漂流者は全員救助せよ

 5月26日、中国が石油掘削を始めた南シナ海のパラセル(西沙)諸島の近海で、ベトナム漁船がシナの漁船40隻に囲まれ、その内の1隻がベトナム漁船に体当たりをし、体当たりを受けたベトナム漁船は沈没しました。乗っていた漁民10人は別のベトナム漁船に救出されました。

 6月1日、読売新聞は沈没したベトナム漁船の乗組員に取材し、「シナ漁船は沈没するまで繰り返し体当たりしてきた」と次のように報じました。

「乗組員らによると、ベトナム漁船は26日午後4時頃、中国の石油掘削施設から約30キロ・メートル離れたベトナムの排他的経済水域(EEZ)で漁をしていたところ、中国船が警告なしに衝突してきた。中国船はベトナム漁船の6倍ほどの大きさで、『普通の漁船には見えなかった』という。ベトナムの漁船は船首部分を除き沈没した。
 乗組員10人は海に投げ出され、10分ほど泳ぎ、周囲のベトナム船に救助された。中国船は乗組員を助けようともせず、周囲で様子を見ていたという。」

http://www.yomiuri.co.jp/world/20140531-OYT1T50117.html?from=ytop_top

140531中国漁船体当たり

 シナ船はベトナム漁船の6倍ほどの大きさで、「普通の漁船には見えなかった」とのことですが、これは明らかに偽装漁船、実態はシナの海警などの公船でしょう。シナは白昼堂々とギャング行為を働いたのです。しかも海に投げ出され乗組員を助けようともせず、「漂流者は見殺しにせよ」とばかりに、周囲で様子を見ていたというのも酷い話です。

 比較にもなりませんが、「漂流者は全員救助せよ」といって戦争の真っ最中に、海上を漂う敵兵422人全員を救助したのは、大東亜戦争「スラバヤ沖海戦」における日本海軍駆逐艦「雷」艦長工藤俊作中佐でした。



 大東亜戦争が始まってまもなくの昭和17年2月27日、ジャワ島北方のスラバヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合部隊の海戦において、日本艦隊は圧勝、連合部隊の15隻中11隻は撃沈され、その中の英海軍巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員4百数十名は、自艦から流出した重油の海に浸かり、21時間も漂流を続けていましたが、生存の限界に達した所を、偶然通りかかった駆逐艦「雷」に発見されました。

 敵潜水艦の哨戒海域で長時間の停船は大変危険です。傷病人を収容することは危険が大きく、また400人もの敵の将兵を救助収容しても、敵兵が蜂起する心配もあります。しかし工藤艦長は、敵潜水艦が近くにいない事を確認した後、「一番砲だけ残し、総員漂流者の救助に当たれ!」と命じました。

 艦上の水兵達は驚きました。しかし工藤艦長は、海軍兵学校の頃から教育された「武士道」を貫きました。「敵とて人間。弱っている敵を助けずしてフェアな戦いは出来ない。それが武士道である。」
 多くのイギリス兵は体力の限界を超え、自力で縄ばしごを上ることが出来ません。最期の力を振り絞って、「雷」の舷側に泳ぎ着いても、力尽きて次々と水面下に沈んでいってしまいます。甲板上の乗組員達は、声をからしながら「頑張れ!」「頑張れ!」と呼びかける。この光景を見て、甲板から何人かの乗組員が海に飛び込み、漂流者にロープを巻き付けたりして、総出でイギリス兵を全員救出しました。

 甲板上では、助け上げられたイギリス兵に対して乗組員は、体についた重油をアルコールと真水で洗浄して丁寧に拭い、新しいシャツと半ズボン、靴を支給し、熱いミルクやビール、ビスケットを配りました。

 その時救助された「エンカウンター」の砲術士官だったフォール卿は述懐します。

「間もなく、救出された士官たちは、前甲板に集合を命じられた。すると、キャプテン(艦長)・シュンサク・クドウが、艦橋から降りてきてわれわれに端正な挙手の敬礼をしました。われわれも遅ればせながら答礼しました。そしてキャプテンは、流暢な英語でわれわれにこうスピーチされたのです。
 『諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。』

 「雷」はその後も終日、海上に浮遊する生存者を捜し続け、たとえ遙か遠方に一人の生存者がいても、必ず艦を近づけ、停止し、乗組員総出で救助しました。水没したり、甲板上で死亡した者を除いて、422名が救助されました。乗組員約150名の3倍近い人数でした。

 翌日、救助されたイギリス兵たちは、オランダの病院船に引き渡されました。移乗する際、英軍の士官達は「雷」のマストに掲揚されている旭日の軍艦旗に挙手の敬礼をし、またウィングに立つ工藤艦長に敬礼しました。工藤艦長は、丁寧に一人一人に答礼をしました。兵のほうは気ままなもので、「雷」に向かって手を振り、体一杯に感謝の意を表していました。

 フォール卿は、戦後、外交官として活躍し、定年退職後、1996(平成8)年に自伝『マイ・ラッキー・ライフ』を上梓し、その巻頭に「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と記しました。

 フォール卿は、「自分が死ぬ前にどうしても一言お礼を言いたい。」と、長年工藤艦長の消息を尋ね、平成15年10月、84歳を迎える自身の「人生の締めくくり」として、長年の希望であった日本の土を踏みました。しかし、消息は分からず願いは叶えられなませんでした。

 その後関係者の尽力でご遺族と墓所が判明しました。平成20年12月7日、フォール卿は89歳と言う高齢でありながらは車椅子で来日しました。そして埼玉県川口市の墓所で墓前祭が盛大に執り行なわれ、翌8日には赤坂プリンスホテルで英国大使・外務大臣参列の下で、英国海軍からは駐在武官が参列、海上自衛隊からは海上幕僚長、四代目『いかづち』艦長が参列、国際礼儀に則った海軍式式典が挙行されました。

(資料:恵隆之介「海の武士道」他)
 
 ジャーナリストの恵隆之介氏は、このお話を「海の武士道」として、子供たちの道徳教育の教材に薦めています。子供達は、「工藤さんの勇敢な決断に感動した、同じ日本人として誇りを持った、本当の親切とは勇気も必要なんだなと思った、フォール卿は助けられたことを忘れずに日本の武士道を尊敬していた」などの感想を寄せています。子供達も日本人としての琴線を呼び覚まされるのでしょう。

 シナ人は相手が弱いとみればつけ上がる民族です。ベトナムは、海軍力においてシナの比ではなく、シナはそこにつけ込んで無法を働いています。漁船が沈没しようが、漁民が溺れ死にしようが、お構いなしです。フェール卿は、騎士道の国のイギリス人として日本人の武士道を理解し、感謝を捧げました。しかしシナ人には、敵兵を救った工藤艦長の話は、理解を超えるのではないでしょうか。この隣接の国の彼我の違いを、日本人はよく認識しなけばなりません。

以上
(うまし太郎)

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未分類 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2014/06/01 15:52
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