追悼式反対のデモ行進があったとさ

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いい加減に人の神経を逆なでさせる事はやめてほしいのですが、

3・11天皇出席の震災3周年追悼式典ー全国一斉黙祷反対!集会・デモ

◆日時:3月11日(火)11時45分開場 12時開始 集会後デモへ
◆場所:中央区築地社会教育会館 第一洋室 (東京都中央区築地4丁目15番1号)
◆基調報告
◆発言・「原発と天皇制」
     天野恵一さん(反天皇制運動連絡会)
   ・「東電前で始めた闘い・3年間から明日へ」
     園良太さん(東電前アクション)
   ・「原発体制は植民地主義」
     崔勝久さん(NNAA(No Nukes Asia Actions)/原発メーカー訴訟の会)
◆アピール:全国の仲間から
◆資料代 500円
*集会を妨害する方、趣旨に賛同しない方の入場はお断りします。

3・11行動実行委員会
呼びかけ:反戦反天皇制労働者ネットワーク/ 連絡先・fax03(3446)9058/メールアドレスhanten_net@yahoo.co.jp
【賛同団体】(賛同日時順/3月2日現在)*団体・個人の賛同をお願いします。公表 可  不可
▼フリーター全般労働組合▼全関東単一労働組合▼千葉高教組市川支部「ひょうたん島研究会▼反天皇制運動連絡会▼ストップ改憲全国ネット▼関西単一労働組合▼立川自衛隊監視テント村▼労働運動活動者評議会▼参戦と天皇制に反対する連続行動▼労働者共闘▼東電前アクション!

★今年も政府は3月11日に「東日本大震災追悼式」の開催を決めました。天皇皇后出席のもと、実行委員長である首相や政府・財界、各国、遺族の代表らが参加し、「国歌斉唱」に始まり、午後2時46分の一斉黙祷と安倍の式辞や「天皇のおことば」を中心に、「慰霊」と「復興への誓い」をするのだといいます。
 福島では、昨年末、県内の市町村が震災や原発事故による避難などが要因の「震災関連死」と認定した死者数がついに1605人となり、地震や津波での死者数を上回りました。安倍政権のことですから、遺族、被害者の今も続く苦しみを放置したまま、復興に向けて「国民こぞってのオリンピックの成功」をうたいあげ、そのための「再稼働」さえ“誓い”かねません。また、昨年は官公庁や学校、企業などで、天皇とともにする黙祷の強制が目立ちました。校長が突然「黙祷」と叫んで生徒に黙祷を強いたり、わざわざ電車を止めて乗客ともども黙祷を強制した電鉄会社さえありました。今年も間もなく「弔旗掲揚、一斉黙祷」の指示がだされることでしょう。

★原発事故は明白な国家犯罪です。まず国家・責任企業による謝罪と完全な賠償、事故収束―全原発・関連施設の閉鎖によって責任を果たすべきです。それを、被害者への謝罪や反省ぬきに天皇のもとでの一斉黙祷を強いるのは、ひとえに「国難」を乗り越えて「原子力立国の復興」を誓い合うためにほかなりません。天皇のもとでの国民こぞっての「追悼」によって、被害者の憤怒を鎮め、「遺された者」には被ばくや被害に甘んじて原発推進に挺身せよというのです。

★原発事故の被害者を死に追いやり、国益のために今も多くの労働者や住民に被ばくを強いる天皇制国家、独占資本との対決ぬきに反原発闘争の前進はありえません。愛国心、ナショナリズム、資本主義賛美に貫かれた「反原発」運動とは、安倍の言う「美しい国作り」とイデオロギーにおいて寸分違いません。
 原発推進、原発事故責任放棄のための式典、「一斉黙祷・弔旗掲揚」の強制に、職場や学校現場、地域から反対のとりくみをつよめましょう。天皇とともにする「一斉黙祷」を拒否し、天皇を頂点とする日本国家・独占資本、さらには内外の巨大な原発推進勢力と対決しうる反核・反原発闘争への飛躍をかけて「3・11追悼式典」反対を闘いぬきましょう。
 3・11集会・デモへの参加・賛同をよびかけます。
                        2014年2月19日

追悼の誠をささげることが出来ない基地外たちはさっさとどこかに行ってしまえばよいと思います。
陛下が嫌いというのであれば陛下のいない国(中共や韓国)に行けばいいのです。
そこで訴えればいいのです。
わざわざ追悼している際に邪魔をしないでほしいところです。
原発反対派結構です。訴えたければ訴えればよいのです。しかし根拠とこれからを示してください。
それがなき場合には無視されることでしょう。
最近では反原発を言っているテレビ局がバッシングを受けていますね。偏った情報しか流さない報道局は必要ない、これが国民の世論です。
やつらのお仲間である韓国も訳の分からんことを言っています。
東日本大地震復興、陰の功労者
これまで生きてきて、これほどやきもきさせられたことはなかった。2011年3月12日だった。東日本大地震が起きた翌日、ソウルから日本の福島に直行した。同日正午頃に福島空港に到着したが、東京支社では電話が立て続けに鳴り響いた。「福島原発で事故が起きた。早く福島から逃げろ」。
タクシーに乗って福島市から北に約80キロ離れた仙台に向かった。しかし、避難民が集中したため道路が渋滞した。普段なら2時間で行ける距離が12時間かかった。唇が乾いた。あの時のストレスで寿命が1、2年は短くなっただろう。
「見えない」放射能の恐怖がどれほど人を不安にするか全身で経験した。それゆえ死地をわざわざ訪れる人々の勇気がどれほどすごいかよく分かる。
在日本大韓民国民団(民団)の朴相泓(パク・サンホン)事務副総長(45)も、事故が起こった数日後、東京から福島に向かった。民団本部として同胞の安全を把握し、孤立した同胞に食料を渡すためだった。朴氏は当時結婚4年目だった。夫人は涙を流して引き止めた。「生きている人は福島を離れるのになぜ自ら行くのか」と。
福島民団のチョン・サンムン事務局長(68)は事故発生から2ヵ月間、事務所で寝泊りした。全国の民団から送られてきた救護品を福島にいる同胞に渡し、保険代理業務も引き受けた。チョン氏も放射能の恐怖はあった。「家族と避難すべきではないか」という考えが1日数十回頭に浮かんだ。家族はむしろ毅然としていた。電話で「お母さん、大丈夫ですか」と言うと、「私の心配はせず同胞の世話をしなさい」という答えが返ってきた。チョン氏は現場に残った。
民団は通行可能な西部の道路網を利用して山形県山形市に救護品を集めた。しかし、物品を被害地に届けることができなかった。東日本地域は道路が流され、「ガソリン」が不足していた。身動きが取れない状態だった時、仙台地域で中古車店を経営する同胞が動いてくれた。彼は、中古車に入っているすべてのガソリンを抜いて民団の車に提供した。彼の貢献がなかったなら、カップラーメンとミネラルウォーターを現地の同胞に届けることはできなかっただろう。
物流がマヒし、福島に到着して2日間、食事をとることもできなかった。地震による津波の被害が大きかった宮城県名取市の海岸沿いの町を取材していた時、「がんばってください」という声が聞こえた。日本人ボランティアが東京や新潟から材料を空輸してご飯とスープを現地で配布した。一見被災者と見分けがつかない記者も列に並んだ。2日ぶりに温かいスープが胃に入った感じは今でも忘れることができない。周りを見ると、涙を流してご飯を食べる人もいた。何度も「ありがとう」と言っていた。
明日で東日本大地震が起きて3年になる。死者と行方不明者は約1万8000人、避難民は約27万人だ。在日同胞の中でも約150世帯が生活基盤を失って避難生活をしている。津波の後、毎年1回、これまで3回に渡って現地を見て回った。その度に陰の功労者の話を聞いた。彼らの努力のおかげで索漠とした被災地は心が温まったことだろう。彼らの努力が生活の活力になり、生き残ったすべての人々に「希望」の日が早く訪れることを願う。


外から取材に来ている記者が自ら食料を持ち込まずに被災者の食料を横取りですね。
まあ、いいや
福島の放射能は怖くないのか?と韓国人や支那人からよく聞かれます。
何が怖いのでしょうか?きちんと管理されている放射能が怖いというのであれば管理している電気も怖いものになりますね。どちらも目には見えないのですから。
逆に管理できているから安全という考えが思い浮かばないのでしょうか?世界で一番厳しい基準で策定された福島の汚染水と呼ばれているもの、ではその汚染濃度をいつも明らかにしないのはなぜでしょうか?それで健康被害が起きているのでしょうか?データをきちんと並べて議論すべきものがデータを開示しないままウソとともに流している報道局の罪は大きいと考えます。

ま、置いて於きますか
この韓国人の記者は何しに行ったのでしょうね。
在日韓国人とはいえ日本に住んでいるのですから日本の保護は受けていたはずです。
孤立はしていないはずです。それこそ望んでいない限りは孤立させなかったはずです。
もし孤立しているのであればそれは犯罪を犯して皆から拒絶されただけでしょう。
もしそうだとすれば自業自得ですね。
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昔の曲ですが、この曲でも送っておきます。
フラッシュ時代の名曲『ウラナリマンセー』

(ブラッキー)

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| コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2014/03/17 06:00
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