有事は勝手にやってくる-ミグ25事件

 尖閣近海では毎日、シナの公船が領海侵犯を繰り返しています。東シナ海上空では5月24日、自衛隊機に対するシナ戦闘機が異常接近し、続いて6月11日には、ミサイルを配備した2機が30~45メートルまで、背後から接近しました。ロックオン(目標物に照準を合わせる)行為であり、容易ならざる事態が続いています。

 不測の事態が発生したらどうするのか。現状法規の専守防衛では、打ち落とされてからしか反撃出来ません。こんなまやかしはありません。

 この5月15日、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、安倍首相に最終報告書を提出しました。報告書では条件付きながら集団的自衛権容認の立場を明確にしました。容認の根拠は、「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」であり、従来の憲法解釈や個別政策の更改を重ねても対応は困難という立場です。

 政府は行使容認の閣議決定の原案を提示しましたが、与党公明党が難色を示し、閣議決定は先送りされました。公明党は、尖閣や東シナ海における事態の緊迫が分かりません。国家の安全保障よりも空疎な「センソーハンターイ!」のスローガンが幅を効かすカルト政党です。自民党は一刻も早く公明との連立を絶たねば、国の安全保障の強化を進めることは出来ません。

 有事は勝手に向こうからやってきます。事態が起きてから慌てても遅いのです。いたずらに現場を混乱させ、挙げ句の果ては国家を毀損します。

 その例がすでに発生していました。昭和51年のミグ25事件です。事件の経緯は、時の三木内閣により隠蔽され、広く国民の知るところとなっていません。

 「ミグ25事件」というのは、昭和51年9月6日、旧ソ連軍のパイロット、ベレンコ空軍中尉(29)がアメリカへ亡命したいという理由で、ソ連軍最新鋭戦闘機ミグ25に乗って、わが国の防空システムを巧みにかいくぐり、函館空港に降り立った事件です。

       140624ミグ25
 
 実はこのとき、陸上自衛隊は極秘裏に行動し、事実上の「防衛出動」に出ていたのです。

●ソ連特殊部隊来襲の情報
 9月8日早朝、アメリカ政府筋から次のような信頼度が最も高い「A・1情報」がもたらされました。
「ソ連軍が最高軍事機密の漏洩を避けるために、ミグ25戦闘機を奪還、または破壊するため、ソ連軍特殊部隊が函館に侵入する動きを把握した。情報源はスイス駐在のアメリカ大使館付武官である。」

 自衛隊の部隊を戦闘目的で動かすには、総理大臣の「防衛出動命令書」が必要となります。それがないと、先制攻撃を受けてからでないと反撃できません。現代戦の先制攻撃というのは、その一撃で致命的な打撃を受けます。先制攻撃を受けてからでは遅いのです。

 函館空港に着陸したミグ21を奪回もしくは破壊するために、今にも押し寄せてくるかもしれないソ連軍特殊部隊に対し、その時自衛隊はどう対処しようとしたのでしょうか。

 元陸上自衛隊第11師団法務官であった大小田八尋氏は、現場に居合わせた自衛隊法務官としての立場から、次のように再現・検証しています。(『文芸春秋』2001.1月号「ミグ25事件『ソ連軍ゲリラを撃滅せよ』」)。

首相の防衛出動命令出ず
 第一線に立たなければならない函館駐屯地の高橋永二第28連隊長は、札幌にある第11師団司令部渡邉忠綱幕僚長に指示を仰ぎましたが、指示は一切出ません。

 陸上自衛隊の運用・作戦をつかさどる陸上幕僚監部(東京・六本木)のトップである三好秀男陸幕長は、この事態に当然「防衛出動命令」が下るものと判断し、田中象二北部方面総監(札幌)に「函館空港に侵入する敵は、これをただちに撃滅せよ」と命令(見切り発車)を発しました。

 命令を受けた田中北部方面総監は、第11師団(札幌)の近藤靖師団長にこの「防衛出動認可」を口頭で伝え、そして第28連隊高橋連隊長に「師団命令」として伝えられました。

 三好陸幕長は当然総理から「防衛出動命令」が出ると考えていました。ところが防衛庁内局でその草案作りの作業を進めていると、突然、伊藤防衛局長からストップがかかったのです。
 時の総理は三木武夫でした。理由は「いま、国会は三木降ろしの大合唱中で、総理官邸は次期首相の選出をめぐって大騒ぎで、総理に連絡をとることさえままならない。決済文書を出したところで門前払いを食らうだけ。」というのがその理由でした。

 また、「坂田道太防衛庁長官もミグ25の機体調査を航空自衛隊に移管させることで頭がいっぱいで、とりつく島がない。」というのが伊藤防衛局長の説明でした。(ミグ25事件はその初動段階から警察が「刑事事件」として取り仕切っており、自衛隊関係者はミグ戦闘機に近づくことさえ出来なかったのです。)

 この一刻を争う国家の緊急事態に、政府は対応の術も意志もなかったのです。

●陸幕長のの決断
 三好幕僚長はこうした予期せぬ事態に、引き続き総理に「防衛出動命令」を具申することを指示し、高橋連隊長には直接次のように電話を入れます。
 「俺が腹をくくるから、貴官は空港に侵攻してきたソ連兵を、一人たりとも生かして帰すな。第28連隊の対処行動は、陸上自衛隊の存亡にかかわる重大なものだ。全員一致団結して、防衛任務を完遂せよ。」と。

●現場指揮官の苦悩
 その後、高橋連隊長は駐屯地の全部隊を「第三種非常勤務体制」におき、引き続き中隊長と幕僚だけの中幕会議を開きました。
 その席で佐々木茂雄第1中隊長が「連隊がやろうとしていることは防衛出動です。上級指揮官から、しっかりした根拠命令をもらう必要があります。それでないと、隊員は犬死になります。」と全員の本音を代弁する意見が出されました。

 正式な「防衛出動命令書」がない状態で戦闘行為が開始されれば、法的には高橋連隊長の独断専行となりかねない、口頭での命令は証拠が残らないから、最悪の場合、現場の指揮官である高橋連隊長の暴走によってソ連との戦争が始まったことになってしまう、三好幕僚長から佐々木中隊長に至るまで、国を守ることを全うしようとすれば、法の後ろ盾なく戦闘を始めるほかない、という深刻なジレンマの中に彼らはおかれていたのです。
 
●現場指揮官の決断と隊員の使命感
 高橋連隊長は9月10日、駐屯地の全隊員を講堂に集め、状況を把握していない隊員たちの前で訓示しました。
 「ソ連軍ゲリラが函館にやってくるような事態は、現在までの状況から見てそう簡単には起こらないであろう。しかし、我々は万一の場合、国のため国民のため、そして自衛隊の存在意義のために、断固として戦う以外に途はない。その時は全員一致団結して戦おうではないか。上層部もやる気満々で『断固としてやれ』と指導された。私はいつも諸官の先頭に立って戦う。我々が戦わずして、誰が戦うのだ。」と。

 第3中隊長大北太一郎もこの訓示の後、64名の部下を中隊宿舎に集め出撃宣言を行いました。しかし彼は、「ついて来るのも残るのも自由である」と言いました。しかし彼の言葉が終わるやいなや、40人の陸曹全員が、そして2年満期の陸士全員が出撃の決意を示したのです。強制ではなく、自衛官であるという使命感、そして何より仲間としての信頼関係によるものでした。

 11日、札幌から近藤師団長が函館入りをし、直ちに「防衛出動」が発令される前にソ連軍が空港に侵攻した時の武器使用について確認がなされました。

 総監部から派遣されていた運用班長は「その時はその時で、師団長が決心すればよい」との総監部の見解を伝えました。つまりそれは、いざ事が起こったら連隊長が現場で即時に決断し、それにともなう結果については師団長が全責任をとれというものでした。陸幕と総監部には一切責任が及ばないという話です。陸上自衛隊総監部の「責任回避」「責任転嫁」でした。

●レーダーに不審機
 その日の15:00、レーダーが不審な機影3機を捉えました。緊張が極度に高まります。高橋連隊長はソ連機の襲来と判断し、即座に隊員たちに出撃命令を下しました。しかし間一髪、その3機の機影は友軍機(航空自衛隊のC1輸送機)であることが判明したのでした。

●政府による事件の隠蔽
 「ミグ事件」が大事に至ることなく終息した後、政府は「自衛隊が奇襲に際し超法規的行動をとることなどあり得ない。それを認めれば、わが国のシビリアンコントロールは危機に陥る」と判断し、この事件を記録の上から抹殺しました。真相は長い間闇に包まれることとなってしまったのです。教訓は公式には活かされませんでした。時の三木内閣は、国家の安全よりも政局と保身を優先させたのです。

 このとき「特定秘密保護法」があれば、政権に都合が悪い資料を恣意的に処分する事は出来なかったはずです。

 ベレンコ中尉は無事アメリカに亡命を果たし、ミグ25戦闘機もその機体の分析が終わった後、ソ連へ貨物船で返還されました。

 以上が事件の経緯です。言うまでもないことですが、こと国防に関しては事態が起こってからでは手遅れなのです。致命的にならないよう日頃からあらゆる状況を想定して、即時、事態に対応できる体制を確立しておかなければならない。訓練をしておかなければならない。少なくとも第一線に立つ現場の指揮官が戸惑うような状況があっては断じてならない。

 2年後の昭和53年7月、来栖弘臣統合幕僚会議議長は、ミグ25事件を念頭に、「第一線部隊が超法規行動を取ることもあり得る」と述べ、金丸信防衛長長官から更迭されました。場が「超法規的行動」を取らなくて済む法整備こそ必要なのに、その後政治は怠惰を続け今の緊迫した東シナ海の事態を迎えています。

 それにしても、集団的自衛権行使の議論が、政治、メディアで相変わらず神学論争を続けています。ポジティブリスト(決められたことだけをやることが出来る)に囚われたままであり、現場の実態から離れた政治的妥協が図られようとしています。世界の常識であるネガティブリスト(してはいけないこと以外は全てが出来る)にしなければなりません。有事の現場が有事の状況に即応できる法整備が必要です。

以上
(資料)
 ・「ミグ25事件で現場目線を学べ」産経新聞26.6.14号「一筆多論」
 ・「ミグ25事件の教訓」
   http://blogs.yahoo.co.jp/shiraty5027/23909652.html
 ・その他
(うまし太郎)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2014/06/24 07:37
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