日本は立派に戦ったのです。

大東亜戦争直前の勢力図

最近、反日分子たちの攻撃が激化してきています。
偏に彼らの嘘がばれつつある影響だと思います。
河野談合の経緯はばれてしまい、所謂従軍慰安婦=追軍売春婦に対する朝日新聞の記事が捏造であったことを暴露し、亜細亜の国々からは感謝されていることが判明し、支那が極悪非道な国であることもその要因の一つに数えられるのでしょう。
良く日本は耐えていると思います。謂れのない誹謗中傷に耐え此処までようやく来ました。

『南アフリカ』
●ネルソン・マンデラ(第9代大統領)
「日本軍がインド洋を越え、エジプトまで来ていたら、南アは1950年ころには独立していた」と口々にいうので本当に驚いた。また「日本軍は大東亜戦争を途中で止めたからけしからん」と微笑を浮かべて力説する男がいた。
側近は「マンデラ氏も我々と同意見である。マンデラ氏は『日露戦争の日本、大東亜戦争の日本、援助する日本、工業の日本に感動した。日本に行きたい。天皇陛下にお会いしたい』と毎日語っている」と説明してくれた。

『アメリカ』
●ハーバート・フーバー(第31代大統領)
私は、ダグラス・マッカーサー大将と、(1946年)5月4日の夕方に3時間、5日の夕方に3時間、5日の夕方に1時間、そして6日の朝に1時間、サシで話した。
私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であったと述べたところ、マッカーサーも同意して、また、1941年7月の金融制裁は、挑発的であったばかりでなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争せざるを得ない状態に日本を追い込んだ。
制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国と雖(いえど)も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかったと述べた。
ルーズベルトが犯した壮大な誤りは、1941年7月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその1カ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。
その経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三にわたって、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ(日本が)報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた。

●ダグラス・マッカーサー陸軍元帥(連合国軍最高司令官)
日本原産の動植物は、蚤(ノミ)をのぞいてはほとんどないも同然である。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫(すず)がない。ほかにもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していたのである。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、1千万人から1200万人の失業者が日本で発生するであろうことを彼らは恐れた。したがって、彼らが戦争に駆り立てられた動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだった。

●ハロルド・R・スターク海軍大将(海軍作戦部長)
禁輸は日本のマレー、蘭印、フィリピンに対する攻撃を誘発し、直ちにアメリカを戦争に巻き込む結果となるだろう。

●アルバード・C・ウェデマイヤー陸軍大将(中国戦線米軍総司令官兼蒋介石付参謀長)
1941年7月26日、ルーズベルトは日本に対して経済的な制裁を加えたが、この制裁は、日中事変の勃発当初であったなら中国をたすけたかもしれなかったが、1941年7月では、もはや中国にとってなんの利益にもならなかった。いまや、こうした制裁は、中国を援助するためではなく、日本を戦争に挑発するためであり、イギリスの勢力を維持するために、どうしたらアメリカを参戦させられるかという、ルーズベルトのジレンマを解決するために使用されていた。

●ジョイス・C・レブラ(コロラド大学歴史学部教授)
戦時中における日本の大東亜圏に対する基本的な構想や施策は、終戦後20年以上もの間、政府や軍の資料室に埋もれ、あるいは生存している戦時中の指導者たちの記憶の内にだけ秘められていた。
東京で開かれた極東軍事裁判で打ち出された一つのイメージ、即ち日本は世界で最も強欲な軍国主義国家の一つであったとする思想は、太平洋の両側で、長い間再検討されないまま放置されていた。
公私の資料の入手難が解明を遅らせ、太平洋戦争のいくつかの局面を暗闇に閉しているのが現状である。また日本の歴史家たちは、東南アジアにおいて日本が大東亜共栄圏に託した理念、目的、実現の方法などを吟味することに、今日まで消極的であった。
ごく最近になってアメリカの学者は日本の戦争目的を再検討することに着手し、これまでの定説を修正し始めた。
再検討を志すアメリカの学者たちの意見によれば、太平洋戦争は、西欧資本主義流の帝国主義の単なる日本版ではなく、それにもましてアジアにおける西欧諸国の進出によって脅威を受けた日本が存亡にかかわる権益を防衛するための戦いであったのである。さらにアジアを包含しようとする大日本帝国の野望として従来見做(みな)されていた大東亜共栄圏もまた再検討されて然(しか)るべきである。

●ジョージ・S・カナへレ(ハワイ日本経済協議会事務局長)
日本占領軍がインドネシア民族主義の為に行った種々の仕事のなかで、最も重要なものの一つは、正規軍および准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことであろう。この作業は、とくにジャワ、バリ、およびスマトラで推し進められた。
のちにインドネシア独立軍の将校や下士官となった者たちはほとんどすべて、および何万という兵士たちは、この訓練をへて軍事技術を身につけ、日本の敗戦後に戻ってきたオランダ軍を相手に独立戦争を闘ったのであった。
もしこの訓練がなかったら、そして日本の降伏後、インドネシア人の手に入った日本軍の武器や軍需資材がなかったなら、インドネシア独立戦争の行方は違った方向に進んでいたかもしれない。
こうして、日本の占領は、インドネシアの民族主義勢力を権力の戸口まで導いた。
民族主義者にとって、日本占領時代は、独立への、単なる序曲以上のものであったかもれない。

●ピーター・F・ドラッカー(クレアモント大学社会科学部教授)
結局のところ、最後に勝ったのは日本だった。
日本のとった道、つまり自らの主権のもとに、近代化すなわち西洋化をはかるという道が、結局西洋を打ち負かした。日本は、西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。
軍事的には、日本は第二次世界大戦において、歴史上もっとも決定的な敗北を喫した。自ら植民地大国たらんとする政治的野望は達せられなかった。
しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。その結果西洋は、アジア、ついでにアフリカからの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるを得なくなった。

●ジェームス・W・モーリ(コロンビア大学教授)
大東亜戦争はマルクス主義者がいうような単なる「植民地侵略戦争」ではなく、西欧列強諸国の帝国主義に反対するという意味では「反帝国主義戦争」でもあった。

●ジョージ・フリードマン(ディッキンソン大学教授)
★1920年代後半に、アメリカが保護貿易主義に傾くと、日本は危機に追い込まれた。アメリカは重要な貿易相手国であって、アメリカ市場の喪失は、英連邦地域との貿易関係の断絶の恐れとともに、日本に計り知れぬ危機をもたらした。

日本は2つの選択肢があった。
一つは、中国大陸から撤退して中国パイのおこぼれを貰うことに甘んじ、絶望的経済破局を迎えること。
もう一つは、日本がどうしても必要としていた市場を確保するために、経済的手段以外の方法を使うことであった。
日本は後者を選んだ。もっと正確に言えば、日本は政治的・軍事的選択をするほかに道がなかったのである。
日本は地質的、社会的条件によって、身動きのとれない状態にあったのである。石油が日本に入るのを妨害することによって、日本が中国やインドシナに手を拡げるのを封じようとアメリカが決定したとき、日本には3つの選択肢があった。
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第一は、アメリカの禁輸政策を無視して、それ以前と同じように前進していくこと。しかしこれは不可能であった。
なぜなら日本における石油備蓄は、せいぜい長くて1年分がそこそこで、日本はもはや工業国などではあり得なくなるだろうから。
第二の道は、アメリカの要求をのんで細々と生きることを考えること。しかし保護貿易主義が衰退することなど思いも及ばぬありさまであったから、この選択は、日本がもはや、世界中どこの国にも商品を売ることができなくなるという経済的惨禍を意味したであろう。
したがって、これはただ選択肢のように見えるだけであって、現実には国家としての自殺行為にほかならなかった。
日本の第三の選択は戦争であった。
日本は中国に進出していった。なぜならば、国際保護貿易主義が日本をして警告点を超えさせてしまったからである。いまや列強の行動は、日本が他国の要求を無視することも、それに応じることも不可能にさせていたのである。
日本はもはや、自由な主権国家として生き残れないところまで追い詰められた。唯一の打開策は戦争であった。

日本はアメリカなどの謀略により戦争に巻き込まれて行きました。
石油を止められ、数々のライフラインを切断され、国内は疲弊して行くのを指をくわえて見て居ろと言うのでしょうか?
国民が飢えていくのを黙ってみているのが為政者の仕事でしょうか?
それは違いますよね。
当時、何が行われっていたか、何のために行われていたかを考えてみましょう。
三国干渉、ABCD包囲網これらは何のために行われていたのでしょうか?
その中で日本はあの戦いに身を投じたのでしょうか?勝てる戦いではなかったと当時から言われておりました。
しかし、日本は亜細亜の解放のために、日本の防衛のために戦いを行いそして負けました。
そして、日本は世界から嫌われていると思わされていました。
その虚構を取り除く必要があります。アメリカ、特定亜細亜三国彼らのもくろみ通りになってはなりません。
日本は感謝されているのです。

(ブラッキー)

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歴史 | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2014/08/13 06:00
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