歴思の旅と教育再生

去る6月24日、美術史の泰斗、東北大学名誉教授の田中英道先生による「歴思の旅」に参加しました。日本の文化・歴史を具体的に現物に触れて、日本の良さを再認識しようというもので、主催は教育再生機構です。「歴思」とは、歴史を学ぶにも思いが必要の意とのことです。今回13回目になります。毎回、先生のお話のあと、博物館、美術館、神社やお寺などを訪問し、先生の解説付きで具体的に現物を鑑賞するというものです。ちなみに田中先生は、新しい歴史教科書をつくる会の元会長、昨年は「戦後日本を狂わせたOSS日本計画」を出版されています。

今回は武蔵野の古刹、調布市の深大寺に行きました。深大寺には、白鳳時代の金銅製の釈迦如来像があります。ちょうど、安置されている堂内が公開されているのに合わせたものでした。
     http://www.jindaiji.or.jp/

まず近所の福祉センターを借りて先生の講義がありました。その後、深大寺公園の森の中を散策しながら深大寺に向かい、お寺ではお坊さんから像の説明を受けたのですが、先生が講義の中で、戦後教育の問題をお話しされた通りの問題を、そのお坊さんが具体的に示してくれたのでした。

田中先生は、戦後の日教組史観による歴史教育は、国を忘れ、郷土を忘れ、美しく語ることを忘れてしまった、そして過去との断絶を起こし、自虐史観で祖国を貶めていきた、子供達に対して、日本の誇りある歴史を取り戻さなければならない、として次のように話されました。

●歴史の連続性
・ローマには、ローマ時代の遺跡が残っているが、現代のローマ人とは繋がりがない。ギリシャも同じだ。孔子・孟子のシナの遺産も、現代のシナ人とは関係がない。皆民族が変わってしまっている。
・世界で日本だけが、考古学の時代から現代に至るまで、一度も侵略されることがなく、同じ民族が続いている。この日本列島から人が動かなかったのが日本文明だ。この特殊性は十分認識しなければならない。

●文化の質の高さ
・世界三大芸術都市を挙げるとすれば、フィレンツェ、アテネ、そして奈良である。日本の文化の質の高さは世界的だ。
・帝国主義の時代に英仏は、エジプト、ギリシャから、歴史的遺物を根こそぎ自国へ持ち帰った。それが大英博物館、ルーブル美術館に集積されてあり、それによりエジプト文明、ギリシャ文明の全体像を世界は知ることが出来た。しかし日本の場合は、幸いそのようなことはなかったが、そのため、日本文明は、エジプト、ギリシャあるいは西欧ルネッサンスに匹敵するものであることを、世界は理解していない。
・例えば、天平時代の仏師で、東大寺とその周辺に多数の仏像を残した国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)は、イタリア・ルネッサンスの巨匠ミケランジェロに勝るとも劣らないのである。ミケランジェロのダビテ像を「5つ星」としたら、日本には「5つ星」が多数あるのだ。

●マルクス主義史観を克服せよ
・マルクスは、人類の歴史を発展段階説で捉え、過去を否定し、発展の先に共産主義があるとした。GHQはそれを継承し、日教組を通じて日本に強いた。学習指導要領はその影響を受け、歴史を古代→中世→近世→近代としている。そこには、古代は遅れた時代、近代以前は遅れたものとして否定し、未来の革命に期待しようとの考えがある。日本人はすっかりそれに乗せられてしまった。
・万葉集を見れば、貴貧を問わず「個人」があらゆるジャンルの歌を詠んでいる。個人が生きている。17条憲法は民主主義の思想だ。天平文化は、イタリアのルネッサンスを思わせる。古代が遅れた社会などとは、日本では当てはまらない。日本の歴史は、マルクス主義史観では捉えることが出来ない。
・しかし日教組による自虐史観教育により、日本はダメな国、西欧に学べどころか、日本文化は、シナ、朝鮮の亜流だと洗脳されたままでいる。

●歴史における文化史
・日本の歴史は、政治史、経済史だけでは分からない。天皇を中心とした文化史を重視していかなければならない。日本の歴史の展開は、文化によって果たされてきた面が大きい。西欧やシナは、それは戦争であった。
・日本の歴史には「美」がある。国体の美しさがある。その頂点におわす方(天皇)を決して犯すことはない。それが美術となって現れてくる。四天王、仁王などがそうだ。
・子供達に誇りある日本を教えていかなければならない。それには、これは守らなければならないという文化観を持たせること、そのためには文化史を学ぶこと、具体的には、「もの」(文化遺産)を見ること、「もの」を見て歴史を実感することが大事だ。
・東京及び近辺にも多数、文化遺産がある。それを見よう。

次は深大寺と白鳳時代の仏像について次のようにお話しされました。
・深大寺周辺には、縄文遺跡が多数ある。
・行田市の埼玉(さきたま)古墳群からは、21代雄略天皇(5世紀)の統治を思わせる銘文が刻まれた鉄剣(国宝)が発見されており、早くから大和朝廷の勢力がこの地に及んでいたことが分かる。ちなみに古墳は全国で20万~30万ある。東京にも200~400ある。形式は似ている、と言うことは、文化的には早い時期から統一されていたようだ。
・深大寺は733年開山。8世紀の寺が東京にあることを人々は忘れてしまっている。
・同じ時期に、近在の国分寺には、武蔵の国の国府がおかれた。府中には武蔵の国の総社と言われる大國魂神社がある。第12代景行天皇(1世紀)の時代の創建と伝えられる。
・深大寺の釈迦如来像は、金銅仏で、白鳳時代(7世紀)の作と伝えられる。顔が明るく、時代が希望に満ちていたと思わせる。

深大寺白鳳仏

・このように武蔵野台地には、古くから人が住み、大和朝廷の支配と共に文化が滲透していた。
・白鳳時代とは、大化の改新(645年)から710年頃までの天智天皇、天武天皇、聖武天皇の時代であるが、万葉集、懐風藻(最古の日本漢詩集)、古事記、日本書紀、全国各地の風土記などの編纂がなされた。優れた天皇の元で優れた文化が生まれた。
・7世紀、8世紀の日本文化は、世界で最も輝いていた。

そして講義が終わって深大寺に伺い、釈迦如来像を拝謁しました。普段は、安置する釈迦堂の外から、ガラス窓を通して拝むのですが、今回は堂の中に入り、像を目の前にしてお坊さんに解説していただきました。そのお話がおかしかったのです。
「この釈迦如来像は、当時、文化的に先進国であった朝鮮で作られ、日本にもたらされた、その後朝鮮から仏師が多数渡来し、その指導の元で日本でもこのような仏像が作れるようになった、ちなみに「帰化人」は差別語であり、正しくは「渡来人」と言わなければならない。」
などと話しを続けるのです。

しばらく黙って聞いていた田中先生はたまりかねて、「朝鮮で作られたというのは間違いです。現代の朝鮮のどこにも、このような仏像の痕跡はありません。」と指摘されました。ちょっと気まずい雰囲気になりましたが、お坊さんは特に反論はなく、話を続けたのでした。

あとで田中先生が言われるのには、「多分確信犯ではないと思うが、これが日教組教育の結果だ、日本はダメな国だ、遅れていた国だった、シナ、朝鮮は先進国だった、などと教育されていたので、一寸した知識で疑いも持たなかったのであろう。」とのことでした。

深大寺は蕎麦で有名です。山門前には、鬱蒼とした木立の下に風情のある茶店が並んでいます。その一軒に入り、それにしても仏様の横顔はまた一層よかった、と思いながら、蕎麦をいただいて帰路につきました。

(うまし太郎)
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未分類 | コメント:(0) | トラックバック:(1) | 2012/06/28 18:42
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