鎮魂の祈り 3月11日

先日、3月11日は政府主催の『東日本大震災3周年追悼式』が開催されました。
生憎、風邪をひいていたので参加は見合わせましたが、多くの方々は陛下と主に追悼の誠をささげられた事と思います。
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安倍総理の式辞になります。
 本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、東日本大震災三周年追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
 かけがえのない多くの命が失われ、東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、三年の歳月が経ちました。
 この震災により最愛の御親族を失われた御遺族の方々の深い悲しみに思いを致すとき、今なお悲痛の思いが胸に迫ってまいります。ここに改めて、衷心より哀悼の意を捧げます。また、今なお行方の分からない方々の御家族を始め、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 被災地に足を運ぶ度、営農の再開や水揚げに湧く漁港、災害公営住宅に入居された御家族のお姿など、復興が一歩一歩前に進んでいることを実感いたします。しかしながら、今なお、多くの方々が不自由な生活を送られています。原発事故のためにいまだ故郷に戻れない方々も数多くおられます。
 復興を更に加速し、被災者の方々が一日も早く普通の生活に戻られるようにすることが、天国で私たちを見守っている犠牲者の御霊に報いる途です。同時に、大震災の試練から我々が得た貴重な教訓をしっかりと胸に刻み、将来の様々な災害から、国民の生命、身体、財産を守り抜くため、倦まずたゆまず、災害に強い強靭な国づくりを進めていくことをここに固くお誓いいたします。
 復旧、復興の前進も、地元の方々の御努力、関係機関の尽力はもちろんのこと、全国各地から多くの支援に支えられてのものです。この震災では、本日ここに御列席の世界各国・各地域の皆様からも、多くの、温かく、心強い御支援を頂きました。改めて、感謝の意を申し上げたいと存じます。
 我が国の先人たちは、幾多の困難を克服し、その度に、より逞しく立ち上がってきました。今日を生きる私たちも、それに倣い、手を携えて、前を向いて歩んでいくことを改めてお誓いいたします。  御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族の皆様の御平安を心から祈念し、私の式辞といたします。

平成26年3月11日
内閣総理大臣 安倍 晋三

安倍総理となりようやく一年、やっと一年です。まだまだようやく原発の再稼働も見えてきました。
まだまだやることはありますが、此処は踏ん張って頑張ってください。

天皇陛下の御言葉になります。
本日、東日本大震災から三周年を迎え、ここに一同とともに震災によって失われた人々とその遺族に対し改めて、深く哀悼の意を表します。
三年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波は二万人を超す死者、行方不明者を生じました。今なお、多くの被災者が被災地で、また、避難先で困難な暮らしを続けています。
さらに、この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。いまだに、自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと、心が痛みます。
この三年間、被災地においては人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続き、様々な形で尽力していることを心強く思っています。
被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか、希望を失うことなく、これからを過ごしていかれるよう、永きにわたって国民皆が心をひとつにして寄り添っていくことが大切と思います。そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して、進んでいくことを期待しています。被災地に一日も早く、安らかな日々が戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉と致します。


天皇陛下の御言葉に続き、伊吹文明衆院議長、竹崎博允最高裁長官、岩手・宮城・福島の三県の遺族代表が追悼の誠をささげられたそうです。
全篇はこちらになります。
東日本大震災三周年追悼式(全編)
マスコミの加工を施さない情報が私たち日本人には必要です。

さて、震災関連で様々な業界で変化がありました。
建築関係ではそれまでの不況からベテランの数が減っていたこと及び業者が減っていたことから悪徳業者が数多く出入りし、建築関係の業界に悪評が流れてしまう結果となりました。『コンクリートから人へ』というスローガンの元、建築関係の予算を削ってきた悪影響ともいえます。それまでの癒着が良いというわけではありませんが、急激な変化が後々に悪影響をもたらしたということですね。現在でも雪害などに対する重機の数不足などの弊害をもたらしていますね。
原子力関連では原子力へ進む技術者の数が大幅に減ったとのことです。このような時こそきちんとした知識を持った人間が足を進まなければならないのに減ってしまっては元も子もありません。
一次産業もやっと戻ってきたかな?といったくらいでこれからまだまだかかることでしょう。

そして、今回の震災を予知できなかった彼らはもう一度立ち上がろうとしています。
東日本大震災3年 防災の使命 地震学誓い 敗北から再起「予知諦めない」
 東日本大震災の巨大地震を予測できなかった日本の地震学。「敗北」を認め、身の丈に合った姿を社会に伝えようと、もがいてきた。減災に役立つ研究が求められる中で、地震学者は再起への道を歩み始めている。(黒田悠希)

 ◆残った「看板」
 「名称は変更しない」。想定外だった大震災の反省に立ち、名称の見直しを検討していた地震予知連絡会は2月中旬、予知の看板を下ろさないことを決めた。
 マグニチュード(M)9の巨大地震は日本では起きないというのが地震学者の常識だった。東北の太平洋沖に巨大なエネルギーが潜んでいたことを誰も見抜けず、未曽有の津波被害に言葉を失った。地殻変動のデータ分析では、東海地震の予知の根拠である「前兆滑り」という現象を検出できなかった。長期的な発生予測に失敗し、直前予知も困難という「完敗」だった。
 国は昨年5月、東海地震を含む南海トラフの地震について、予知は困難とする報告書を公表。来年度から5年間の地震研究計画の名称でも、昭和40年から続いていた「予知」の文字が消えた。できないことを、ありのままに伝える“等身大”の姿勢が強まった。しかし、地震学者らで構成する予知連は、別の道を選んだ。「予知に挑む姿勢まで放棄するわけにはいかない」。会長の平原和朗京都大教授(61)は「予知を諦めてはいけない」と強調する。
 学術的な情報交換に終始し、「学者のサロン」と揶揄(やゆ)されることもある予知連。存在意義を問う声が内部から噴出した。「活動内容を変更すべきだ」「このまま何もしないのか」。議論の末、地殻変動の監視により地震を予測する実験を試行することを決めた。

 ◆胸潰れる思い
 「地震学の敗北」。大震災をこう自己批判したのは東北大の松沢暢(とおる)教授(55)だ。本震の2日前、三陸沖でM7・3の前震が起きたとき「強い地震の危険性は薄れた」との談話が地元紙に載った。被災地の学者として、胸の潰れる思いを今も抱えている。
 次代を担う若手は、崩壊した地震学をどう立て直そうとしているのか。
 東大地震研究所の加藤愛太郎准教授(39)は、松沢教授が見誤った前震活動を徹底的に調べ、巨大地震の直前に「ゆっくり滑り」と呼ばれる現象が起きていたことを突き止めた。
 南海トラフ地震を長期的に予測する手段として、国が期待する現象だ。加藤氏は「地震の性質に関する知識を着実に積み上げ、予測につなげたい」と語る。
 上層大気の電離圏で地震直前に異常が発生するとして、「空からの予知」に挑むのは東京学芸大の鴨川仁(まさし)助教(42)。予測精度など課題は多いが、「いま生きている人々が利用できるように」と意気込む。
 関東大震災後の大正14年に設立され、日本の地震学を主導してきた東大地震研究所。東京都文京区の施設内には、寺田寅彦による理念が掲げられている。
 「永遠の使命は地震に関する科学的研究と災害の予防、軽減方策の探究である」。地震学は他の科学研究と違って、防災という重い十字架を常に背負う。
 この3年間、多くの学者が巨大地震の研究に心血を注いできたが、その全容は解明されていない。予知や被害想定の在り方も、まだ議論の途上にある。
 「次の地震も、われわれの想像を超えるに違いない。目指す山の頂上は雲に隠れて見えない。頂上など存在しないかもしれない。それでも登り続けるのが地震学の使命だ」  東大地震研の古村孝志教授(50)は自戒を込めて、こう語った。

ゴールが見えないことかもしれませんが、前に進むことを忘れてはなりません。
そのことを思い起こさせる言葉でした。
私は半導体関連の技術者ですので原子力関係には疎いですが、失敗を積み重ねていつかは成功すると信じております。
是非、勇気をもって頑張っていただきたいと思います。
皆が精いっぱいやれば何とかなる!
この精神で続いてきたのだと思います。
これからも続けていきたいものです。
日本の歴史の一ページとして
(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2014/03/16 06:00
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