原子力規制委は何様か

●全原発停止のつけ
 日本の原子力発電所は全国17カ所、50基の原子炉がありますが、現在全て停止しています。これでは電力需要に対応できませんから、古く使命を終えていた火力発電所までを現役に復帰させ、フルに稼働させています。この稼働のために余分に必要になる石油・ガスの輸入額が、年間3.8兆円にも達しています。

 そのため我が国の貿易収支は、1980年の第2次石油ショック後、初めて赤字に転落しました。またこの輸入増大分は、電気料金の値上げに繋がり、産業の国内立地を困難にし、国内の空洞化と地方の疲弊を益々もたらし、国力はじわじわと毀損されていくことでしょう。

 東京・名古屋のリニア新幹線の建設費用は、東京・名古屋間で5.4兆円との見込みです。原発を稼働させれば、余分に輸入している石油・ガスの2年分でお釣りが来ます。

 防衛費は26年度は4.9兆円で対前年度比2.8%の増でした。一方、尖閣侵略を狙うシナは13.4兆円で毎年2桁成長させています。我が国の国土防衛は誠に危ない状況にあります。それなのに、原発を稼働させれば不要になるエネルギー費を3.8兆円もムダに使っているのです。一体我が国は何をしているのでしょうか。

 アベノミクスで折角デフレ脱却の芽が出てきたのに、この4月から消費税増税3%で、元のデフレに舞い戻ることになりそうです。その消費税増による税収増は26年度は4.7兆円の見込みです。この消費増税は安倍首相の大きな政治的決断でした。それに対して余分のエネルギー費用3.8兆円の垂れ流しはいかにもおかしいと言わざるを得ません。

      原子力規制委員会委員

●全原発停止は意味があるのか
 どうしてこのような愚かなことが行われているのか。現在全原発を止めているのは、原子力規制委員会です。問題は、経済の疲弊も、国力の減退も、国の財政問題も、何もかも無関係にそこのけそこのけで止めていることに意味があるかどうかです。

 原発には電気事業法に基づき、毎年3ヶ月ほど運転を停止し国の原子力安全保安院による定期点検が実施されてきました。検査基準に照らして問題がなければ稼働に至ります。このサイクルを数十年間続けてきて、有意な問題は起こりませんでした。

 勿論原発の安全性向上のために、3.11東日本大震災の知見は取り入れなければなりません。保安院は各電力会社に対して、津波による全交流電源、海水冷却機能、使用済み核燃料プール冷却機能を全て喪失したとしても、炉心損壊を阻止出来るよう、緊急安全対策を指示、各電力会社は稼働中の原発は運転しながら対策を講じ、保安院は「適切に処置された」と評価しました。それを受けて時の海江田経産大臣は「定期検査で停止中の原発は速やかに再稼働していただきたい」と「安全宣言」を出したのです。

 これが緊急処置とは言え、法に従い震災の知見を取り入れた処置です。しかしそれを覆したのが時の菅直人首相です。突如「再運転にはストレステストが必要」と叫び、また浜岡原発の運転停止を「要請」しました。そこには法的根拠も技術的合理性もなかった。法的には再稼働を禁止できないので「要請」としたのです。

 民主党政権は、法治に悖る無法を行いました。また、異常に厳しい放射線量安全基準を定め、左翼メディアを動員して「放射能の恐怖」をばらまきました。国民はそれに踊らされてしまい、それが今に続いているのです。

●処方箋のない事故検証報告書 
 上記の保安院による緊急安全対策はあくまで緊急です。福島第一原発の巨大な事故を検証し、得られた知見をより安全な原発システムに反映する、というのは当然のアプローチです。

 その後、事故の検証が、政府、国会、民間事故調、大前研一氏等によって行われ、報告書が出ました。それらを精査したわけではありませんが、現在の規制委に繋がる問題点があるようです。事故の検証は何のために行うのか、それは繰り返しになりますが、得られた知見をより安全な原発システムに反映するということです。従って報告には具体的な処方箋の提言がなければなりません。処方箋の中心には、原子力発電プラントとしての工学的(科学的・技術的)検証による知見がなければなりません。工学とは、技術的及び経済的な現実性がベースにあるものです。それがなければバックフィット(最新の知見に基づく追加的安全対策)されるべき知見は、現実性のないものになってしまいます。

 福島第一原発は大事故を起こしましたが、福島第二原発は冷温停止にこぎ着けました。より震源地に近い女川原発は地震発生に対して安全に停止しました。東海第二原発も同様です。それぞれは何故そうなったのか、その工学的な比較検証を行い、事故原因や誘因を比較分析すれば、対策は自ずと立てられます。

 しかし、大前研一氏以外の報告書には処方箋はありません。当時も今も、「原子力ムラ」なる言葉により、実務の専門家(原発運営の電力会社、原発メーカー)を排除していたところに原因がありそうです。なお、大前氏だけがメーカーの協力を得ました。

 そして実務の専門家排除が今の規制委にも引き継がれているのです。

●現実を排除し独善に走る規制委
 この3月初めの産経新聞は、元原子力安全委員会委員長班目春樹氏の次のコメントを載せていました。
  http://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/140306/evt14030622340052-n1.html

 「私は今の原子力規制委員会よりも事故の経験があるが、話を聞かれたことはない。大学に属する原子力安全の研究者は、電力会社と協力しなければ『現場』はない。それを『御用学者』とレッテルを貼り排除したため、規制委に原子力安全の専門家が不在だ。関係の学会を巻き込み透明性を確保しつつオールジャパンの規制体制づくりが必要だ」

 「規制委と電力会社が互いに尊敬し合い率直に意見交換できる状態が必要だ。今は規制委と電力会社が上意下達の関係で、電力会社は事故当時以上に警戒して本音で意見を言えないのではないか。検査官の能力向上にもつながらない」

 規制委の問題点を斑目氏は次の通り指摘しているのです。
 ・規制委は広く専門家に知見を求めていない。(独善に堕している)
 ・規制委には原子力安全工学の専門家はいない。(安全工学を含めて工学の視点がない)
 ・規制委は電力会社にお上の如く対している。(実務上の知見が集めない)

 それを証する記事が産経のこの3月20日にありました。東京電力の広瀬社長と規制委の田中委員長が会談したのですが、田中委員長は「福島の問題がきちっとしないと、東電の存在そのものが危うい状態にあるんだと申し上げたい」と恫喝、同席した規制委の更田豊志委員は「福島のことについては投資を惜しまないでもらいたい」と苦言を呈したそうです。現場の苦境は我知らずの目の上視線です。
 http://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/140320/evt14032021440040-n1.html

 現場の苦境には、原発の運転にかかわる熟練の技術者や作業員の維持の問題があります。長い原発の停止は、電力会社の方針とは別に、技術者・作業員の個人的理由で退職離散を伴います。熟練の技術者・作業員がいなくなれば、規制委がどのような高度な安全基準を定めても、その運用は困難になります。そのような現実的な問題に対する配慮が規制委には見られません。

 更に3月23日の産経は、近畿大学、京都大学の研究用原子炉も規制委の審査対象としたため長期停止に追い込まれ、将来の原子力技術者育成に不安広がっていると報じました。大学関係者の間では、熱出力1ワットの原子炉は、被ばくなどの重大事故につながる危険性はほとんどないこともあり、「審査の意味があるのか」、また「人材育成が滞れば、長い目でみると原発の安全性の低下を招く」との声も上がっているとのことです。
 http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/print/140323/wec14032300260000-c.htm

●社会的現実性無視のアプローチ
 話を戻して、規制委のアプローチの仕方に根本的な間違いがあります。工学(科学と技術)の無視です。工学とは社会の求めに応ずものとして社会的現実性がなければなりません。漸進的な工学的改良はあっても、ちゃぶ台返しのような工学的革命はあり得ません。漸進の中にはコストの問題も当然入ってきます。コスト無視でやってよいことにはなりません。

 しかし規制委は全原発を数年間も止め、活断層探しに時間を割き、活断層があれば廃炉も辞せずとし、事故の知見のバックフィットのレベルをコスト無視で上げて、社会的現実性無視の革命を起こそうとしているように見えます。
 3.8兆円の余分のエネルギー費がかかり、国力が毀損されていっても気にもとめません。電力会社が疲弊しても関係なしです。将来の人材育成が危うくなっても知らぬ話です。少なくともそのように見えるのです。

 日本の地震学会は、地震予知の活動を進めてきましたが、東日本大震災について予測も何もありませんでした。しかし東日本大震災は発生しました。要は現在の地震学では分からないことが多々あると言うことです。しかしながら規制委は活断層に拘りました。そして活断層探しに巨費をかけ、土木工事のコンクリートを流した痕跡を活断層と断定したりしました。また電力会社の問題指摘に対して、「活断層の可能性がないことを示していただきたい」と悪魔の証明を要求しました。知的謙虚さがないこのような規制委が全原発を停止させているのです。

 活断層の問題は、これは活断層だ、いや活断層ではない、という専門家の見解の違いを、科学的合理性で結論を出すことが出来るのか。権力を持つ規制委の見解に従う、そして規制委は活断層上にあるから廃炉にすると結論づける、そのように見えます。建設に当たっては活断層を避けるのは当然としても、一方では予測しがたいところがありますから、活断層が動いても、建築工学、原子力工学などの工学的技術開発により対応をする、そのようなアプローチが見られません。

 過去数十年、原発の定期点検の仕組みにには特大の過誤はなかったのであるから、その仕組みの上で現在の原発を稼働させながら、漸進的に福島第一原発事故の知見を採用し安全強化の改良を図っていく、更新時に最先端の安全が確保されたシステムを導入する。それが何故だめなのか。経済的に豊でない日本以外の国が、全原発を停止して安全審査に多大の時間をかけるという日本方式のアプローチをしていたら、大半の国は経済が破綻します。

●政府は規制委の独走を許すな
 規制委は民主党の野田政権の末期に発足しました。委員5名は野田政権が選定し、国会の承認を得ない中で仮のスタートを切り、それを政権交代した自民党政権が追認しました。そこに問題はなかったのか。

 規制委の田中俊一委員長はどのような人物か、Will平成25年4月号「活断層問題と規制委員会の暴走」(東京工業大学澤田哲生助教)から紹介します。
・東北大学の原子核工学科卒、日本原子力研究所(原研)に入所、大学時代は共産党系の民青で活動し、入所後、共産党系の原研労組で教宣部長、中央執行委員を務めた。
・専門は放射線遮蔽工学、原子力船「むつ」の遮蔽設計に従事したが、むつは試運転中に遮蔽設計が間違っていたため放射線漏れを起こし、社会的事件になった。
・原研時代を通じて原子力安全研究に携わったことはない。つまり、原子力規制に最も求められる安全評価の専門性や実務経験に欠ける。
・平成19年から21年にまで原子力委員会の委員長代理を務めたが、原子力安全規制の行政経験は皆無。

とのことです。澤田氏は「隔たった思想や誤ったマネジメントの持ち主」と言っています。若い時の左翼かぶれが、世間の荒波から離れた研究所という環境の中で温存されたとするならば、少なくとも国家概念や国益意識は希薄と言ってよいかもしれません。それが全原発停止、3.8兆円の余分のエネルギー費用をものともしないところに現れているのではないか。 

 島崎邦彦委員長代理は、日本地震学会会長、地震予知連絡会会長などを歴任した地震学の専門家です。しかし、東日本大震災は話題にも上がっていなかった。それなのに活断層探しでいたずらに時間ばかりかけてきました。知的良心に欠けていると言わざるを得ません。そしてその間原発は停止しました。

 全原発停止で余分に要する石油・ガス代に3.8兆円もの巨費をかけているのは誠に異常というべきです。現実性のない活断層探しにいたずらに時間をかけ、コスト無視で電力会社に過大な要求を突きつけて事業の継続性を危うくし、国民に電気代値上げの負担を強い、産業に国内立地を困難にして海外移転を促し、国内空洞化で地方は疲弊し国民経済は崩れていく、若者の原子力工学離れを促し将来の原子力技術開発を危うくしているなどなど、一言で言えば、国家を危うくしている現在の規制委の活動に合理性、正当性があるとは考えられません。政府は規制委の活動にメスを入れるべきです。3条委員会の独立性尊重などを言っていたら、国家は沈没します。

以上
(うまし太郎)   

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エネルギー | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2014/03/28 14:49
コメント:
No title
 まさに日本の癌とも言うべき菅"首相が、辞任に追い込まれようとした瞬間に、あの大震災が襲ったのです。
 日本の不幸は震災時の首相に最悪の人物が座っていたことに由来します。
 癌首相はどさくさに紛れて大量のサヨク、反日分子を首相官邸に出入りさせ、20余りの何をするかも解らない委員会を乱立させ、危機管理を混乱の坩堝にたたき込みました。
 原発を再建できないように様々な仕掛けをしていきました。
 放射線の恐怖を煽り立ててきたこの60年余りの日本では、一度止めた原発を再稼働させるのは大変なハードルです。
 規制委員会もその延長にあります。学識経験者という得体の知れない評価を帯びた、ただの日本弱体化の工作員に過ぎません。
 嘗て成田闘争で内戦まがいの騒擾を起こした全学連・・全共闘のなれの果てではないのか?癌元首相がそうであったように、類は友を呼ぶと言うではないか!

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