『南京攻略戦の大隊指揮官真相を語る ― 謹(つつし)んで英霊に捧(ささ)ぐ― 』

あるブログからの転載です。

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「南京大虐殺」はなかった

私は評論家でも歴史学者でもございませんし、もちろん右翼というような者でもありません。
ただ南京攻略に参加した1人の軍人です。

いわゆる「南京大虐殺」があったと言われているその時、その場所にいて、
当時の南京およびその付近の状況はこの目で見て、この身体で体験している者であります。

私が今からお話します事は、いわゆる「南京大虐殺」と言われている議論が、
本当はどういうものであるかという事を知って頂き理解して頂いたならば、
1人でも多くの人に真相を語り伝えて世間の誤った考えを正して頂きたいと考えております。
南京日本兵の証言 パート1
実際の当時の南京の映像を用いて大虐殺はなかったことを証言しています。
もう大分前、趣味で史跡を探索中と仰るお爺さんと調布の多摩川沿いで
話をする機会があった。調布飛行場の話から戦時中の話になり、この方が南京郊外の航空隊に整備兵として勤務されていたと知る。
私はかねて疑念の南京虐殺の話をふってみたところ、お爺さんキョトンとして、「どこの話?南京じゃないでしょ」と仰られた。
そして「あんたがた若い人達はモウバイ(と聞き取れた)って知らないだろうなぁ」と言うので、「なんですか?」と私。

「客の選り好みをしないように目を潰された売春婦だよ。」
「南京には歳とって商売できなくなったモウバイがいっぱい居てね、それが道端で乞食をしてるんだ」
「日本の軍隊が入城してね、司令官がこれはいかんと施設を作り彼女達を
収容して面倒をみたの。そして、そのような売春婦の禁止令を出したんだよ。
大陸の習慣だったんだろうが哀れでね。」
世に流布される南京虐殺とは真逆な話を時にニコニコとして淡々と話される。
日本人の感性から妙にすんなりと納得してしまう話だった。
むしろこれが南京の普通の話なんだと無理なく聞けた。
「あと衛生班を作ってね、不衛生で病気の人達なんかの簡単な治療もして
皆から喜ばれたし、いろんな改革もしたんだよ」
整備兵という環境がそうなのか、およそ悲惨な話など出てこない。
若かった爺さんが外出で訪れた南京市内の話は妙に開放感ある明るい思い出話だった。
「あんな事してたらね、日本は戦争には勝てっこないよ」とお爺さん。
「えっ?」「日本軍はね、市街地の軍事拠点を爆撃する場合、
前もって飛行機からビラを撒くんだ」
「何日に爆撃するから一般人は避難しろってビラをね」
「あんた一般人て言たってね、兵隊も逃げるよ。だからぜんぜん効果ないんだなハハハ。」
後に知った事だが戦争協定を真面目に守ろうとした日本人らしい実話だったのだなと思い返す。
「航空隊が出撃するよね、すると必ず未帰還機が出るの」
「その日の夕飯は出撃前の全員分の食事を出すのが慣わしでね。
未帰還の搭乗員の分だけ席が空いて余るの」
「それをね基地の近所の民家の人たちに配るんだけど皆よろこんでね」
「戦争が終わって引き上げる時ね、皆がまた来てねと言って手を振って別れてきたんだよ」

また来てね・・・か。
そんな交流が普通の日本人の感覚だろうなと、すんなりと得心した話だった。

そんな話を聞いて未だ南京大虐殺があったと思っている人は真実に目を背けないでください。
戦いはありました、それに伴い犠牲は付き物です。しかし虐殺などなかったのです。
きちんと理解しましょう。今後の日本がきちんと立ち向かえるようになるために
きちんと伝えましょう。私たちが日本に対して誇りを持てるように
(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2013/08/28 06:00
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