出雲の八百万の神々

最近、殺伐として来ております。
韓国出張からはいつ帰れるのでしょうか?
不安が尽きません。

なので少し気分転換に出雲の神々へ参拝に伺った話をしましょうか?
有名なのは高天原を追放された須佐之男命(スサノヲノミコト)が、大蛇を退治して姫神を助ける八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説等があります。
また大国主命と言えば天孫降臨でも有名ですね。
このように出雲の神話は古事記に書かれているように素戔嗚や大国主命の話が多くあります。。

そのような歴字深い場所にある神社とはどのような物なのでしょうか?
まずは有名なところから行きますね。
出雲大社

ご存知の通り出雲大社です。
出雲の国は、神の国、神話の国として知られています。その“出雲の国”には、今もなお古の神社がいたるところにあります。そして、その中心が「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」をおまつりする出雲大社(いづもおおやしろ)です。
大国主大神は、「だいこくさま」と申して慕われている神さまです。だいこくさまは、「天の下造らしし大神」とも申しますように、私達の遠い遠い親達と喜びも悲しみも共にせられて、国土を開拓され、国づくり、村づくりに御苦心になり、農耕・漁業をすすめ、殖産の法をお教えになり、人々の生活の基礎を固めて下さいました。また、医薬の道をお始めになって、今もなお人々の病苦をお救いになる等、慈愛ある御心を寄せて下さったのです。だいこくさまは、救いの親神さまであると共に、すべてのものが「おのずから」の姿にあるように護って下さる親神です。
大国主大神はその霊力によって、住みよい日本の国土を築かれました。それはすべてのものが豊かに成長する国土で、「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれました。
『日本書紀』の記録によると、大国主大神はこの国づくりの大業が完成すると、日本民族の大親神である天照大御神に、その豊葦原の瑞穂国をお譲りされたとあります。天照大御神は大国主大神の私心のない「国譲り」にいたく感激され、大国主大神のために天日隅宮(あめのひすみのみや)をおつくりになり、第二子である天穂日命を大国主大神に仕えさせられました。
出雲大社 拝殿

この天日隅宮が今の出雲大社であり、天穂日命の子孫は代々「出雲國造」と称し、出雲大社宮司の職に就いています。現在は第八十四代出雲国造千家尊祐宮司がその神統と道統を受け継がれています。

さて、そのほかにもどのような神社が出雲の国にあるのでしょうか?
たとえばこちらの神社
松江護国神社

護国神社です。
朝一番に参拝させていただきました。
 松江護国神社は、明治戊辰戦争から第二次世界大戦までの数々の戦争において、尊い命をささげた出雲・隠岐出身の軍人2万3000柱をお祀りしている神社です。
 1938年(昭和13年)10月15日に松江招魂社として創建され、1939年(昭和14年)4月1日に松江護国神社と改称されました。
 終戦時の混乱期に一時期「島根神社」と呼ばれていましたが、1953年(昭和28年)に再び「松江護国神社」と改称され、今日に至っています。
日本のために戦ってくださった英霊に慰霊の誠を捧げたいと思います。

少し離れており、出雲ではなく松江方面ではありますがこちらにも二つほど有名な神社が建立されております。
八重垣神社
八重が気神社

「早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい」という出雲の古い民謡の一節からもわかるとおり、八重垣神社は出雲の縁結びの大神として知られています。
八岐大蛇退治で名高い素盞嗚尊と、国の乙女の花と歌われた稲田姫命の御夫婦が主祭神です。
その御祭神を始め六神像が描かれた壁画が元々御本殿にあり、古色蒼然雄渾な筆力は神社建築史上類例のない壁画と推賞され、国家より重要文化財の指定を受け、現在は安全な宝物収蔵庫で公開し専門家巡観者の絶賛の的となっている。
 また境内には椿の木が多く、その中でも三本ほど夫婦椿と呼んでいる木は、地面から二本の木が出て地上で一本になっているので、一身同体、愛の象徴として神聖視されている。
年により二葉の葉が現れることもあり、御神徳の表れと大切にされている。 御本殿後方の奥の院佐久佐女の森は、稲田姫命が八岐大蛇の難を避けられた時の中心地で、日々水を召し上がり姿を写された鏡の池がある。縁結び、心願成就占いの池として占い用紙に硬貨を乗せて浮かべ、縁の遅早を占う多くの方の姿が毎日見受けられます。

【祭神】
素盞嗚尊(すさのをのみこと)神話八岐大蛇退治の主人公。稲田姫命と結婚され縁結びの道を開く。
稲田姫命(いなたひめのみこと)八岐大蛇の難を避けるため当社地に御避難され、天つ神である素盞嗚尊と結婚され縁結びの道を開く。

という事で最近はやりの縁結びの神様です。おかげでバスが駐車できる場所があり、女性の参拝者が多数お目見えされるところでもあります。

最後に神魂神社を紹介します。神魂神社です。
神魂神社

こちらの主祭神はイザナミノミコト(伊弉冉尊)です。
合祀としてイザナギノミコト(伊弉諾尊)となっております。

この神社を造ったのはアメノホヒモミコト(天穂日命)とされております。
オオクニヌシノミコトを出雲大社祭祀するように命じられたのはあのアメノホヒノミコトである。
アマテラスオオミカミの第二子とされるこの神は、この地に天降ると、出雲の守護神としてイザナミノミコトを祀った。それがこの神魂神社の始まりであるという。
アメノホヒノミコトは出雲大社の最高の神官である「出雲国造」の祖先である。
この神官の家系は、出雲国造として25代までこの神魂神社の祭主を勤めていたが、西65kmの杵築の地に出雲大社が創建されると、祭主として大社に移住した。
しかし、その後も「神火相続式」「古伝新嘗祭」奉仕のためこの神社に参向するという。
アメノホヒノミコト創建に関わる神社であるから、由緒ある格式の高い神社であることは容易に想像できる。
ところが、何故か『出雲風土記』にも『延喜式神名帳』にも神魂神社の記載がない。
この謎を解く鍵は隣接する出雲国造家の屋敷跡だという説がある。
出雲国造家とのつながりが深く、神魂神社は私的な斎場だったと推測されている。
棟札の写しによって、現在の本殿は室町時代初期の天正11年(1583年)に再建されたと考えられている。
現存する最古の大社造りとして、昭和27年(1952)3月には国宝に指定された。
三間四方の建物は四丈の高さで、出雲大社本殿とは規模を異にする。
しかし、床下の高さが高く、柱は太く、棟持ち柱(前後の部分の中央の柱)が側柱よりも外側に飛び出しており、古い大社造りの特徴をよく残している。
一見したところ、白木造りのように見えるが、昔は彩色されていたと言われ、屋根裏あたりにかすかに痕跡が残っている。
この神社の祭神であるイザナミノミコトは女神なので、本殿の屋根の千木(ちぎ)の先端が水平に切ってある。
一方、出雲大社の祭神のオオクニヌシノミコトは男神なので、千木の先端が垂直に切ってあり、男神を主祭神としていることを表している。
本殿内は、狩野山楽・土佐光起の筆と伝えられる壁画が九面に描かれ、天井は九つの瑞雲が五色に彩られているという。 残念ながら、普段は拝観できないそうです。
なお、この神社の神紋には「有」という字が使われている。神様が集まる神在月(かみありづき)の十月の字の十と月を合わせたものとされている。

如何でしたでしょうか?
神々の国日本、そしてその神話を受け継いでいる出雲の国
素晴らしい体験でした。
皆さんも一度は国内の旅行をしてみては如何でしょうか?
宜しくお願いします。
(ブラッキー)

数々のコピペが存在しておりますが宜しくお願いします。

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神社 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2014/03/29 06:00
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