平成24年 『私たちの平和宣言』

平成24年
『私たちの平和宣言』
平成24年8月6日 広島

 67年前のあの日、非道なる原爆で一瞬にして残虐で理不尽な死に直面した方々、そして3日後に同じ運命に直面した方々、さらには無差別爆撃のあるいは機銃掃射の、艦砲射撃の、標的になって死に追いやられたわが国各地の方々・・。夥(おびただ)しい犠牲者は今もってすべてを数え上げることすらできません。あれは誤爆でも偶然でもありません。あなた方は狙われる謂(いわ)れのない無辜の人々でした。あなた方は私たちの父母、祖父母あるいは兄弟たちでした。惨禍の中、肉親を、同胞を求めて彷徨(さまよ)い、精一杯の手当てを施し、逝(ゆ)く者に寄り添いました。こうした努力を続け、そしてかろうじて生き延びた方々は力をふり絞り、原子砂漠を美しい街に蘇らせました。
 歳月はこうした方々の多くも旅立たせて行きました。そして今、私たちはあなた方に心から感謝の気持ちを捧げます。
 「刀をくれ、やっつけてやる」と見守る人に求め、国歌を歌い、「母ちゃん」と呼びながら、被爆後一日あまりで短い生涯を閉じた中学生・・朝5時の汽車で通学して勉学と土木作業に邁進(まいしん)した少年・・大阪爆撃の瓦礫から遺体を掘り出す作業に携わってから広島に移り、被爆死した少年・・20キロ以上の道のりを歩き、炎上する広島の街に入って我が子を探し歩いた父や母・・爆心地の防空壕で負傷なく難を逃れながら直後に救援活動に当たったために受けた放射線障害で、10日あまりのうちに全滅した長崎のとある町の人々・・。兵士、警察官、教師、民間人、そして子供達までが、未曾有の惨禍にあってなお秩序整然として、同胞相(どうほうあい)助(たす)け合った数々の姿を思うと、私たちの胸は張り裂け涙が止まりません。
 国は負けましが、心は負けなかったのです。強い心を持ち、空前の悲惨さの最中(さなか)でも他者に分け隔てない慈愛(じあい)を注ぐことの出来たあなた方は、私たちにとって最大の誇りです。そしてその精神と行動を受け継ぐことが、私たちの責務であると信じます。
 今、私たちには危険が忍び寄っています。北朝鮮は核爆弾を一層高度化し、弾道ミサイルの射程は伸び、既にわが国は完全にその攻撃範囲に入りました。彼らは「我々は堂々たる核保有国であり、強勢(きょうせい)大国(たいこく)への道に入った」と呼号し、米国まで届くミサイル保有まであと一歩の段階です。中国は、その北朝鮮に弾道ミサイル運搬車両を供与していました。北朝鮮制裁決議をした責任ある安保理常任理事国でありながら、平然とそれを犯しているのです。核拡散防止条約は、核兵器国である中国自らが義務を破ったことで無意味な存在になりました。中国はまた、通常兵器を質量ともに過去10年で3倍以上に増強させ、南シナ海全域を軍事的に制圧し、わが国固有の領土である尖閣諸島の奪取は秒読み段階に入りました。さらには沖縄本島にも魔手が忍び寄っている兆候(ちょうこう)があります。中国の核弾頭の推定保有数はこれまでの200発が3000発以上と大幅に上方修正されました。なす術(すべ)を失っているわが国の足元を見たロシアは、北方領土問題を無視し去るようになりました。韓国では、前大統領時代に密かにウラン濃縮を行っていたことが発覚しました。そして、現政権与党の有力議員が記者会見で核武装の意図を公言したことが、現地では肯定的に報じられています。
 そしてわが国の核廃絶主義者達は、「原子爆弾は中華民族の尊厳(そんげん)」と公言する中国に対しても、核攻撃能力を日々強める北朝鮮に対しても、驚くほど静かです。反面、すべての核兵器保有国が行うはずの未臨界(みりんかい)実験では、実験を公表する米国にだけ非難の矛先を向けています。彼らは、米国オバマ大統領のプラハ演説のレトリックに欣喜(きんき)雀躍(じゃくやく)はしても、今年の米国国防報告における中国の記述が昨年よりも極端に減少してその危険性に目が閉ざされ、融和的に変質した意味を理解できないのです。
それは、北朝鮮の核能力とミサイル性能が向上するにつれて米国が北の核兵器保有を黙認する政策に転じたように、中国の軍事力増大に対しても、米国がその身勝手な行動を抑制する意思を減退させたことを示しています。韓国の核武装発言もこの文脈の中の出来事だと見なければなりません。憲法平和主義の自縄自縛に陥ったわが国は、一日も早くこのように冷厳な現実に目覚めて、あなた方の示された強い精神と行動を取り戻さない限り、私たちの主権と独立が侵害されても身をやつすしかありません。平和主義こそがわが国の平和を脅かしているとは、何という皮肉でありましょうか。学校で「平和教育」を受けてから幾(いく)星霜(せいそう)、私たちは国際情勢の現実を認識するほどに、それが幻想であったことに気づきました。そしてあなた方が備えられていた志が、いかに貴重であったかを知りました。
ひと頃盛り上がりを見せた反核運動が、社会主義国の核兵器の善悪を巡って争い、そして分裂したことからは、その運動が本当にすべての核兵器を廃絶させるためのものではなく、見たいものしか見ない、聞きたいものしか聞かない悪弊に陥っていたことがわかります。彼らは、わが国が取るべき方策を妨害しこそすれ、肝心の核兵器を開発、保有する外国を自らの主張に沿わせたことがあったでしょうか?
旧ユーゴや南スーダン、エリトリア、東チモールなど、現代世界は一つ国家の内部で価値観を共有する民族が集結して分離独立を求めて争い、分割国境が確保されたときに安定化するという事実が現出(げんしゅつ)してきました。国家は統合されるどころか分裂し、数は逆に増えているのです。この状況の何処(どこ)に「世界市民」などが存在するのでしょうか。広島平和公園の碑文に刻まれた「あやまち」が「世界市民」のあやまちだ、との主張は詭弁(きべん)でした。犠牲になったあなた方の、誰一人としてあやまちなどを犯してはおられません。
 当時の国際法を見れば、誰が戦争犯罪者かは明らかです。だれが原爆投下を命令したのか、その名前も私たちは知っています。戦勝国に、不当な根拠で罪科を問われた日本人は、東京、横浜を始めアジア各地で1000名有余が処刑されたにも関わらず、彼の地では誰も処罰されることはありませんでした。
 死に臨んで、刀をくれと叫んだ少年の気持ちを、兵隊さん仇(かたき)をとってくれ、と懇願された人の気持ちを、黙々と復興への努力をし続けた人々の思いを、志(こころざし)を、私たちは受け継ぐことをここに誓います。占領時代に恣意的に作られた物語には左右されません。絶対に・・・。
さもなければ、私たちは三度(たび)理不尽な惨禍を受ける危険を避けることは出来ません。私たちは、虚構の「平和教育」から覚め、幻想の核廃絶運動に身を委ねることなく、世界の大勢と祖国の現状を見据えて進みます。そして改めて宣言します。「あやまちは繰り返えさせませんから」と。

「平和と安全を求める被爆者たちの会」http://www.realpas.com/

友好団体『平成・美しい日本を護る会』
(ブラッキー)
スポンサーサイト
講演会 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/08/02 19:24
コメント:

管理者のみに表示