ある小学6年生の作文

次の文章は、愛知県西春日井郡のある小学校6年生の作文です。

***************************
ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、
活躍しなければなりません。
活躍できるようになるためには、練習が必要です。

ぼくは、その練習にはじしんがあります。
ぼくは3歳の時から練習をはじめています。
3歳~7歳までは、
半年位やっていましたが、
3年生のときから今までは、
365日中、360日は
はげしい練習をやっています。
だから、一週間中、友達と遊べる時間は、
5~6時間の間です。

そんなに、練習をやっているんだから、
必ずプロ野球の選手になれると思います。
そして、中学、高校でも活躍して高校を
卒業してからプロに入団するつもりです。
そしてその球団は、中日ドラゴンズか
西武ライオンズが夢です。
ドラフト入団でけいやく金は、一億円以上が目標です。
ぼくが自信があるのは、投手と打げきです。

去年の夏ぼくたちは、全国大会へいきました。
そしてほとんどの投手を見てきましたが、
自分が大会ナンバー1選手とかくしんできるほどです。
打げきでは、県大会、4試合のうちに、
ホームランを3本打ちしました。
そして、全体を通した打りつは、5割8分3りんでした。

このように、自分でもなっとくのいくせいせきでした。
そして、ほくたちは、一年間まけ知らずで、
野球ができました。
だから、このちょうしで、これからもがんばります。

そして、ぼくが一流の選手になって
試合にでれるようになったら、
お世話になった人に、招待券をくばって、
おうえんしてもらうのも夢の1つです。
とにかく一番大きな夢は
プロ野球の選手になることです。

*********************************
 この小学6年生は、その後日本を離れアメリカに渡り、今は39歳になりました。そして8月23日の日本の各新聞の第一面は、彼の偉業を伝えました。

「イチロー、日米通算4,000本安打、スタンドは総立ち、ベンチからも同僚が飛び出し、球場全体が祝福」

イチロー3

 そうですね。ニューヨークヤンキースのイチロー選手の作文でした。先日の4,000本安打、歴代3人目の偉業という大記録達成の記者会見では、次のように語りました。
「誇れることがあるとすると、4,000のヒットを打つには、8,000回以上は悔しい思いをしてきている。それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないか」

 イチロー選手の母校、愛知工業大学名電高校で野球部監督をされていた中村豪氏はかつて、イチロー選手について次のように語っていました。

********************************

 自分は、野球部監督を務めた31年間、部員たちに口酸っぱく言ってきた言葉がある。それは、「やらされている百発より、やる気の一発――」

 いくら指導者が熱を入れても、選手側が「やらされている」という意識でダラダラ練習をしていたのでは何の進歩もない。 やる気の一発は、やらされてすることの百発にも勝る。 そのことを誰に言われずとも実践し、自らの道を開拓していったのが高校時代のイチローだった。

 彼と初めて出会ったのは昭和63年である。「監督さん、すげーのがおるぞ」というОBからの紹介を受けた私の元へ、父親とやってきたその若者は、170センチ、55キロというヒョロヒョロの体格をしていた。こんな体で厳しい練習についてこられるのか、と感じたのが第一印象だった。
 その若者は私の顔を真剣に見つめながら「目標は甲子園出場ではありません。僕をプロ野球選手にしてください」。700人以上いる教え子のうち、14人がプロ入りを果たしたが、自分からそう訴えてきたのは彼一人だけだった。

愛知には三強といわれる野球伝統校があるが、彼が選んだのは当時、新興チームだった我々の愛知名電高である。監督の私が型にはめない指導をすること、3年間寮生活をすることで、自立心を養い、縦社会の厳しさを学ぶことなど、あの父子の熟考を重ねた末の選択であった気がする。

 入部したイチローは、 新人離れしたミートの巧さ、スイングの鋭さを見せた。走らせても速く、投げては130キロ近い球を放る。1年秋にはレギュラーの座を獲得し、2年後にはどんな選手になるだろう、と期待を抱かせた。

 非凡な野球センスを持っていたイチローだが、練習は皆と同じメニューをこなしていた。別段、他の選手に比べて熱心に打ち込んでいる様子もなく、これが天性のセンスというものか、と私は考えていた。

 そんなある日、グラウンドの片隅に幽霊が出るとの噂が流れた。深夜になり私が恐る恐る足を運んでみると、暗がりの中で黙々と素振りに励むイチローの姿があった。結局、人にやらされてすることを好まず、自らが求めて行動する、という意識が抜群に強かったのだろう。

 自分自身との日々の戦いの中で、本人が掴んでいくより他、仕様がないのである。

 人知れず重ね続けた努力の甲斐あって、3年生になったイチローは7割という驚異的な打率を誇る打者に成長し、「センター前ヒットならいつだって打ちますよ」と豪語していた。

 プロ入り後の入団1年目に彼は、首脳陣からバッティングフォームを変えるようにと指示を受けたらしい。「フォームを変えるか、そのまま二軍へ落ちるか」と厳しい選択を迫られた彼は、フォームの修正を拒否し、自ら二軍落ちの道を選ぶ。そしてその苦境の中からあの振り子打法を完成させるのである。

 その後も評論家からは「あんなフォームで打てる訳がない」などと酷評されたが、結局彼は自分の信念を押し通し、球界に数々の金字塔を打ち立てた。その根っこには、人並み外れた彼の頑固さと、野球に対する一徹な姿勢があるのだと思う。

 今年(平成20年)、イチローは大リーグで日米通算3,000本安打という偉業を達成したが、これも彼にとっては単なる通過点にしかすぎないのだと思う。

 いまや世界のスーパースターになったにも関わらず、 彼は毎年正月になると私の元を訪ねてくる。その姿勢はどこまでも謙虚で少しも驕るところがない。私がイチローを育てたと言われることがあるが、私は彼のことをただ見守ったにすぎない。私のほうが逆に、彼に教えられたことばかりである。
                「致知」2008年12月号「致知随想」より

************************************

 日本教育再生機構は、平成24年2月、安倍政権における道徳教育再興を目指す中で、「13歳からの道徳教科書」を出版しました。戦前の「尋常小学修身書」にならい、人としての見習うべき行動や生き方の事例を集めたものです。その中でイチロー選手の作文が採用されました。そして児童・生徒に対しての具体的な指導マニュアル案が提示されました。

 さて、イチロー選手においては、平成20年、日米通算3,000本安打達成したときに、恩師の中村豪氏は「通過点に過ぎない」と言ったように、4,000本達成の現在も、まだまだ通過点であって次の目標をを掲げて欲しいと思います。

 また子供達にとっては、小学生の時から人生に夢を描き目標を掲げてひたすら努力を続け、現実に目標を達成しそれが偉業であっても、偉業達成と言うことに奢ることなく謙虚であるイチロー選手の生き方や人となりは、必ずや大きな手本になるはずです。話が国の道徳教育の再興に飛躍してしまいますが、是非国としても、道徳教育の進め方の中で、イチロー選手に見たような先人の偉業を、子供達にきちんと学ばせ考えさせる道徳教育の再興を進めて欲しいと思います。

以上

(うまし太郎)
スポンサーサイト
未分類 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/08/24 16:22
コメント:

管理者のみに表示