安倍氏が持病を悪化させてわずか一年で退陣した。
安倍氏が突然辞任を表明した九月十二日の深夜、首相官邸の半地下のような場所にある窓が開かない記者クラブにいるところに、安倍氏から電話がかかってきた。辞任記者会見はとうに終わり、それを報じる原稿の送稿とゲラのチェックも済んで呆然としていた時のことだった。
「やれるところまで、できるだけ頑張ろうと思っていたのだけど、それも無理になった。私は求心力を失ってしまった。今まで、応援してくれてありがとう」
声には張りがなく、記者会見での憔悴した様子を思い浮かべた。同時に、こんな時にもわざわざ一記者にまで礼を尽くす安倍氏の律義さが胸に迫った。「どうしてあんなに若く溌剌として、やる気に満ちていた人が、たった一年でここまで追い詰められなくてはならないのか」と不条理を感じた。

厚生労働省のミスである年金問題、それを受けて第一次安倍内閣は終了しました。
そしてそれをバネにして第二次安倍内閣が発足し、長期政権となり日本は飛躍したともいえます。
しかしながら「民主党の悪しき文化」が足かせになりましたね。あげたくもない消費税増税を押し付けた民主党政権
増税をして支持される政党はいません。

でも、安倍総理は多くの人に支持されており、先日も一周忌の献花台に多くの人が訪れました。
銃撃現場献花台に約4千人、安倍氏悼む列絶えず
安倍晋三元首相銃撃事件の発生から8日で丸1年。自民党議員ら有志団体は同日夕、現場の近鉄大和西大寺駅前(奈良市)に設置した献花台に約4千人が参列したと明らかにした。
献花台は午前8時半ごろに受け付けを開始。小雨の降る時間帯があったものの、列が絶えることはなく、穏やかな表情を浮かべる安倍氏の写真の前に花束が次々と積まれていった。
近畿だけでなく愛知や関東から訪れる人もおり、千葉市の大学職員、田中健士(たけし)さん(35)は「社会のために尽力してくれた安倍さんが殺されたことは今でも許せないし、受けたショックも変わらない」と唇をかんだ。
旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題を長年追及してきたジャーナリストの鈴木エイトさんや、日本維新の会の吉村洋文共同代表(大阪府知事)も手を合わせた。
また、有志団体が現場から東に約5キロの「三笠霊苑」(奈良市)に建立した慰霊碑「留魂碑(りゅうこんひ)」にも8日夕までに約千人が訪れ、安倍氏を悼んだという。慰霊碑で手を合わせた、東京都三鷹市の主婦、清水亜矢子さん(60)は「功績の多い政治家だった。日本を見守っていただきたい」と目に涙を浮かべていた。

安倍総理には銃撃を受けても病院から無事退院して、病院食はジューシーだったというコメントが欲しかったですね(´;ω;`)ウゥゥ
留魂碑を参拝してきましたが本当に多くの人に愛された総理大臣でした。

多くの人に惜しまれた安倍総理、本当に多くの人に愛された安倍総理
お疲れさまでした。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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自民党 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2023/07/16 06:00
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